飛羽真/賢人

2020_仮面ライダーセイバー,[R18]


「比翼の鳥、羽を休めて。」

1.賢人×飛羽真
2.飛羽真×賢人
3.その後


一年ぶりの、といっても自分自身にそれほどの時が経った意識はないのだけれど、とにかく現実の我が家は、驚くほど変わっていなかった。
あたりまえに風呂に入って、髪を洗って、いつものシャンプーがきちんと補充されていたことに上がってから気づく。
タオルは自分がそうしたように丁寧に畳まれていて、冷蔵庫の中身も記憶とほとんど変わっていない。家具に埃も積もっていないし、細々とした日用品もあの日からそれほど動いていないように見える。
長い夢を見ていただけで、皆と別れたのはつい昨日だったのかもしれないと錯覚するほどに。
「ずいぶんきれいに住んでたみたいだね」
自分のあとに風呂に入って、烏並みの早さで出てきた賢人に笑いかけると、彼は照れくさそうに目を逸らした。
「……飛羽真がなにを大切にしてるのか、わからなかったから」
飛羽真がいないあいだ、賢人が家と店を維持してくれていたことは皆から聞いた。飛羽真がいつ帰ってきても迎え入れられるようにと、この家で暮らしながら店を開け、あの日の状態を保ちつづけていたのだと。
「うん……うれしいよ」
日常の中にも自分だけの些細なこだわりが山ほどあることを、飛羽真は他人に話したことはない。しかし賢人は、わからないなりにすべてをそのまま守りつづけてくれた。
どれほど心を砕いたところで、飛羽真にとっては取るに足らないものかもしれないのに。なによりも、飛羽真がこの家へ戻ってくる保証はどこにもなかったのに。
「おれのパジャマ、ぴったりだ」
「じゃあ、もうおれのかな」
胸を張ってそう言う賢人は、躊躇うこともなく飛羽真のベッドに腰を下ろした。そんな軽口を叩くところはまるで変わっていなくて、安堵の笑みが洩れる。
アンティークな棚の引き出しを開けた飛羽真は、一年以上前に買ったスキンの箱を取り出して破顔した。
「これは『あの日』のままだよね?」
「減ってたら大ごとだろ」
苦笑する彼に、それを開けながら歩み寄る。
「洗面所に、歯ブラシが二本あるの見てさ。なんだか、ずっと二人で住んでた気分になった」
賢人がこの家に住んでいるという証拠を見つけて、つい頬がゆるんだのだが。
当の賢人は苦しげに髪をかき上げただけだった。
「……あれを見るのがいちばんつらかったよ」
「賢……」
互いの「時間経過」のずれを思い知る。確実に一年は過ぎていたのだ。
「飛羽真の家なのに、どこにも飛羽真がいない……なんでおれだけがこのベッドにいるんだろうって……」
彼にとってはこの家のすべてが、飛羽真がいないという現実の象徴でしかなかった。
「ごめん、ごめんね……」
夢中で抱き寄せると、相手も力を込めて抱き返してくる。
「おれは、おまえに何回こんな思いをさせたんだろうって……」
幾度も離れて、相手の死を味わって、彼方を彷徨って、最後には一人欠けて。二度と三人には戻れないからこそ、今目の前にいる相手が最も大切だとわかった。
「おれも……この部屋で何度泣いたかわからないけど……」
熾烈な戦いの中、仲間たちの前で、いつまでも自分の感情にだけ浸ってはいられない。だが独りになると喪失感が襲ってきて、眠れない夜も少なくはなかった。
しかしこの一年、彼に同じ苦しみを強いたことを思えば、自分の嘆きくらいなんということはない。
飛羽真は懸命に笑顔を作り、相手の顔を覗き込んだ。
「賢人が、おれのパジャマ着ておれのベッドにいるだけで、最高に幸せだよ」
もうどちらかが嘆く夜は来ないのだ。
賢人もむりやり口角を上げてみせ、飛羽真の頬をさする。
「もっと幸せにしてやろうか」
「うわ、作家でも思いつかない名台詞……」
「バカにしてるな?」
笑いながらベッドに倒れ込み、どちらからともなく唇を重ねた。
触れた瞬間、その生々しさに衝撃が走る。
なじみ深い彼の匂い、少し冷たい舌、唾液の混じる濡れた音、視界を覆う伏せられた瞼、のしかかってくる体の重み。
どれもあの美しい世界にはなかった、そして必要ともしなかった感覚だ。
「は……っ」
呼吸がつづかなくなって大きく息をついたときには、シーツに肩を押さえつけられていた。
「……飛羽真」
それが了承を求めるときの表情であることは覚えていたから、こちらも気持ちを込めて見つめ返す。
「ちゃんと、愛してよ」
賢人はわずかに目を見開き、呆然と呟く。
「神山先生が使ったことのない台詞だな」
「なんで知ってるのさ」
たしかに飛羽真は小説の登場人物に「愛」について言及させたことはなかった。だが「ない」ことには普通気づかないものだ。
「神山飛羽真のファン第二号だから」
第一号は彼女に譲って、賢人は飛羽真の首筋に顔をうずめた。柔らかい場所に痕をつけられ、その感覚に身を震わせる。
「もっと……」
彼の頭を抱え込んで、その傷をさらに要求した。賢人は飛羽真を脱がせながら、律儀に応えてくれる。肌を吸われるたび、記憶が甦ってきた。なにを信じるべきかもわからず、戦いの先にあるものも見えず、ただ手近にある存在として求め合った、わずかな休息での交合を。
「ぁあっ……」
胸の突起を舐め上げられ、快感につい声が洩れた。そこが弱いと知っているから、賢人も執拗に責め立てる。歯を立て、強く吸い上げ、舌先で嬲り……ただそれだけの愛撫に屈し、飛羽真は甘い喘ぎをこぼしつづける。
肌に散る紅の数もわからなくなったあたりで、器用で遠慮のない手が下着の中に差し入れられ、着ているものは強引に剥ぎ取られた。
「ずるいよ、賢人も脱いで」
そう言いながら服を引っぱると、「なにがずるいんだ」と言いながら自分で脱いでくれる。
そのパジャマがだれの所有物かなどはもうどうでもよかった。今、飛羽真のものはすべて賢人のもので、そして賢人は飛羽真のものなのだ。
再びの口づけとともに、今度は裸の胸が重なる。片ひざを持ち上げられてわずかに羞恥心がよぎったが、それも束の間のこと。
コンドームをかぶせた指が這い込んできて、それこそ忘れかけていた感触に身をすくめた。
彼はひどく慎重に、飛羽真の中を解していく。キスの合間にこちらの様子を絶えず伺いながら、飛羽真が刺激に喘ぐたびに具合を尋ねながら。
しかし「だいじょうぶか」と尋ねられたところでろくな返事もできず、ただ何度もうなずくしかない。
内側を探られる違和感と、性感を掠められる焦燥と、この先への期待でどうにかなってしまいそうだ。
「もう……もういいから、早く……」
「急かすなよ」
彼は苛立ったように深く息を吐き出し、重い前髪を振り払った。
それが自分自身の欲望に対する焦りだと知っていたから、うれしさもあってつい笑ってしまう。
しかし本気の目をした相手に、いつまでも笑ってはいられない。
「――……っ!!」
声にならない悲鳴を上げ、必死で賢人にしがみつく。
「あっ、ぁあっ……」
みっともない自分の声を聞きながら、本当に生を取り戻したのだと感じた。
ありえない部位の痛みと、それ以上に全身を駆けめぐる快感と、そして激しく求められている実感は、今ここにしかない。
こちらを見下ろした賢人が、ぎょっとした顔で動きを止める。
「悪い、やりすぎたか!?」
相手の頬が涙で濡れているのに気づいたからだろう。飛羽真は首を振り、自分の顔をこすった。
「ぜんぜん、足りないよ……」
欠けた時間を埋めるには、まだまだこの程度では収まりそうにもない。

暗い部屋の中、お互いの汗ばんだ背中にもたれ合って、二人は息をついていた。
欲を吐き出して落ちついたわけではなく、止めどない渇望を一度落ちつかせたくて。でなければどちらかが壊すか壊されるかしてしまいそうだったから。
賢人がかすれ声で呟く。
「おれは何度も飛羽真を置き去りにしてきたから……今度はおれが、何十年でも待つつもりだった」
彼はたしかにそれを実行しただろう。自分の生涯を投げ打ってでも。
「早めに帰れてよかったよ」
彼を待たせた日々を思えば、少しも早くはなかっただろうけれど。しかし手遅れではない。
「浦島太郎にならずに済んだ?」
「もちろん、それもあるけどさ」
飛羽真は思わず笑い声を上げ、寝返りを打って賢人の背中に抱きついた。自分だけが今のままで、彼が父親そっくりに歳をとっていたらたしかに戸惑うかもしれない。幸い、そうはならなかった。
「これから、何十年もずっといっしょにいられるじゃないか」


肩に、唇が触れる。
その口は同時にしゃべりつづけてもいた。
「ユーリが前に言ってたんだ……」
肌に息が当たる。冷静な語り口とは裏腹に熱く湿っていて、先ほどまでの行為から少しも切り替えられていない。
「ワンダーワールドでは、誰かといても常に独りだ、って」
ベッドの中で後ろから抱きしめられ、賢人はただ彼の言葉を聴いていた。汗ばんだ肌が隔たりなく重なっていて、しかし今はそれが心地よく感じられる。
「向こうではそれが普通だと思ってたけど、こっちに来て知ったって言ってた……」
博識なユーリが発揮する純粋ともいえる好奇心は、いつも仲間を驚かせていた。そんな彼自身の最たる驚きは、「生身の体」を得たことだったらしい。
その新鮮さと違和感を、飛羽真はいつのまにか彼から聞き出していたようだ。
「たしかに、ぜんぜんさびしくはなかった。でも……」
彼が新しく創造したというその世界では、こちらの世界にはすでに存在しない人々が顕れたという。彼を励まし、送り出してくれた人々が。
「『独り』の意味は、よくわかったよ」
現実の肉体はなく、肉体を維持するための欲もなく。だれかの手を握っても、抱き合っても、この世界と同じ感触があるわけではないと。
神山飛羽真ならば、それもありなのかもしれない。この世の理から解き放たれて、幸福で美しい物語を紡ぎつづける彼ならば。
「同じ『独り』でも、ぜんぜん違うんだな……」
自分の周囲には、仲間たちがいた。「残された」賢人を案じて、入れ替わり立ち替わり様子を見にきてくれていた。倫太郎や芽依はなにかと理由をつけてほとんど毎日顔を出していたし、ときにはあの神代兄妹までもが、下手くそな世間話をしにくることもあった。
あえて明るく気丈にふるまっていることなど、皆にはとっくに知られていたのだろう。だが賢人の行動を止める者はいなかった。
頼り甲斐のある仲間たちと、それから店を訪れる小さな常連たちのおかげで、正気を保っていられたと今になって思う。
それでもこのベッドで過ごす夜の孤独だけは、どうすることもできなかった。
ノーザンベースの自室に戻ってしまえば楽だろうと幾度も思ったが、飛羽真の帰る場所を一瞬たりとも「空き家」にすることは許されない。飛羽真が出ていったときのまま、この空間を守っておかなくては。
ただ愚直に、自分の思い込みだけをよすがにして、賢人は一年ものあいだこの家で暮らしていた。
時に彼を想って熱くなるこの身を持てあましながらも。
「……ワンダーワールドでは、欲しいとも思ってもらえないのか」
ぽつりと呟いた賢人を、飛羽真はさらに強く抱きしめる。
「だからかな。こんなに欲しくてたまらないのは」
耳へ触れそうな距離で囁かれた声に、体の奥が疼く。それはもう身を焦がす切なさではない。彼に触れられている歓喜だ。
「おれは、ずっと飛羽真が欲しかったよ」
「うれしいな」
喉元に細い指が触れ、その手があごから口元へと上がってきた。唇をなぞる指先を舐めると、その指は口の中へと這入ってきて舌を絡め取ろうとする。
「ぁ……っ」
唾液が彼の手を伝ってこぼれていく。飲み込もうとするほどに飛羽真の指がじゃまをしてままならない。
「飛羽……」
たまらずに、彼の指へ歯を立てた。すまないとも痛かったかとも言えずに、手を後ろへ伸ばして背後の彼に縋ろうとする。うれしそうに息だけで笑った彼が、耳に優しく噛みついてきた。
「もっと、濡らして……汚して……」
熱に浮かされたような声とともに、もう一方の手が腰骨を撫で下ろして局部へと伸ばされる。
「んっ……!」
少しも満足していないそこは、長い指が絡みついただけで浅ましく反応し、彼を求めはじめた。熱は急激に集まっていくのに、慈しむように緩慢な動きで触れられるのが、焦れったくてたまらない。
「ふ……ぁっ」
なにかを訴えたくても、言葉は封じられている。手はなんとか飛羽真の腰を掠めるが、こちらから抱きしめることも叶わない。しかし与えられる刺激に抗うことはできなかった。
「ごめん……」
飛羽真が不意に謝罪を口にして、蕩けかけていた頭が戸惑う。
「賢人を欲しいって思う気持ちまで、忘れてたんだ……」
それは少しも罪ではないと叫びたかった。帰ってきてくれただけで、今こうして二人で過ごせるだけで、充分すぎるくらいなのだと。今、彼の劣情を全身で感じられることが幸せなのだと。
飛羽真の昂ぶりが後ろに当たっている。受け入れる支度はしていないが、今すぐにそれが欲しかった。
もう一度、舌を弄んでいる指を噛む。今度はわざと、少しばかり強めに。
すぐに意図を理解した彼はやっと口を開放してくれた。
汚れた口元を拭うのもそこそこに、首をねじって相手を見返る。目が合った飛羽真は一瞬驚いた顔をして、しかしすぐに唇を重ねてきた。
「……おれだけが、がっついてるみたいじゃないか」
苦しい口づけの後に苦情を述べると、相手は困ったように眉を寄せる。
「だって……」
ぐいと腰を引き寄せられたかと思うと、彼の猛った熱が腿のあいだに押し込まれた。
「おまえ、それは……っ」
「ぁん、あっ!」
返事の代わりに抑えきれない喘ぎで応えた飛羽真は、そのまま腰を打ちつけてくる。彼らしくもない手荒さで、無意識に逃げようとする腰を押さえつけて、しかし抱かれているときと変わらない嬌声を上げて。
受け入れているわけではないとはいえ、欲望を直接ぶつけられている感覚は実際の交わりと変わらない。昂ぶった彼自身が賢人のそれを裏側から擦り上げてくるせいで、中を突かれるよりもダイレクトに刺激を受けることになる。
「飛羽……ぁっ!」
賢人がその責めに陥落するのと、飛羽真の熱が弾けるのとはほぼ同時で、絶頂の悲鳴も重なった。
「賢人、賢人……」
飛羽真に後ろから抱きしめられたままで快感の余韻をやり過ごすが、どちらの体が震えているのかわからない。先ほどと同様に、醒めていく感覚は少しもなかった。
いきなり犯したりはしない彼なりの優しさであることは嫌というほど理解していたが、それはそれとして。
「あんまりだ……」
「ごめん、焦りすぎた」
声も小さくなっている彼をもう一度ふり向いて、また目を合わせる。
「奥までは、欲しがってくれないのか」
「……!」
泣きそうな顔で覆いかぶさってくる飛羽真を抱きとめ、賢人は安堵の笑みを浮かべた。


いつのまにか番犬の位置に納まった神代兄妹を背後に携え、ソフィアは美しい微笑で賢人を迎える。
「おかえりなさい、エスパーダ。大切な役目、ご苦労さまでした」
思わぬ言葉に驚いて、彼女の立つ場所を見上げる。
「いえ、おれはなにも……」
「セイバーの住処はノーザンベースのゲートでもあります。あなたが守ってくれて、とても心強かったのですよ」
「はあ……ありがとうございます……」
私情で行動することに否定的だった組織が、完全な個人的感情で動いた結果をそこまで賞賛してくれるというのも、どこか面映ゆい。飛羽真以外のだれかのためとは少しも思っていなかった気まずさも手伝って、つい返事が弱くなる。
「しかし、本当によろしいのですか」
わずかに眉を曇らせた彼女の言いたいことはわかっていた。
「飛羽真が帰るまでと決めていたので」
一年間「かみやま」とそのバックヤードを守りつづけた賢人は、家主の帰還と入れ替わりでノーザンベースへ戻る。ソフィアにはあらかじめ伝えてあった。
「あそこは、飛羽真がたった一人で作り上げた自分の城みたいなものなんです。おれが居ついたら、きっと飛羽真の領域を侵してしまうから」
彼がいない世界で、彼の存在した痕跡をなぞりつづけて理解した。
神山飛羽真の世界は、彼の欠落と孤独が生み出したものだ。彼の物語も、彼の生活も。
温厚で人当たりのいい本人からは想像できないほど、とても繊細でどこか偏執的で……そのひとつひとつに触れるたび、すべてが愛おしく感じられた。なにひとつ変えてはいけないと思った。
彼そのものである彼の世界を守るために、自分は自分のあるべき場所へ戻ることを決めたのだ。
「ここはあなたの家で、わたくしたちは家族ですから。戻ってきてくれてうれしく思いますよ。
そしてこの先また違う選択をしたとしても、尊重されると覚えておいてください」
ソフィアの言葉に、感謝を込めて深く頭を下げる。
頭上では玲花が兄に向けて、しかし賢人に聞こえるように囁いていた。
「彼らはなぜまた離れるのでしょう」
「他人の事情に口を挟むな」
たしなめる凌牙の声を聞きながら、賢人は静かに微笑む。
少しも離れてなどいない。二度と離れるつもりもない。

扉の向こうからバタバタと騒がしい足音と声が聞こえてきた。
以前なら殺気を放って身がまえていたであろう兄妹が、ため息をついたり顔を見合わせたりして少しも警戒を見せない。彼らもこの緊張感のない日々に慣れつつあるようだ。
「賢人がこっちに戻るってホント!?」
「飛羽真と暮らすんじゃなかったんですか!?」
「一回の喧嘩くらいで早まるんじゃない……」
芽依と倫太郎と大秦寺が一斉に駆け込んできて、室内は途端に騒がしくなった。彼らの背後から、帽子を直しながら長身が困った顔で現れる。
「喧嘩はしてないったら……こんにちは」
今でも組織に属していない彼はいちおうの礼儀としてソフィアに挨拶し、賢人の横までやってきてごく自然に肩を抱いてきた。こちらもあたりまえに腰を抱き返す。
互いに触れている、ただそれだけでひどく安心する。当分はこの感覚が抜けないだろう。
「だって、お隣さんみたいなもんじゃないか。毎日会えるし、とくに問題なくない?」
涼しい顔でこともなげに言う彼だが、喧嘩とまではいかずともそれなりに一悶着あったことは、賢人だけが知っている。
彼の言葉どおり「毎日会える」というところで落ちついたものの、ちょうどいい距離感を掴むには互いにもう少しかかりそうだった。
「スープの冷めない距離というやつだな。最適解かもしれん」
いつからいたのか階段に座り込んだユーリが、いつものしたり顔でうなずいている。飛羽真から聞いたワンダーワールドのことを思い出したが、この飄々とした男にも「触れたい」相手がいたのだろうか。
肩を組んだままの飛羽真が笑顔で覗き込んできた。
「賢人の部屋、見せてよ。ついでにみんなの部屋も見学したいな!」
そういえば飛羽真をこの奥へ連れていったことはなかった。今度は自分を飛羽真に見せる番かもしれない。
「いいだろう、じゃあ倫太郎の部屋からだ」
「待ってください、どうしてぼくなんですか!」
いきなり巻き込まれてあわてる倫太郎と、見たい見たいとはしゃぐ芽依の裏で、大秦寺が気配を消して立ち去ったのを見た。自室に鍵をかけにいったのだろう。騒がしくも和やかなこの時間がずっとつづいてほしいと願う。
「部外者を私室へ引き入れてもよいのですか」
「ええ、なにしろ『お隣さん』ですもの」
玲花の問いにソフィアがおっとりと答えるのを聞きながら、賢人は確かめるように飛羽真を強く抱き寄せる。
だいじょうぶ、彼はここにいる。この先も毎日顔を合わせられる。

ずっと、いっしょだ。

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