スパイク/ジェット

2002_COWBOYBEBOP,[R18]

カウボーイビバップ:スパイク/ジェット R18

「なんでこんなことになっちまったんだか……」

小さくなる真紅の機体をブリッヂから見つめ、独りぼやいた。
まただ。
自分の命もかえりみず飛び出していく。捨てたはずのしがらみにみずから絡めとられていくような、そんな背中を見送る方は、いつも気が気でない。
「自分の命もかえりみず、か」
飛び出していく方はいい。だが、そのたびに気を揉みながら帰りを待つ身にもなってほしい。
引き止めようと見捨てようと、彼はいつも自分のやりたいように動く。そんなときこちらは、身を切られるような、いやえぐられるような、という方がぴったりくるか……とにかくそんな痛みを胸の奥にひた隠し、黙って送り出してやるしかないのだ。
「二度と帰ってくんな」
心にもないことばを吐き捨て、煙草に火をつける。
いつからこんな感情が出てきたのか、自分でもわからない。だが気づけば、もう後戻りできないところまで来ているのだった。

発端はよくある話で、別にドラマティックでもロマンティックでもなんでもなかった。

二人でなかなかいい仕事ができることがお互いにわかってきたころで、それでいてすでに何度目かになる失敗をやらかした直後のことである。
「ジェットさんよぉ……あんた……数日で着くって言ったよな……」
「予定ならな」
「それが一ヶ月ってな、ちょいとばかしのんびりしすぎじゃねえのか?」
「しかたねえだろ、誰かさんが派手なドンパチのあげく逃がした賞金首が、この船の燃料をごっそりみやげに持ってっちまったんだからな」
う、とつまって彼は口をへの字に曲げた。一度捕獲した獲物を取り逃がすという屈辱的な黒星は記憶に新しい。ちなみに彼の真っ赤な愛機も「派手なドンパチ」のおかげで現在ちょっとした使用不能状態である。
「みんな俺のせいかよ。だいたいあんたの船だろ」
「そうだなあ、熱くなりすぎた相棒のサポートに苦労してなけりゃ、こんなヘマはやらなかっただろうなあ」
「……コンビ解消したいなら早めに言えよ」
「まず、地面の上に立ってから考えさせてもらうぜ」
二人分の深いため息で、会話は終了した。そう、船やマシンの修理も新しい仕事もコンビ解消も、今ここではどうにもならないのである。
だらだらと飛びつづけて最寄りのゲートまで一ヶ月。広大な宇宙空間の中、一ヶ月も二人きり。ろくでもないその状況を、さらに悪化させるのは得策ではない。なによりいがみあう体力が惜しい。
「腹へった」
「……ああ」
不平をうち切った相棒は、すでに指定席となったソファに寝そべった。「待ち」の姿勢である。そんな彼に食わせるべく、当然のように立ち上がる自分が自分でおかしかった。
彼との出会い、もとい彼自身は多少ならず刺激的ではあったが、日々の生活そのものにそう変化はない。明らかに変わったことといえば、食事を二人分用意することになった程度だ。まずい、少ない、肉がない、と文句を言いながらも、彼はこれ以上ないというほど美味そうに自分の料理をたいらげる。これは決して気分の悪いことではない。料理人冥利につきるというものだ。ひょっとしたら、コンビを組もうと思ったきっかけもそんな程度だったかもしれない。彼の食事する姿を見ていたい、というような。

多少、栄養とボリュームに欠ける食事はあっという間に終わり、虚無的な夜がやってくる。彼はリビングから消えたが、どこにいるにしろ、起きてはいないだろう。
寝る時間でもないが、ブリッヂにいてもとくにすることがない。コーヒーを淹れてリビングに行くと、いつのまにか相棒がソファの上で横になっていた。寝る場所を変えたのだろうか。テーブルに放り投げられたペーパーバックは相当くたびれている。すでに読みあきたらしい。
「おまえも飲むか?」
「や、いいわ」
つけっぱなしのモニターでは、ストリッパーが健康的な肉体を見せびらかしている。軽快なサンバのリズムに合わせて服を脱ぎ捨てるだけの、あたりさわりのないお色気番組だ。画面端には「PG-12」の文字。放送倫理協会とやらの規制に対する、形だけのフォローである。まあこの程度の露出ならそんなとこだろう、と納得してソファに身を沈めた。彼も横目でディスプレイを眺めている。
テーブルを挟んで、二人はその無害なストリップ番組を見るともなしに見ていた。
『ありがとう、ジュリア!』
拍手喝采の中、バルーンのように太った司会者がステージから下りてきた女性に声をかける。相棒の頭がぴく、と画面の方に向けられた。胸を露わにしたその金髪女性は、よく見れば痩せこけたアジア系の顔立ちで、とりたてて美女というわけではない。
「おまえ、こういうのが好みか?」
「……キライじゃないね」
一瞬だけ眉間にしわを寄せた彼が、どこかに痛みを感じたように見えたのは気のせいだったのか。
ブロンドとはほど遠い、つやがない黄色の髪が画面から消え、今度は筋肉質の男が現れる。作り物めいた歓声の中、男はその肉体を誇示するべく踊りはじめた。もちろん脱ぎながら、である。
薬かなにかで作られた筋肉はいかにもまがいもので、先ほどの黄色い髪よりなお見苦しい。男の張りついたような笑顔に多少うんざりしながら考えた。どうせ脱がせるのなら、まともな身体を探してくるべきだ。しなやかで、むだがなくて、たとえばそう、この相棒のように……?
そう思った瞬間、青年がおもむろに服を脱ぎ捨てる姿を想像して一人でうろたえた。彼の裸など見慣れているはずなのに、それはとてもセクシーな気がしたのだ。
しっかりしろ、ジェット・ブラック。軽く頭をふって自分をいさめる。よりによって、本人を目の前にしてなにを考えているのか。
「……誰が楽しむのかねえ」
「俺はキライじゃない」
自分の意識をそらそうとしてつぶやいただけのことばに、テーブルの向こうからとても意外なコメントが返ってきた。思わず目が丸くなる。
「……節操ないな、おまえ」
「あんたの方がこいつより数倍はセクシーだとは思うけどな」
「バ、バカ言え」
妙な想像をしてしまった心を読まれているようで、つい視線が泳いでしまう。青年は薄く笑って再びディスプレイに視線を戻した。
『さあ、セクシーなマイケルに盛大な拍手を!!』
「……なあ」
「ああ?」
男が下着以外を脱ぎ捨て、踊りながらステージを下りたときだった。ふと思いついたように、その問いは発せられた。
「あんた、男と寝たことあるか」
「……ッ!?」
のどの奥にすべて流し込まれるはずだった残りのコーヒーは、霧となって司会者の笑顔にふりそそぐ。
「なっ、なんだぁ、やぶから棒に!」
「あーあー汚ねえなあ」
「誰のせいだ!」
「なあ、あるか?」
「そりゃあ、ないとは言わねえが……」
ソファに寝そべったままの彼は、片目をつぶって親指でくいっと自分の鼻を指した。
「おまえ……」
二の句が継げない、とはまさにこのことだ。
よもや自分の相棒から誘われるとは思ってもみなかった。しかもついさっき、一瞬とはいえあらぬ想像をしてしまったものだから、よけいにばつが悪い。
「……この番組のせいか?」
「ま、そんなとこだ」
「若いな……」
「おかげさんで」
飄々と言い放つ顔には愉快そうな色さえ浮かんでいる。いつもと同じ彼だ。
「冗談だろ?」
「あんたしだいだ」
「……………」
サンバの流れるディスプレイを黙らせ、それから動揺を隠すために、とりあえず煙草をくわえた。だがどうにも火がうまくつかない。それを相変わらず愉快そうに眺めていた彼が、大儀そうに起き上がる。そして自分のライターを取り出し、無言で炎の供給を申し出た。
「お、おお、悪い」
煙を勢いよく吸い込んだが、そう簡単に落ちつくはずもない。
「あと一ヶ月」
「ん?」
「一ヶ月もこの船に閉じこめられるんだぞ。することもなしにだ」
唖然として煙草を落としそうになった。それが理由なのか。しかも仕事があろうとなかろうと、寝てばかりいる男である。いきなり勤勉になったのだろうか。
「……これ以上の速度は出せねえって言ったろ」
わかってる、という様子で彼は肩をすくめた。
「だからさ」
「なにが」
一瞬の沈黙のあと、テーブルに身を乗り出した彼の細く長い指が、こちらの唇に当てられた。そのまま、煙草をさらわれる。
「汝の隣人を愛せよ、ってな」
ポケットに手をつっこんで立ち上がった彼は、口をぱくぱくさせている相手を気にする様子もない。
「……そりゃ意味が相当ちがうだろ」
ようやくひねり出したそんなことばに、しかし相棒は肩をすくめて目を細め、哀しそうにも見える儚げな笑みを浮かべただけだった。そんな微笑も三秒で消え、いつもどおりの無気力な顔にもどる。
「ま、その気になったら声かけてくれよ」
それは「メシの時間になったら呼んでくれ」と同じ調子だったが、ひとつだけちがったのは、かすれた声でこうつけ加えたことだった。
「あんたがイヤってんなら別にムリ強いしねえけどな」
そしてテーブルの上のペーパーバックを拾いあげ、奪ったタバコをくわえたままリビングを出ていこうとする。

最初のまちがいはそこだった。とあとから思う。
振り返らず、再びディスプレイに向きなおればよかったのだ。そうすれば彼は二度とその話題を出さず、自分も記憶の底に沈めることができたかもしれない。二人の関係は変わらず、一線引いた相棒同士の形を維持したかもしれない。
だが振り返ってしまった。その背中を見てしまった。ちらりと一瞬だけこちらへ向けられた、赤く哀しい瞳を見てしまった。疼く古傷に耐えるような表情は、今度は気のせいなどではなかった。
まったく、反則だ。わざとらしいほどに軽く誘っておいて、そんな表情を見せるのだから。
「スパイク」
大きく息を吐き出す。これは、救済だ。
「いいぜ」
猫背の肩越しに、彼の赤い瞳が見開かれた。
「俺はおまえほど若くもないし、たまってるわけじゃない。一ヶ月やそこら、どうってこともない。だがな、まだ枯れちゃいないつもりだ。つきあってやるよ。安っぽいノベルズよりまともな暇つぶしになるってんならな」
照れる心をむりやりねじ伏せ、くそまじめな顔でそう言ってやったが、相手は例の不思議な微笑を浮かべただけだった。
「ムリすんなって」
「してねえよ」
くす、と笑ってソファまでもどってくると、古本を放り投げて灰皿に煙草を押しつける。それから彼は中年男のひざに腰かけた。椅子の上にでもいるかのように、長い脚を組んで腕をこちらの肩にまわしてくる。一連の動作はあまりにも躊躇のない自然な動きで、つい見とれてしまったほどである。
「ス、スパイク……」
我に返ると、彼の顔が驚くほど近くにあった。当然ながらこれほど互いの身体を密着させたことはなく、それだけに気恥ずかしさと困惑が先行してしまう。そんなとまどいを見てとったのか、少しだけ彼が体を引いた。
「やっぱやめるか?」
「おっ、男に二言はない!」
「ふーん」
にっこり、という擬音が聞こえそうな優しい笑みを浮かべる彼に、なぜか敗北感を感じる。あわてふためいているのは自分だけで、彼の方は余裕そのものなのだ。負けじと、相手の顔をじっと見返してみた。
至近距離で視線がぶつかった瞬間、なにか奇妙な感覚を覚えた。視線に違和感などあるものだろうか。だが確かに……
「なんだ?」
彼が不思議そうに目を見ひらいた。そこでようやく、違和感の理由を理解する。
「おまえ、目の色が……」
「あ?」
なぜ今まで気づかなかったのか。左右の瞳の色が微妙にちがうこと、目を合わせたときに感じる違和感はそれだった。
明るい右眼と、暗い左眼。
まぶしそうに細められた瞳は、またしても不思議な笑みをたたえている。目を合わせているのにどこか遠くを見ているような、穏やかなのに不安をかきたてるような、不思議としかいいようのない微笑。
「あんたの左腕と同じさ」
しなやかな指で金属の腕をなであげられた。
「この左眼は、過去を見てる」
睦言を囁かれているような感覚に、背筋がぞくりと疼く。
「……右は?」
思わず発した問いに、眉が不機嫌そうに寄せられ、だが次の瞬間そのオッド・アイがいたずらっぽくきらめいた。
「今は、ダンナを」
左眼をつぶって、明るい右眼だけで意味ありげに笑う。不覚にも顔が熱くなった。この中年男がである。
「おっおまえ、そのセリフで何人たらしこんだんだ!?」
答えの代わりに、くすくすという忍び笑いと、頬に落ちてくる乾いた唇。
「あんたは、たらしこまれてくれるのかい?」
「バーカ、そんなに若くねえよ」
気がつけば、相手のペースにのまれている。しかもどこかで、それに安堵感すら覚えている自分がいる。少しずつ力が抜けてきたこちらの雰囲気を感じてとったのか、彼は口づけを求めてきた。
子どものように人のひざに乗って、そのくせ手慣れた商売女のように巧みに人を翻弄する。というよりはむしろ、自分が頼りない女になった気さえした。それも、なにもわからず男に身を任せるしかない生娘のレベルである。ナンセンスもいいところだ。
ふと、あることに思い至った。
「あー、そのぉ、おまえ、どっちなんだ?」
「ぁにが」
「だからアレだ、上とか下とか……」
べつにそんな役割分担をする必要もないのだが、やはり気になってしまう。
だが返事をする代わりに、彼は微笑んだ。それは哀しげでも儚げでもなく、「にやり」と擬音が聞こえそうな含みのある笑顔だった。
その凶悪な微笑に、わずかながらよぎった後悔は当然ながらすでに遅く。

とにもかくにも奔放なオッド・アイの青年は、このひざの上に居場所を決め込んだようだった。

NEXT

BACK
「ッ、スパイク……ッ」
低く荒い息と、肌がこすれる音と、汗の匂い。暗闇の中で二つの肉塊がうごめいている。
自動航行中のスターシップ、その狭苦しい船室。こんな場では珍しくもない光景だ。一抹の抵抗感と一般的道徳観念は、たぶんシャツといっしょに剥ぎとられた。
「スパイク、もう……」
ついでに矜持もベッド下に蹴りこまれたらしく、みじめに限界を訴える情けない自分も気にならなかった。気にしている余裕などなかった、というべきか。相手の青年は容赦なく責めたててくるのだから。
「っく、あ……ッ」
「もっと、もっとだ……」
うわずった声で囁く彼のことばだけが、その場にそぐわなかった。主導権はすべて彼が握っているはずなのに。なぜこんなにも切なげな声を出すのだろう。
「もっと、呼んでくれ……」
「スパイク……」
暗闇の中でちらつく赤い瞳が、苦しそうにゆがんでいる。ここでしか見せない、泣きそうな表情。
「スパ……」
汗が飛び散った。果てる寸前に彼がなにか呟いた気がしたが、混濁した意識にその音は残らなかった。

肌を合わせて初めてわかることは少なくない。
青年が自分で言うとおり性欲処理のためだけに、この関係を求めているのではないことは、最初からはっきりしていた。
普段ならありえない過剰なスキンシップ、執拗なほど肌をまさぐる手、名前を呼んでくれと懇願する声。

たぶん、彼はなにかを確かめたいか、あるいは忘れたいのだろう。

ベッドの上で、壁によりかかって煙草をくゆらす。情交相手は体力回復中、つまり死んだように寝ている。安らかといおうか、穏やかといおうか。うんざりするほど無防備で無邪気な寝顔である。
「この野郎、襲っちまうぞ」
そうはいっても、実際にはそんな体力など残っていようはずもない。まったくこの細い体のどこにそんなエネルギーがあるのかと真剣に考え込みたくなるほど、ハードなエクササイズになってしまうのだ。歳かな、などと天井を眺めながらぼんやり思ったりする。
体を動かす気力もなく、傍らには話し相手にならない男。よけいなことを考えてしまうのは、こんな時だった。しかもそれは決まって下降気味のおもしろくない結論へと落ちつきたがり、けだるい気分を最悪な状態へ追い込もうとするのである。
いつか、彼が言ったことばを思い出す。
「……汝の隣人を愛せよ、か」
そう言って彼は求めてきたのだった。ただの口実か、それとも……
「あぁ……?」
横たわったままの彼が、もの憂げな視線を投げてきた。
「なんか言ったか?」
「起きてたのか」
「たった今、夢の世界から戻ってきたとこだ」
寝ぼけ顔で髪をかきまわし、のそのそと起き上がる。
「で?」
のどまで出かかったセリフを押さえ、代わりに煙を盛大に吐き出した。
「ただの独り言だ」
言ってはいけない。真実が明らかになったとき、この関係は終わる。だからそれは決して口にしてはいけない。

 『隣人なら、誰でもよかったんじゃないのか?』

「なんでこんなことになっちまったんだか……」

吐き出すようにつぶやいた。
容易に予想できたことだ。
性欲処理のための行為といっても、感情が伴わないわけはない。とくに自分のような古いタイプに「遊びの関係」なんて器用なつきあいができるはずもなかった。単なるセックスフレンドならまだしも、せまい船の中で共に生活し、共に仕事をする仲だ。否が応にも「情」は発生してしまう。

なぜ人は、この行為を「愛しあう」なんて言うようになったのだろう。

「くっそ、このケダモノ!」
上品な罵声がリビングから聞こえた。
中華鍋をひらりと返しながら、思わず苦笑する。
先日、新しい仲間が増えた。多少毛深いが十分に愛らしく、なにがあっても不平を漏らさず、わずかな食事で事足れりとする、理想的な乗組員だ。願わくば神よ、彼に二足歩行とダイレクトなコミュニケーション能力を授けたまえ。
「俺の上で寝るなって何度言やあわかるんだ!」
ソファで昼寝していた彼の上に、その寡黙な動物が乗っていたらしい。その光景を想像し、あまりの微笑ましさに噴きだしそうになった。この船もなかなか楽しくなったものだ。
「ちっ、おかげで夢見が悪いったらねえ」
「スパイク、アイン、できたぞ」
答えるようにコーギー犬が元気よく吠えた。それに対して人間の方は、むすっとした顔でにらみつけてくる。
「ジェット、このケダモノいつまで置いとくつもりだよ」
「だから連れてきたのはおまえだ。それに懐かれてるじゃねえか」
「…………ッ」
言葉に詰まって口をへの字に曲げ、ぷいっと横を向くさまはほとんど子どもだ。
「メシ!」
「はいはい」
笑いをかみ殺しながら、大皿二枚とボウルをテーブルの上に置く。そうそう、テーブルの下にも忘れずに。
「お、デザートつきか」
つい今までむくれていた青年が、ボウルの中をのぞき込んで目をきらきらと輝かせている。完全に子どもだ。
「天然物のスモモだ。まあ、たまにはいいだろ」
「たまにじゃなくてもいいぜ」
「でかい首でも当たったらな、毎日だってつけてやるよ」
「そりゃ楽しいな」
一心不乱に炒飯をかきこむ彼を見ていると、知らず口元がゆるむ。
「あんたぁ、食あねえのは?」
箸をとめずにしゃべるものだから不明瞭だが、そんなのも毎度のことだ。ゆったりと笑みを浮かべつつ、スモモをひとつつまむ。
「料理人ってのはな、作りながら食うんだよ」
「ほおいうもんかねえ」
「食うかしゃべるかどっちかにしろ」
ため息混じりに言ってやると、青年はちらと視線をこっちに向けたあとで完全に沈黙した。つまり、食事に没頭することに決めたようだ。なんとなくテーブル下の彼と顔を見合わせ、それから皮つきのスモモを口に放りこんだ。

「ふーっ、久々に満腹って感じだな」
皿に乗っていたものをすべて胃袋の中へ収納しおえた彼は、果実の種を舌の上で転がしながら満足げにソファへ沈む。先ほどの不機嫌はどこへやら、である。
「コーヒー飲むか」
「ああ」
コーヒーと煙草と「まずい」中華料理。ここでの彼の日常は、それだけで構成されているようなものだ。いや、それと適度な運動か。朝食前のトレーニング、それから……
「なあ」
せっかくのコーヒーには目もくれず、ひざの上に腰かけて首に腕をまわしてくる。
いつも通りのストレートな要求方法。これを拒否できる強固な精神力の持ち主がいるだろうか。それとも、惚れた弱みというだけのことなのか。半ばあきらめて相手の腰に手をまわした。
「睡眠欲と食欲が満たされたら、性欲ってわけか。どっちがケダモノなんだか……」
「ケダモノはテクなんてないだろ」
耳に舌を這わせながら囁く声は、すでにその気たっぷりといったところだ。吐息の中に、果物の甘い香りが残っていた。炒飯の香ばしい香りでなくてよかった、と頭の片隅で思う。それではあまりにも雰囲気がなさすぎる。
「……やっぱりケダモノ並じゃねえか」
「どういう意味だよ」
「そのままだ」
「俺にテクがないってのかよ」
「荒っぽいからなぁ」
「あいにく、繊細な乗りこなしは苦手でね」
「言ってろ」
同じ軽口の応酬でも、普段の会話とは少しちがう甘さの混じった空気が流れる。この関係が心地よいと思うのはこんなときだ。
「しかしおまえ、まだ昼だぞ」
「関係ねえだろ、青空でも見えるんならともかく」
確かに右も左も上も下も真っ暗闇の真空空間では、無意味かもしれない。おまけに昼夜かまわずごろごろ寝ているような男である。
「俺は時間感覚と節度の話をしてるんだ」
「節度だあ? 駄犬に食わせちまえ」
吐き捨てるように言ってから、なにかを探すようにあたりを見回す。だがそれ……彼の言う駄犬……は、いつのまにかリビングのどこにもいなかった。
「駄犬は?」
「さあな。気を遣ったんだろうさ」
「食わせてやろうと思ったのにな」
「おまえな……」
……少なくとも、この相棒よりは高等動物だろう。きょろきょろしながらも一向にひざの上から降りる気配のない、昼間からリビングで行為に及ぼうとする男よりは。
「まあ、ちょうどいいか」
向きなおったその瞳に、とまどう自分の顔が映った。なんて顔だよ、と自分で思う。なんだってこんな情けない顔をしているのか。
「ケダモノだろうと、見られて燃えるシュミはないからな」
なにか返してやろうとしたが、唇をふさがれた。直接的に相手を黙らせるのは得意らしい。
「俺に、テクが、ないって?」
接吻の合間に、挑発的な囁きを投げかける。有無をいわせないその言動自体が、すでにテクニックのひとつなのかもしれない。そんなことを思いながら、絡みつく舌に応えている自分がいた。

「ここにいたのか」
先ほど彼によって著しく名誉を傷つけられた生き物が、ブリッヂにある航行図の上に座っていた。
「悪ぃな、気ぃつかわせちまって」
まさか本当にそんなことはないだろうが、絶妙のタイミングで姿を消した彼には礼を言っておきたい。
「スパイクもなあ、もうちょっとばかしおまえさんと仲よくできないもんかねえ」
寡黙な乗組員は、モニターの上で茶色い耳を伏せた。その動作は落胆と諦観を思わせ、少しだけ同情をさそう。
「そう落ち込むなよ、あいつだっておまえが嫌いなわけじゃない」
了解の意を示すためか、そのコーギー犬は耳を立てて吠えた。

そう、きらっているわけではない。
この犬も、自分のことも。
ただ、関心がないのだ。

「汝の隣人を愛せよ、か」
わけもなくこめかみを押さえた。
「わかってるさ」
あの明るい右の眼すら、自分を見てはいない。現在も未来も視界に入っていない人間に、隣人など見えるわけがない。ただ漠然とした暖かさを求めてすり寄ってくる。彼にとってのセックスは、本能的なその行為と等価値なのだろう。

「なんでこんなことになっちまったんだか……」

本気になっているのは、自分だけだ。

こんなにも想っているのは、自分だけなのだ。

送信中です

×

※コメントは最大500文字、5回まで送信できます

送信中です送信しました!