春田/黒澤
おっさんずラブ:春田創一/黒澤武蔵
【かすみ草】
来月の予定を訊かれて、深く考えずに「空いてます」と答えた。
「行ってみたい店があるんだが、予約を入れてもいいかな」
「へえ、いいっすね」
こんな前から予約を入れなきゃならないなんて、きっと人気店なんだろう。部長の選ぶ店はいつもオシャレで味もよくて、俺ひとりだったらぜったい入れないようなところばかりだから、文句なんかあるはずがない。
「どんな店なんですか」
「ヒミツ」
「えー、教えてくださいよー」
そんなやりとりを、食卓を挟みながらあたりまえみたいな顔でしている。ちょっと不思議なこの日常も、いつのまにか慣れてしまった。
なんかヘンだな、とたまに思うけれど、なにがヘンなのかはわからなくて、結局メシも美味いし体の調子もいいしまあいいか、と結論づけて終わる。
それから、カレンダーの予定表に部長が書いた「デート」の文字が目につくたび、ちょっともぞもぞしながら、どんな店なんだろうと期待しながら、それでも日々の忙しさにまぎれて頭の片隅に置いておく程度で、その日を迎えた。
定時でいっしょに出ましょうと言ったけど、部長は先に行っててくれと言う。
「待ち合わせたほうが、デートっぽいだろ?」
「はあ……そうですね」
そうなのか? そうかもしれない。
うちの最寄りのバス停で待っていてくれと言われて、そんなに近くなのかと驚いた。
一本遅いバスでやってきた部長は、家と反対方向に歩き出す。
連れていかれたのは、カジュアルフレンチのレストラン。知る人ぞ知る名店で、完全予約制だそうだ。正直、フレンチって何入ってるのかよくわかんなくて苦手……
「めちゃめちゃ美味いッスね!」
「そうだろ」
うろ覚えのテーブルマナーでもなんとかなる雰囲気で、周りの客もビシッとしてるわけじゃなくて、そこそこ気安い。家からそんなに遠くないのに、ぜんっぜん知らなかった。
部長と食事や飲みにいくときは、さすがに酔いつぶれちゃいけないと思って、飲みすぎることはあんまりない。部長も「これは強い酒だから」とかうまいことセーブしてくれる。そのへんの飲み屋だと、店出たころには何食ったかも覚えてないのに、部長と行った店はわりと覚えてる。
「うちから近いし、また来たいッスね」
「……そうだな。はるたんがそう言うなら、また来よう」
にっこにこで賛成してくれると思ったら、なんだかそうでもなさそうな微妙な笑顔で、もしかしてものすごく高い店なのか?と不安になった。でも行事大好き部長が、とくになんのイベントもない完全な平日に、そんなに奮発するとも思えないし……
トイレに立ったときふとスマホを見ると、メッセージが入っていた。蝶子さんからだ。
――誕生日デート、楽しんでる?
え、誕生日? だれの?
とっさに聞き返そうとして息が止まった。
――今日って部長の誕生日なんですか?
知らなかったのー!?と驚きのスタンプが返ってきて、頭を抱える。
先月からこの日ってわかってただろ、オレ! なんで、なんの日か調べようとしなかった!?
だから、平日ど真ん中の今日にわざわざ、予約までして。定時退社で待ち合わせして。次にこの店に来るのは、たぶんクリスマスとかオレの誕生日とか、そういう特別な日だきっと。
席に戻ったけど、本人に「今日お誕生日だそうですね」なんて今さら言えるわけもないし、どうしたらいいんだってぐるぐる考えてたらもうデザート出てきちゃうし、部長はなにか楽しそうに話してるけど、ぜんっぜん頭入ってこない。
ええ、どうしよう……
「あの、今日オレが払います……」
「なに言ってんだ、俺が誘ったんだから」
それはそうなんですけど、あなたの誕生日ですし。
財布を出そうとするオレの手をそっと押さえて、部長は笑う。
「それに、おまえが気安く出せる額とは思えないな」
「……はい……」
でしょうね。
帰る家は同じだから、「お疲れさまでした!」なんてタイミングもなく、二人で通りに出る。うわホントどうしよう、うち帰ってもなんにもねえし……
立ち止まったオレを、少し先に歩いていた部長がふり返った。
「春田?」
「あの……ちょっと買うもん思い出したんで、先帰っててもらっていいですか」
「なんだ、買い物なら俺もいっしょに行くよ」
「や、だいじょぶっす、大したもんじゃないし、一人で走ってったほうが早いんで」
一瞬さびしそうな顔をして、でもすぐに笑いながら、彼はオレの背中を叩く。
「そうか……気をつけてな。早く帰ってこいよ」
「はい! 部長も、気をつけて!」
駅前の花屋、たしか十時までやってたはずだ。
ここから今の時間じゃバスや電車だと遠回りになるから、ほぼ直線ルートの近道を抜ける。
部長は、大きな赤いバラの花束をくれた。あのときはわけわかんなかったけど、一回はお断りしたけど、でも、だから、あの人にあげるならやっぱりバラだ。
時計を見ると十時少し前。露店の花屋が見えてきた。やっべえ、もう片づけはじめてる。
「ちょーっ、ちょっと待って、待ってー!」
周りの人がふり向くのも今はどうでもいい。大声で花屋に叫びながら必死に駆け寄る。
「バラの、花束、ください!」
半分くらい片づけられた花を見渡しもせず、驚いた顔の店員にとりあえず注文した。
ところが、店員はバケツを抱えたまま困った顔でオレを見る。
「申し訳ありませんが……」
売り切れ!? バラの花ってそんなに人気!?
「えっと、じゃあ……」
考えてみれば、この時間にあるのは全部売れ残りか。カワイイ系の花はいくつかあるけど、でも大人の男っぽくない。ええと、なんか大きくて落ちついてて……
「そこの、白いやつ! まとめて全部ください!!」
「かすみ草、だけですか?」
すごく小さい花だけど、そこにある花束の中でいちばん大きく見えた。白くてなんとなく上品で、子供っぽくなくて、きっとあの人に似合う。
それからオレは、花の値段の高さに引きながら、花屋の店員に何度も礼を言って家に帰った。日付がまだ変わっていないのを、家の前で確認する。
玄関を開けると、もうスーツを脱いでいる部長が出てきた。
「おう、おかえり。遅かったじゃないか……」
「部長っ!」
先手必勝とばかりに、花束を差し出す。
あれっ……なんか明るいとこで見るとそんなに大きくもキレイでも大人っぽくもないかもしれない……
でも、もう遅い。
「これっ……ギリギリだけど、お誕生日、おめでとうございます……っ」
「え……?」
返事がなくて不安になって、花束の影から窺ってみる。
彼は優しい笑顔で、花を見つめていた。
「知ってたんだ……」
いや、さっき知ったんですけど。
ゆっくりと伸ばされた手が、オレの手から花束を受け取ってくれた。
「はるた……」
ん、と呟いて、部長は片手で顔を覆う。
「……ありがとう」
「いえ。遅くなってすみません。しかもこんな……」
「ありがとう。すごくうれしい」
オレの言い訳を遮るように、白い花束を抱きしめた部長は泣きそうな顔で笑った。
誕生日プレゼントをだれかに贈るなんて、子供のころちずにカブトムシあげて以来だ(当然返品された)。
贈るのもうれしいもんなんだな、と思った。
あいつの誕生日はいつなんだろう、と一瞬でも考えた自分は脳内でぶん殴って、玄関先に転がしておいた。
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