今さらオーズ感想。

第1話が「メダルとパンツと謎の腕」で、
第48話が「明日のメダルとパンツと掴む腕」。
同じモノを指してるのに、意味がぜんぜんちがってる、っていうところにぞくぞくします。
結局ほとんど感想書けなかったなあ……
いや書いてはいたんだけど、出すタイミングを外しまくったというか……北村くんのあたりなんか、北村くんより自分の感想がキモくて引いてたわ(笑)。
オーズが始まったとき、「ライダーのライター」という小論文(笑)を書いたんだけど。
最終話の感想をだらだらと書いていたらまたそういうめんどくさい感じになったので、少々お時間があってすごく心の広い方だけどうぞ。もう感想なのかどうかもよくわからない。
個別に語りたいことはたくさんあるけど、とりあえず映司とアンクの関係に絞ってみます。カップリング話というほどじゃなく、あーオーズって「映司とアンクの物語」だったんだな、ていう感想。あれ、結論言っちゃったからこの下丸ごといらないんじゃないのか。
長いわりに大したこと言ってないのはいつもどおりなんでよろしくです(笑)。
キモいのもデフォルトです。


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終了直後、後藤ファン・伊達ファンの友だちが「あのヒモがいなくなったことがこんなにさびしいのが悔しい」と言っていて、アンク罪な男……と思ったのですが。
あれだよ、映画のジャイアンがのび太を助けて死んじゃったと仮定してみ? べつにジャイアン好きじゃなくても、きっと胸に穴が開くから。しかもそのジャイアンは、実は天使のごときピュア美形なんだぜ? これ以上完璧な存在ってなくね?
復活直後のイケイケアンクがテレビ版ジャイアンだったとして、ラスト2話くらいの超絶映画ジャイアンっぷり……なんという大逆転でしょう。つくづく罪な男……
ていうかアンクはヒモじゃないから!
ほら、映司ってのび太じゃなくてキテレツじゃない? だからアンクはドラえもんじゃダメなんだよ。なにもしないコロ助じゃないと成立しないナリ。アンクがドラえもんばりになにかしようとすると、キテレツ映司と必ずぶつかるじゃない。だからあれはヒモじゃないの、コロ助なの。コロッケがアイスになっただけなの。
……なんでそんな藤子づいてたのか自分でもよくわかりませんが、なんかそういう話で気をまぎらわしていたんだと思います。まぎれてねえ。
ちがうちがう、藤子話をしたかったんじゃなくて。
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まずは一年間ありがとうございました。
地震のせいで1回話数が減ったんじゃないかなとか、途中に1000回記念×2回なんて難儀だったよね……とか、去年の冬の映画だけはなかったことにしたいとか、なんで暴れん坊とサンバ踊ったとか、本編以外の部分に思うところはいろいろありますが、毎週毎週一喜一憂しながら楽しませていただきました。途中のいろんな不安も含めて。
ふり返ってみると劇的なハズレもなく、ちゃんとおもしろかったよ。
半年ズレに関しては視聴的にも同人的にも全くメリットなしで、未だことあるごとに「おのれディケイド」と呟く日々ですが、夏終わりっていうのは雰囲気が明るくなっていいかもしれない。
むしろディケイド以前が暗かったのは、冬終わりのせいなんじゃないかと関係ないことまで思うようになってきました(笑)。
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ちょっとつまんない話をしますが。
よくわかんない、って人は次の点線まで飛ばしてね。
平成ライダーにおけるヒーローの「末路」って、なんとなくプロデューサーのヒーロー像が反映されてるのかなって、ふと思ったんですよ。
もちろん、テレビ番組って大勢で作るコンテンツですし、ナマモノですし(鮮度的な意味で)、複数Pのときも多いですし、スポンサーありきのジャンルですから、一人に作品の傾向を決める権限があるわけじゃないとは思うんだけど、響鬼のときにPとライターが変わっただけで別の番組になるくらいだからそれなりの役割なんじゃないかなというなんとなくの思い込みで。
あ、Wはちょっと色がちがうので今回は除外ということで(笑)。平成ライダーで最も「らしくない」のはWだと思ってます。
ネタがネタなんで伏せ字っぽく(笑)。
高Pは、
「ヒーローは人々を守るために自分を犠牲にしても笑顔で戦いつづけるべき」
だと思っていて、
白Pは、
「ヒーローは守られている人々と同じ(エゴイスティックで醜い)存在であるべき」
だと思っていて、
武Pは、
「ヒーローは守った人々と同じように自分も幸せになるべき」
だと思っている、
んじゃないかなと感じるのです。
高Pライダーは揺らぎません。正義を疑っていないから。でも、現実として傷ついていきます。傷だらけになって、でもそれをだれかに押しつけたりせず、いつも平気な顔をして笑っている。「やせ我慢」が合言葉なのだそうです。
じゃあヒーローの幸せはどこにあるのよ!と思ってしまうのですが、人々のために戦いつづけることこそがヒーローの幸せなのです、という当然ともいえる帰結に達します。
それはそれで、ある意味正しいヒーローのあり方だと思います。きっちりかっこよくて、大人も子供も憧れるヒーロー像。ああなりたい、かくありたい、と思うことは間違いではないはずです。
わかりやすく真逆なのが、白Pライダー。
ヒーローだって人間なんだ、という意識が根底にある。どうせ戦わなきゃならないなら、自分を守るために、自分の存在を証明するために戦いたい。正義はどこまでも建前で、エゴと生存本能の前には無力である。でも極限の選択で自分を捨てられた者が真のヒーローという感覚は、前者に通じる部分もあると思います。
白Pライダーに惹かれてしまうのは、ライターの配置も当然大きいんだろうけど、やっぱりどうにもできない厭世観や絶望感にドラマを感じるからでしょうね。誰かの犠牲なしには、誰かが幸せになることはできないのです。
白Pと限りなく同じベクトルなのが武Pです。
でも感じるのは、絶望より将来への希望です。ヒーローだって人間なんだ、だから人間として幸せになるのは当然の権利で、自分や別の誰かを犠牲にすることなく叶うはずだ、だってヒーローなんだもの!という楽観を感じます。戦隊のノリというか。
なんかこの感じって、BLとJUNEの対比に似てる気がするんですよね(笑)。
明るくハッピーでラブラブなBLと、どこか影があって退廃的な雰囲気の旧き良きJUNE。JUNEがあって今のBLがあるように、武Pライダーも白Pライダーの後続です。心地よい絶望から明るい希望へ、というのはある意味で健全な指向だし、必然的な変化だと思います。
ていうのを前提に、してもしなくてもいいけど(笑)。
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オーズの最終回は、大きく二択だと思っていました。
アンクが消えるラストか、アンクが残るラスト。
映司が犠牲になる(死ぬ、グリードになる、心に傷を負う)、という可能性は考えませんでした。
映司の過去と欲望が明らかになった時点で、映司が完璧なヒーローではない……平成ライダーでいうなら、五代雄介ではない、ということを知ったからです。
つまりこれは「オーズになるべくしてなった、完全無欠な男の英雄譚」ではなくて、「たまたまオーズになってしまった、傷ついた青年が心を癒していく物語」なのだな、と思ったから、少なくとも映司は必ず幸せになるはずだ、なるべきだ、という意志を(勝手に)感じました。
今思うと、五代雄介は孤独なヒーローでした。
ライダーが一人しかいないという意味もありますが、五代くんと一条さんはずーっといっしょに戦ってきたのに、最後の最後で別れてしまうわけです。本人たちも周りも(たぶん)いっしょにいることを望みながら、傷ついて笑顔を失った、戦士でなくなった五代雄介に、一条薫は個人として寄り添ってあげることができなかったのです。うん、まあ公式では(笑)。
「クウガ」としてはそれで正しいのかもしれない。あの作品の正義は「英雄はただ一人でいい」だったから。傲慢ではなくて、無私なのよね。
でも仮面を取った「五代雄介」の幸せはどうなるのよ!と思う人は思うわけで。
個人的なクサレ見解を述べるならば、五代雄介と火野映司は、自分の欲望のためにセックスはしないだろうなあと思うのです。差し出す、とかいう受け身でネガティブな感じではないんだけど……うまく言えない。でも平成ライダーの中ではこの二人だけだと思う。ヒビキさんはたぶん迷って悩んで修行しちゃうから(笑)。
盛大に脱線しました。
映司は五代雄介のように傷ついたままで旅立つことはない、というのは私の中で勝手に確定していたことでしたが(笑)、ただその時点でも私はオーズを「映司の物語」として見ていて、「映司とアンクの物語」だとは思っていなかったんですよね。
それに気づいたのは、最終回のラストシーンでした……遅い。
思い出したのが、大河「組!」の最終回。
斬首直前の近藤のアップで「トシ……」と呼びかけ微笑んで終わるラストね。たくさんの人が出てきて日本の歴史が動く壮大な群像劇を一年かけてやってきて、でも実際に描いてきたのは一貫して二人の幼なじみの物語だったんだ、ていうのがすごい衝撃で。
同じように、映司の「アンク……」でEDに突入し、ラストにパンツと赤い腕。世界を救うとか世界の終末とか壮大な欲望とか一年間やってきて、結局は仲良くなることを拒否していた二人が心をつなげるまでの物語だったんですよ。世界を救ったのは二人が仲良くなったおまけみたいなもんですよ、ていうか二人が仲良くなることが世界を救う鍵だったんですよ、的な。
そこに先に気づいたのがアンクっていうのもすごいと思う。主役は映司なのに。
映司はもしかしたら、欠けたメダルを受け取ったときか、最後のお別れのところでやっと気づいたのかもしれない。
その直前の映司はアンク以外のことで頭がいっぱいだったのに、もしかしたらアンクの思いに気づかないままかもしれないのに、アンクは責めもせず映司のしたいようにさせるんですよ。今までの関係の逆転です。なんというリバーシブル(違)。
傷ついた、というか欠けていた映司を最後に(と見せかけて実は最初から)「埋めて」くれてたのは、アンクなんですよね。
途中までは比奈ちゃんなのかなと思ってた。結局その役割は知世子さんまで含めた「みんな」だったんだけど、彼らに映司を託したのは、アンクでした。映司を支える腕の一本なんじゃなくて、映司に力をくれる唯一の存在ですよ。もう別格ですよ。
終盤、ほぼアンク目線で物語が進むことに戸惑ってたんですが、だって映司と並ぶ主役なんだもんね。最後までわかりにくかった映司の本心を知るためには、比奈ちゃんや後藤さんじゃなくてアンクからの目線が必要だったんですよね。
まあ、「ありがとう」って言ったときの映司が、アンク目線だときらっきらに美化されてるのがちょいびっくりしましたが(笑)。映司の中ではアンクの素で天使なビジュアルもそこまで美化されてないと思うよ!?
恋を自覚したアンクはともかく(笑)。
物語全体を通して考えると、映司の傷を癒して欠損を埋めるのがアンクに最初から与えられていた役割だったんじゃないかと。戦闘能力を奪われてサポート役を割り振られていたのは、映司を支えるための存在っていう意味だったのかなと。アンクは映司のために人間の心まで手に入れたんですよ、みたいな。
もうね、最後のタジャドルのときにみうらアンクが翼を広げて舞い降りた場面、「やべえ天使が降りてきた」って言いましたからね、ニッカリのどっちかが(笑)。
気分的にはそういう感じで。どうしようもない映司にアンクが降りてきたんですよ。ええ。
譫言はさておき。
オーズを「映司の物語」としか見てなかった私は、アンクの最期はもう純粋に製作サイドの戦いなんじゃないかなと思ってたんです。
個人的に、アンクが消えるほうを「小林END」、残るほうを「武部END」って呼んでました(笑)。あのライターさんはたぶん「主人公が成長し、そして一人になる」っていうのが好きなんだと今までの感じから思うので。
アンクと和解するにしろ対決するにしろ、アンクは信吾さんを比奈ちゃんに返してグリードに戻らなきゃならない。そして映司は知世子さんの言う、旅好きのエネルギーを取りもどして、旅に出ていかなきゃならない。
ただ、どういうラストでも、先述の通りバッドにはならないと思ってました。
高Pや白Pなら、映司はオーズとしてアンクを倒すかもしれない。傷ついたアンクか、傷ついた映司だけが残るかもしれない。二人のために、伊達さんか後藤ちゃんあたりが犠牲になっちゃうかもしれない。
でも武Pだから。「映司くんもアンクもお兄ちゃんも」取りたい、それが当然の権利だと思っている知世子さんだから。少なくとも私はそう信じてるから(笑)。
結果としては、小林ENDと言っていいと思いますけど。
でも映司が幸せになっておしまい、ではなかった。映司がアンクに救われるだけではなくて、アンクも映司のおかげでグリード以上の存在になれた、ていうのは、「映司の物語」ではなくて「映司とアンクの物語」だからできたENDですよね。
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まあ、いちおう一年間、映アンやってきたんでね(笑)。
今後の同人展開を考えたとき、全く不満がないって言ったら嘘になりますけど。
せっかく、ようやく、両思いを自覚したのに、そのとたんお別れって! いや気持ちはずっといっしょだけど、肉体的にはなんもできないじゃないですか。深刻な問題です。
でも、ホントの武部ENDはこれからだと思ってるんですよ……希望込みで(笑)。
オーズが「映司の物語」ではなく「映司とアンクの物語」だと言いきった以上、冬の映画は映司とアンクがそろっていなければならないはずで、その話をきっかけにしてか、あるいはその話限定でも、アンクは復活する!はず!
グリードとしての欲望を失ったアンクがどういう立場で存在できるのかは想像もつきませんが、期間限定でも、「映司くんもアンクもお兄ちゃんも」全部取りたいという唯一叶わなかった欲望は実現されて然るべきだと思うのです。
あー、時系列をいじって最終回前っていう設定にすることも可能ですけども……(笑)
個人的には、まだ映司とアンクが手をつないでいないことが地味に引っかかっていたりします。
「掴む」「握る」とかはあっても、「つなぐ」っていう感じではなかった。あいだに比奈ちゃんが入ってようやく「つながる」感じだった。最後もアンクは「俺じゃない」って手は取らなかった。
そういうキャラでも関係でもないし、って言っちゃえばそうなんだけど(そしてその点にものすごいこだわりを感じるけど)、最後くらい手つないじゃえよ! 伊達さんも後藤ちゃんも里中くんもみんなで手つないで輪になっちゃえばいいじゃない!
というムダな期待をしています。なんならフォーゼもおいでよ!
冬の映画が純粋にオトナの事情的なアレであり、去年も一昨年もビミョーな出来だったことは悲しいほどよく知っているのですが、今回ばかりは「アンク復活」という大事なポイントになるんじゃないかと、むしろそこでオーズの物語が完結するようになっているんじゃないかと、かなり希望多めで思っているところです。
つーかそろそろあのトリプル「ざっぱーん」やめてくれないかなあ。戦隊のVSみたく完全クロスオーバーにしてくれないかなあ。
あとぜひウヴァさんに出てきていただきたい。
あいつはドクターの終末から逃れてメダル一個で生き延びてると信じてる!!

特撮

Posted by nickel