戦兎/石動
【ご機嫌とり】
もやもやむしゃくしゃする気持ちを腹のあたりに抱えたまま、ベッドに倒れ込む。
今日はいろいろありすぎて、明日は自分の過去に会えるかもしれない。
考えるべきはこれまでのことか、これからのことか。
思考は拡散していくばかりで、なんの筋道も見つからない。糸口さえ掴めれば、あとは迷路を楽しむ余裕もあるのに。
「戦兎くーん」
背後から声をかけられるが、答えてやる気分ではなかった。
頭の下に置くものを自分の腕から羽根枕に切り替えたところで、背後に彼が腰を下ろすのがわかったが、それでも無視する。
「いいかげん機嫌直しなよ」
後ろから頬をつつかれる。ちらりと視線だけを投げると、こちらを上から覗き込んだ顔がにかっと笑った。
「……!」
思わず、枕に勢いよく顔をうずめる。
わかっている。自分がこの人を疑いきれないことを。相手もそれを承知でいることを。
彼の説明には納得していたが、ただ悔しかった。一年のあいだ、自分が試されていたことも、そして彼がまだ全てを明かしてくれていないことも、わかっているから悔しかった。
いろんな思いや言葉を飲み込んで、枕から顔を離す。
「……なんか用?」
横目で睨みつけられた石動は、半笑いでのけ反る。
「いや、用って。ここ俺のベッドだし」
たしかに戦兎が今いるのは石動の部屋で、自分が堂々とベッドを占拠しているのが客観的におかしいのは理解している。自分の発言が理不尽なのは承知の上で、戦兎は枕を抱えたまま仰向けになった。
見下ろす相手と正面から視線がぶつかる。
「マスター……なんで俺だったのさ」
この男なら、と彼は言った。でもその理由は語ってくれなかった。今さらそんなことを聞いても意味がないと思わないではないが、彼の顔を見たら自然と口から問いが出ていた。
石動はわざとらしく目を丸くし、それから口の片端を上げてトレードマークの帽子を取った。なにをしてもいちいちサマになるのが今は腹立たしい。
男前の顔が近づいてきて、眼鏡が頬に当たると思った瞬間、唇に音を立てて口づけられた。
「おまえが、かわいかったからかな」
「……!」
戦兎は呆然と離れていく顔を見つめる。
接触はいつも自分からで、彼のほうから仕掛けてくるなどほとんど覚えがない。
そのせいで、相手の言葉を理解するのに少しばかり時間がかかった。
「ふっ……ざけんなよ!」
飛び起きた勢いで彼につかみかかり、ベッドに押し倒す。戦兎の筋力が生身の状態でも尋常ではないことはお互い知っていたが、たとえ見た目どおりの細腕だとしても彼は逆らわなかっただろう。
位置が逆転し、戦兎は石動の肩を押さえつけていた。
見下ろした顔には直前までのにやけた表情など見当たらない。わずかに眉を寄せこちらを見つめている。
「おまえこそ、こんな中年男のなにがいいんだ」
不毛だ、と戦兎は唐突に悟る。
一連の会話には正答も結論もない。戦兎は語るべき事実を持たず、石動に語る意思は未だない。
「……わかってるくせに」
彼の顔からじゃまなサングラスをむしり取り、口に噛みつく。わざと荒っぽく挑んでみたが、いなすように応じられているうち普段の感覚が戻ってきた。つまり頭が冷えてきた。
代わりに体のほうが熱を持ちはじめ、余計なことを考えるよりはよほど建設的な展開だと自分の気持ちをそちらへ切り替える。
シャツの中に手を突っ込むと、彼は熱い息を吐き出し身をよじるのと同時に、戦兎の頭を優しく撫でた。そして低く囁く。
「黙ってて、悪かったよ」
「……なんで今言うかな」
それ以上の言葉が見つからず、戦兎は石動の胸元にひたいを押しつけた。
大きな手が、ずっと頭を撫でていた。
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