速水/草壁
相棒10:速水智也/草壁彰浩
町外れの廃倉庫。
そこへ向かう道すがらさえ人気のない建物の屋内に、長身の男が二人立っていた。
「……どうですか」
「……………」
草壁は速水の問いには答えず、忙しなく倉庫の中を歩きまわる。ときに懐中電灯を取り出して念入りに検分する彼を、速水は鉄骨の柱に寄りかかって眺めていた。
やがて速水の前に戻ってきた草壁の表情は、そのあとの言葉を必要としない程度には心情を露わにしていた。
「立地はいいが、隙間が多いな。壁も弱い」
「そうですか。では別の場所を探します」
速水は気分を害するでも落ち込むでもなく、淡々と言葉を返してくる。
「すまないが……」
草壁も悪く思わないわけではない。だが完璧な計画のためには、完璧な舞台設定が必要だ。拠点となる場所は慎重に選ばなければならない。速水もそれを理解しているから、この程度のことで不機嫌になったりはしないのだろう。
使えない場に長居は無用だ。さっさときびすを返そうとした草壁の腕を、不意に速水が掴んだ。
「おい……」
ふり返りながらも、その真意はわかっていた。縋るような瞳を覗き込むまでもなく。
青年はそのまま草壁を引き寄せ、背中から抱きしめる。
「速水」
つとめて冷静な声で呼びかけたが、そんなことで彼を動かせるとは思っていなかった。
速水の手はシャツの上から草壁の胸をまさぐり、ジーンズのベルトにためらいもなく手を掛けている。首の後ろに濡れた唇が押し当てられ、草壁は思わず息を洩らした。
普段は控えめな態度を崩さず、従順に草壁の言葉を聞いているのに、この欲求に関しては譲る気がないらしい。遠慮も慎みも忘れ、まっすぐに草壁だけを求めてくる。
「……………」
言葉はなく、ただ背後から聞こえる息が荒くなっていく。大きな手は服の中へ這い込んで、直に草壁の肌を味わおうとする。
「待て、速水……」
なんとか彼の腕を振りほどいて、正面から向きなおった。上気した顔に、平素の醒めた様子などわずかも残っていない。それほどまでに求められているという事実が、冷徹な軍人の心を揺さぶる。
草壁は彼の頬に触れ、指先でそっと唇をなぞった。
「さびしかったか?」
肉感的な柔らかい唇が、わずかに笑みをかたちづくる。次の刹那、速水は草壁の頭を抱き寄せて唇を重ねてきた。
「ん……っ」
餓えた獣のように、猛然と襲いかかってくる。それが速水の口づけだった。焦燥すら感じるその接触を、草壁は逃げまいとして受け入れる。今の彼にとって、自分は世界の全てといっていい。その責任を取るのが義務というものだろう。
「んんっ……」
やがて舌が唾液の糸を引いて離れ、二人は鼻先が触れる距離で見つめ合った。もう、戻れない。草壁は諦念にも似た確信を持つ。こうなった速水から逃れることはできない。
錆びた鉄の柱にもたれ、挑んでくる青年を抱き止める。
ジーンズの前を自分で開けると、焦れた様子で速水が自分自身を押しつけてきた。
「……っ」
声こそ上がらないが、二人の呼吸がとたんに荒くなった。
熱い息を洩らしながら、速水がカーゴパンツのポケットからなにかを取り出す。草壁には見なくてもわかっていた。
「用意がいいな」
「入ってたんです……」
ひとつを手渡されたが、あいにく片手はふさがっている。パッケージを噛みちぎって開け、熱を帯びかけた自身に着けた。
速水も手早く準備を済ませ、再び腰を押しつけてくる。薄い膜越しにぶつかり合う性器を、草壁は大きな手でまとめて握り込んだ。一気に追い上げようとするその手を、速水が押さえる。
彼は熱っぽい目をまっすぐ草壁に向けた。
「抱いて……くれませんか」
人が来る可能性は限りなく低い。速水はそういう場所を選んだはずだ。それはわかっているが……
「草壁さん……」
懇願というよりは恫喝に近い口調で囁かれ、草壁はうなずくしかない。
「……………」
腕をつかんで柱のほうを向かせると、速水も意図を汲んだらしく、なにも言わずに従った。
計画のために姿を隠し、接触も避けるようになってから、速水はたまの逢瀬に必ず草壁を求めた。どんな場所でも時間でも。会えない時間を埋めるように。口づけ程度で済ませることもあるが、今日はひどく飢えているようだ。
「ぅう……んっ」
柱にしがみついた速水は、うつむいて声を洩らしそうな口を押さえた。
どんなに騒いだところでだれに聞かれるわけでもない。だが、速水は派手に嬌声を上げたりはしない。自ら求めておいて、まるで耐えるかのように声を殺す。ところかまわず始めようとする貪欲さとは裏腹に、その姿は常にストイックだった。
「速水……」
反射的に逃げる腰を押さえ、奥まで貫きながら耳元に語りかける。びくりと震えた身体は、つながりのせいなのか声のせいなのか。
「耐えるな……俺もつらくなる……」
乱れた髪のあいだから、潤んだ目が草壁を一瞥した。
「草壁さん、だって……っ!」
ほとんど息だけでそう言いかけた速水は、草壁の動きに応えて喘ぐ。相変わらず、ひそやかに。激しく腰を叩きつけても、前で揺れる欲望を乱暴に愛撫しても、速水はひたすらに自分の口を押さえつけ、こみ上げてくる声を喉の奥で飲み込みつづけていた。
そんな姿がいじらしくも歯がゆくもあり、草壁はさらに速水を責める。求められたから仕方なく、などという言い訳をする気はなかった。会えない相手に想いを募らせていたのは、速水だけではない。
「ぁ……っ!!」
声にならない声を上げて、青年は達した。草壁も彼の中で終わりを迎えた。
事前の用意のおかげで、服も周囲も汚れていない。ここで、静かだが激しい情事がおこなわれたことに気づく者はいないだろう。
ぐったりと柱にもたれた速水は、後始末もおぼつかないようだった。
草壁は後ろから手を回して服まで直してやり、それから自分の始末をするために身体を離した。そのあいだも柱にひたいを押しつけたまま、速水は肩で息をしている。
タバコの箱を取り出して最後の一本をくわえると、空になった箱の中に使用済みのコンドームをねじ込む。
それから速水にかける言葉を探したが、なにも思いつかず、ただその肩を叩くだけしかできなかった。顔を上げない速水を置き去りにして、大きな扉の隙間から外へ出る。
時刻は夕暮れに近く、雲の色も赤く変わりはじめていた。
外壁にもたれかかって煙を吐き出しているうちに、少しずつ頭が冷えてきた。
と同時に、自分に向けられる熱っぽい視線を思い出す。
彼は草壁の思想に同調したのではない。草壁を愛したからこそ同調しようとしているのだ。わかっていて、その心を利用している自分の卑怯さにも自覚はある。
求められれば抱かれもするし抱いてもやる。まるで身売りだ、と自嘲気味に思わないこともない。これまでの人生では、そんな手段を軽蔑してきたことも事実だった。だがあの青年だけには……
背後から、砂を踏みしめる足音が聞こえた。
「帰ってなかったんですか」
今の状況で二人並んで帰るのは危険だ。それぞれ、人目につかないよう密会場所を立ち去るのが妥当……速水にそう教えたのは草壁だった。なのに草壁がまだいるということに、速水は驚いている。
「待ってたわけじゃない」
タバコを吸っていただけだ。指に挟んだタバコをわずかに掲げ、そう示してみせる。
理解した速水は、ふわりと笑った。ひどく無防備な、それゆえに草壁の心を波立たせる表情で。
「一本、ください」
これが最後の一本だと言う代わりに、草壁は短くなった吸いさしを彼の口元に持っていった。おとなしくそれをくわえた速水は、微笑みで礼を言い、そのままふらふら歩き出す。
「今度、返せよ」
返事の代わりに軽く片手を振った彼は、散歩でもするかのようにゆっくり歩いていく。用のない場所に意味もなくとどまるのは危険……それを知りながら、速水は少しも歩みを早めない。ここでの時間を名残惜しく感じているのだろうか。
速水が道の脇に吸い殻を捨てるのが見えた。
草壁は無意識のうちにジッポを取り出す。それからタバコがもうないことを思い出して、ひとり苦笑した。
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