復活のコアメダル感想[2022.3.21]
※2022年追記:
お蔵入りを迷っていた記事。無視するって言いはっても、これが「制作されてしまった」事実は消せないんですよね。この作品が存在するかぎり、もう今までと同じようにオーズ関連作品を楽しめないことが悔しくてならない。
だれのための周年作品か。
週5でメズールの矢作さん見てるから(クックルン)、ちょっとのシーンなのに応援してしまったよね。
千世子さんの甲斐さんもね、介人の母ちゃんでね。きっとスシトピアの前はオーズトピアにいたんだなってね。
10年後、しゅうりょんより目にしてるのがその二人とは思いもしなかったです。
以下ネタバレにつき注意。
まあもうあちこちでネタバレされてるとは思うけど。
上映回数も少ないから初日初回行ったんですが、いちばん大きいシアターが2日前の販売開始日にもう満席でしたね。
出遅れたため前方列しか余ってなくて観づらかった……画面が視界に入りきらないのよ……田崎監督どアップ多いし……
満席の劇場が明るくなったあと、「なんでだよ!」って叫びながら大声で泣いてる女性がいて。
そういえば前にビルドのクローズを観に行った友人が、エンドロール終わった瞬間「なかったことにするわ!」って叫んだ客がいた、というのを聞いたことがあって、それと同じだなと。
劇場内で個人的な感想を叫ぶ是非はさておいて(上映前や上映中じゃないし)。
なかなか立てずに泣いてる観客が多かったのは事実で、それがどういう性質の涙かと思うとなかなかやりきれなかったです。
ちなみに私は映アンで一年本編並走してやりきったほうの人間です。
今さら新規の展開を期待してたわけでもないし、毛利脚本なら多少のブレは仕方ないし、まあキャスト再集結するなら観ておくか、くらいの感じ。
「いつかの明日」は概念で、永遠に来ないのが正解だと思ってた。
それはそれとして、どうにかするんだろうなって。
ゴーカイ10周年が満点だったから油断していたのかもしれません。
ずっと感じてたのは、「伊達さんが医者という設定はなくなったの??」でした。
瀕死だけどまだ生きてる人間を前にしてぼーっと立ってるだけで、一度も本人に触れなかった、と思う。つまり事前に体の状態を判断することはできなかっただろうと思う。
だとしたら、死体じゃないとわかった時点で、愁嘆場に割り込んでも蘇生を試みるのが正しい行動なんじゃないのか。
伊達さんや周りのみんなが必死で悪あがきしても救えなかったというなら、もしくはあの場に伊達さんがいなくて3人だけだったら、まだ受け入れられたかもしれないんだけど。
最終回では伊達さんも後藤ちゃんも「縋る先」の一人であったはずなのに、物語を映司アンク比奈に集中させたいがために伊達&後藤がバース新フォームお披露目要員でしかなかった。「メインじゃないから」個別の物語が不要なのはわかるけど、メインに関わってはいけないってことではないと思うのよ。
映司本人の行動にも終始違和感があったし、オーズってこういう話だったかなあ……ってなってました。
思い出補正の記憶違いならごめんね。
あと、オマージュという表現手法はパロディに近いものだと思っているので、楽しい流れでないと逆効果の可能性はあるよね、とは言っておきたい。
何度も繰り返すと、既出映像をなぞり直してるだけの手抜き感が出てしまう。
ビルドもだったんだけど、最高のエンディングを迎えた本編はもうヘタに続けようとしちゃいけないんだと再認識しました。
ゴーバスターズとかシンケンジャーって本編が完全に終わってるから、Vシネはギャグに振り切ってるんだよね。もうすることがないから。オーズはそっちでいくべきだったよなと思います。
逆にやり残したことがある作品は番外で仇を取ってもいいと思うよ。メンバーが「歳をとった」ことに意味がある話もいいと思うよ。
これが「10年後を描いた物語」ですらなかったことも、モヤモヤの一因だとは思います。
「奇跡のキャスト再集結」が最大の売りで、いつもの「ヒーロー大戦」テンプレで済ませたんだな、って。
この区切りでもうオーズ自体を終わらせたかったのかもしれないけど、もう少し丁寧にやってもよかったんじゃないか。
キャストも台本見て衝撃受けたって言ってて、これはPの意向なんでしょうね。
制作的には、渡部くんを映司から解放してあげたかったのかも、とは精いっぱい好意的に考えて思った。
彼は仮面ライダーになるために俳優を目指して、デビュー作で夢を叶えてしまったので、今後どう生きていくのかなとは当時ちょっと思っていました。でもコンスタントに仕事はしてて、科捜研でも当たり役もらって、オーズはたまに帰ってくる実家的な存在で落ちついたのかなって。
外からは元気でやってるように見えたけど、実家の家族しか知らない葛藤があったのかもしれない。なんとかして解放して楽にしてあげたいって親心だったのかもしれない。
でも、これが「渡部秀を卒業させる」やり方としてありだったのか?っていうと、確実にNOなんですよ。
オーズは10年間かけてたくさんの人の中に根づいた物語だから。もう制作側だけのものではないから。
観客も登場人物も誰一人幸せにできないまま退場させられた火野映司、そして一時の安い感動のためだけに甦らされたアンクのその後は、全く顧みられなかったのかって思うとね。
だれのための10周年記念作だったのか、わからなくなってたんじゃないかっていうね。
ちょっと出典曖昧な記憶なんですが、オーズは当初もっとハードな方向性だったと聞きます。
放映中に東日本大震災があり、ハッピーな方向に変更したのだとか。
今、コロナ禍ではハードで刺激の強い作品が求められていると感じます。作り手も受け手も、「そういう口」になってる。それがたまたま10年後のオーズと重なっただけともいえる。
たぶんこれから「賛否両論」という言葉で消費され、取り乱すファンたちの言動も含めて「復活のコアメダル」そのものがネットミームになっていくのでしょう。今生き残るにはそういう形で話題を作ってジャンル外の人の記憶にも残る手法しかないのでしょう。
そういう「明日」も見えてしまって、個人的にはなんか入り込めずに終わってしまったな……という感じです。
脳のリソース使うのもなんだかもったいないので、この映画についてはもう考えないことにします。
大手サークルがジャンル10周年で出した豪華装丁同人誌くらいに思っておくよ。絵柄は好きだけど解釈違いだったな。