つかしょチッス
拍手お返事:
サイト構成がわかりづらくてすみません。
赤いサイトが「竜」で実写ジャンル、青いサイトが「虎」でアニメジャンルです。
今回は赤いほうの祭りなので、風魔も鍋もちゃんと入ってます。
いつになるかはわかりませんが、楽しんでいただけたら幸いです。
ということで十万打御礼企画、第1弾!
いつのまにかディケイド部屋のメインになってしまったつかしょです。
つかゆもやるけどね(たぶん)。
顔は知らないけどわりと熱心に見てくださっているお客さんが2人、顔も知ってて酔狂で見てくれるお友だちが3人くらいいるので、立派にコンテンツとして成立しています。ニッカリ足しても10人いかないという事実は考えない! マイナー同志カウントは、1、2、たくさん、だから!
先日お友だちと話してて、ディケイドへの愛情表現が足りなかった!もっと語っていかねば!と発奮したのはいいのですが、自分ではすっかり語った気になってたんですよね。なぜかといえば、映画の感想を書いておきながら全部出しそこねたからです。自分の中で完結しちゃったらしい。
今さらなーと思いながら、ラストのライダー大戦だけ引っぱり出してみました。
ええと、16KBくらいありますね。
SSなら2,3本分の量ですね。気持ち悪いですね。容量だけじゃなくて中身も気持ち悪いんですが。このテンションで実際語られたら引く。
なので、ああ、この子かわいそう……くらいの感じで読んであげてください。
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2009.12.14.
劇場特典のガンバライドカード眺めてたら、ふと今さらなことに気づいたんですけど……
もしかしてディケイドの胸(と足の裏)にあるバッテンって、十周年の「十」?
わー、気づかなかったー。
あの「完結編」についてあれこれ考えてみる。
文句言ったりちょっと褒めてみたり、微妙な感想です。
ディケイド最悪!ってわけでもないし、もちろん最高!とは断じて言えないんだけども、でもやっぱりディケイド好きだからいろいろ言わせてほしい。
身内で一致した意見としては、「響鬼のときを思い出すよね」ということで。
前半すごくおもしろくて前のめりだったのに、たぶん大人の事情でがらっと変わっちゃって収拾つけられなくなったというとこからはじまって、ホントならこうなったはず!こうだったのかも!と無意味な仮定から逃れられず、壊れてしまった世界をなんとかしたい(自分たちの好きだった状態にもどしたい)と思ってしまう、あの感覚。
いくつか引っかかった点を分けてもちゃもちゃ考えていくんで、元気のある人だけおつき合いください。
◎軽くツッコミ
◎昭和vs平成
◎紅渡の言ったこと
◎カメラの意味
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まずは、心に残ったおもしろ場面をリストアップしてみる。
撃墜されるために出てきたスカイライダー。
ツノ折られるために出てきたカブト。
Jを切り札に使うのそろそろやめたほうがいい。
なんの伏線もなくいきなりウザキャラとして登場したユリコ。
夏映画でも思ったこと→「ヒロイン、足りてますからー!!」
「なんでかな、涙が……」セリフの陳腐さまで昭和でなくてもいいユリコ。
ユリコにつきまとわれてるときに夏みかん&ユウスケと遭遇した士は、浮気現場見つかって開き直った男みたいだった。
夏みかんは「なによあの女」って言ってやればよかったのに。
仮面ライダーキバーラの変身シーンはプリキュアがはじまったのかと思ってドキドキした。
夏みかんの髪の毛がぶぁさっと広がるんじゃないかと。
忘れたまえと言いながら夏みかんたちにつきまとう、歩くツンデレ見本みたいな海東。
あまり気持ち悪くない海東って、おもしろいことしない名護さんみたいだ。
つまりいてもいなくてもおんなじ。
そんな中きらりと光った、まーくんも死にながら笑ってしまったという「死ぬな士ー!!」と飛び込んでくる海東。
見てたんなら助けろと皆が思ったよね。
悪ユウスケ、と思ったら服が黒いだけで中身はただのユウスケだった。
「おまえだけをイかせはしない!」え、マジでユ士?と思いかけたところに一人で玉砕……
萌える隙もない怒濤の(?)展開。
ニッカリ間では士に「太宰」というあだ名(悪口)がつきました。
生まれてすみません。
鳴滝は「おのれディケイド」って言いたいだけだろもう。
つか、ゾル大佐としてなにかの能力を発揮したわけではないので、ただのコスプレにしか見えない。
で、死神博士の本体はマントなのガイアメモリなの?
今回も子どもたちだけかと思ったら、まさかの全ライダー友情出演。
ショウイチ! ショウイチ!(興奮)
と思っていたら、ファイズのタクミが出てなかった。残念……
くすぐったすぎるファイナルフォームライドは、なにがどうなってるのか耳がついていきませんでした。
ともかくまあこれでいちおう大団円に終わるか……と思って油断しかけたところに、ディケイド大開脚での静止。
え……来週!?
ものすごいところで二度目の「ざっぱーん」。
「ああこのあとまたディケイド見るんだ……」と思うとつい気が重くなるダブルパート。
それでもダブルのおもしろさにハマりこんでディケイド忘れかけたころに、まさかの二分割「ざっぱーん」。
1800円で「ざっぱーん」4つも見たの初めてだけど、お得感がまるでないのはなぜだろう。
「大戦」のあたりはちょっと記憶がありません。
テレビ見てるあいだは海東の存在意義がわからなかったけど、映画ではユウスケの存在意義に疑問を感じる。
最後に立木文彦が「アクセル!」って言って終わった瞬間、周囲の子どもたちが「アクセル……?」「アクセル!?」「アクセル!」とざわつきはじめたのがおかしかった。
ディケイド完全に忘れたな、よいこのみんな。
並の人間の情報処理能力を軽々と超えていく、ステキ映画でした。
だれか納得のいく解釈ができた人、いる? いたら教えてくださいそれを俺オフィシャルにするから。
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はい、こっからちょっとマジになりますよ。
総括すると、クレしんの「オトナ帝国の逆襲」失敗版なんじゃないのコレ。
私だってBLACKやRXで育ってるし、ZOもしっかり見ましたよ。しっかりリアルタイム世代ですよ。ネオ生命体見たときフツーになつかしいって思ったし。
でもねえ、昭和いらないよねえ?
夏の映画は我慢したんだよ。ああお祭りだもんね、どうせならオールライダー懐古したいよね、って。
昭和ライダーも、当時のをピンで見たらぜったいにおもしろいはずなのに、不愉快な懐古趣味のせいで「あーはいはいわかったからさっさと消えて」って思っちゃう。
若い女の子にタックルや蜂女のかっこさせて、ゾル大佐のコスプレして、それで満足なんだろ?みたいなさ。本編との整合性を放棄してまで、おじいちゃんを死神博士にしたり、パラレルワールドの人間ではなく幽霊のタックルを出したり。
RXの世界で感じた、「子ども同士で平成ライダーごっこして遊んでたら、昭和ライダーしか知らないお父さんが入ってきちゃったときの場違い感」と、鳴滝は「平成ライダーにイラッとしながらライダーファンやめられない昭和オタクの象徴」っていう印象が、冗談じゃなく事実でした。
夏の映画からこの完結編までのディケイドって、「ちょっと大人も仲間に入れてやるだけのつもりだったのに、いつのまにか大人たちだけで勝手に盛り上がっちゃって、ライダーごっこからはじき出されそうになった子どもたちが、必死に悪あがきしてボロボロになりながら自分たちの遊び場を取りもどす」話だったんだよ。
大人に迎合して遊び場に入れてもらうかどうかでみんなケンカしてバラバラになっちゃったけど、それって子どもたちのせいじゃないよね? 士くんって結局、大人の言うこと聞かないからおまえは悪い子だ、って言われてひねくれただけなんだよね?
そうとしか思えなかったから、世界を取りもどした平成ライダーたちが最後の決戦で味方として出てくる場面はテンション上がったんですよ。
あれは明確に「士に助けられた人たちが中に入ってるライダー」で、「みんなでいっしょに昭和ぶっつぶそうぜ!」っていう感じがして気持ちよかった(笑)。
ま、絶頂直前でぶった切られて一瞬で萎えたわけですが……
だから、死神博士には死んでほしかったなあ。
夏の映画から考えると、死神博士が生きてるかぎり昭和は何度でも平成を侵蝕しにやってくるぞ……っていう引きに思える。映画見たあとに本編見ると、おじいちゃんが出るたびに昭和から監視されてる気になって落ちつかない(笑)。
スクリーンを通してずっと伝わっていた士の苛立ちは、「平成は昭和ライダーには敵わない」っていう絶対的な圧力と戦いつづける平成ライダーの苛立ちだった気がします。すごく士に共感しちゃって、リアルに昭和の遺物を葬り去ってしまいたいと思ったもの。
テレビのほうを考えても、昭和が出てこなければまだちゃんと物語を成立させて終わらせる余地はあったんじゃないの?とかいらない勘ぐりまでしそうになります。
名作「オトナ帝国の逆襲」とちがうのは、懐古趣味を全面肯定しちゃったこと。オトナ帝国が世界を支配してしまって、ひろし&みさえに捨てられたしんのすけたちが世界の片隅で強くたくましく生きていく、なんて話、イヤでしょ?(笑)
少なくとも私はイヤだけど、ある種の人にとっては、しんのすけを捨ててもオトナ帝国に残りたいらしい(だれかがどっかで言ってた)。
ディケイドのラストは「しんのすけがオトナ帝国に敗北した世界」なんだろうなと思ったのでした。
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前に気にしてた「中の人問題」は、ショウイチたちが出てきたことでちょっとだけ解決したような感じもあったんだけど。
でもテレビ本編と夏の映画とのつながりがまったくわかりません。
最終回で悪い顔してアルティメットになったユウスケが、いつのまにか「みんなの笑顔を守るために」士といっしょに死のうとしてるのは、なんで? どっか私が見てない話あった?
かといって、まったくのパラレルというわけでもないのが腹立つ(笑)。いちおう「最終回のつづき」だし。
夏の映画で死神博士になったおじいちゃんが「再び」スーパー死神博士になって、大ショッカー「改め」スーパーショッカーになるということは、あっちともつながってるんですよね。士は元大首領で、生き別れの妹がいるんだよね。
そして、「タックルの世界」から来たわけでもないらしい「ストロンガーの世界」の亡霊ユリコはなんなんでしょうかね?
あの子、ホントにかわいそう。
蜂女に殺されたことより、自分が死んだ記憶も剥ぎ取られて「タックル」っていうガワのためだけに呼び出されて、平成側には「なによあの女」臭をまき散らしながら、昭和側にはああなつかしいねかわいいね、と自分でないだれかを背後に見られながら、もう一回殺される、っていう図式が残酷すぎる。醜悪な懐古趣味のいちばんの犠牲者かも。
彼女を出した意味がわからない。パンフのインタビューかなんかで白倉がちょっとタックルに触れてたけど、さっぱり理解できなかった。
「ディケイドに物語などない」ってはっきり言うのも、さすがにどうかと思う。言ってもいいけど、せめて「それはきみたちの心の中に」っぽくしてほしかった(笑)。
しかもそれを渡に言わせる意図が読めません。渡はオリジナルシリーズのキャラクターというだけで意味を持っちゃうんだから、「中の人」代表みたいにして出しちゃいかんよ。そこはライン引いとこうよ。
その役は鳴滝にすればよかったのに。そのために鳴滝がいるはずなのに。百歩……万歩くらい譲って、鳴滝が「物語などない」って言うだけで、まだ話もまとまった気がするんだけどな。ゾル大佐のコスプレなんかしてるうちに自分の役割も忘れちゃったよあのおっさん。
鳴滝は「昭和サイコーと言いながら平成ライダーに文句つけつつおもちゃ買ってる大人オタク」の象徴という解釈でまちがってないと思うんだけど、その鳴滝をディケイドに敵対させたことで、「平成vs昭和」の正義は平成側にあるんだと私は信じていたのですよ。
せめてそこは最後まで貫いてほしかったなあと思うけど、正義が必ず勝つわけでもないのが平成ライダーだからなあ、というジレンマ。
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最後の最後で、忘れられつつあった(笑)カメラをキーに持ってきてくれたのはよかった。
世界とまっすぐ向き合えない士がファインダー越しに世界を見つめていたとか、カメラを捨てることが士の絶望を表しているとか。
まあなんで海東がそれ言うんじゃ、おまえ士のなにを知ってるんじゃ、みたいな気持ちにはすごくなったけども(笑)。
ただ夏みかんが「士くんの写真がない」って、それは嘘だよね……
だってあの人、写真どころか写真集出してるもの(笑)。
それはネタにしても、龍騎の世界で思いっきりユウスケと撮られてたじゃん。その写真が龍騎の世界の写真にもなってたじゃん。あっちはネタじゃなく明確に「撮られた士」だったじゃん。
夏みかんはもうシンジくんのところに行きなよ、ネガかデータ持ってるよきっと。
みんなが士を覚えているかぎり、士の像はきちんと結ばれる。
それはぐっときたけど、でもそれって電王のパクリじゃない?(笑) そのオチのために、本編を無視しちゃうのが残念でした。ちょっとブレたよね。士の写真のように(笑)。
カメラは世界と向き合えない士の目であって、記憶を失った士の記憶媒体であって、あくまで士主体のはずなのに、カメラが夏みかんの手に渡ってから主体が夏みかんになって、士自身の謎や意志が曖昧でもいいことになっちゃった。
カメラがごまかしに使われたような気がしなくもない。
士はカメラだけは捨てちゃいけなかったんじゃないのかな。
捨てても、撮る側に戻らなきゃいけなかったと思う。ライダーたちを倒したあとはガワだけのカードを覚えるんじゃなくて、生身の「中の人」を写真に撮らなきゃ意味がなかったんだよ。
被写体に回ったら受け入れられる、っていうのはなんかちがう気がする。完全な受け身じゃなくて、ファインダー越しでもいいから世界と向き合っていかなきゃいけないんだ!っていうのが前向きな終わり方じゃないかなと思うんだけど。
ダブルへのバトンタッチも、スカルのカードではなくおやっさんの写真を渡してほしかったなーと思います。それで、士の旅が(とりあえず番組としては)終わって、次の十年に引き継ぐっていうかたちにおさまったんじゃないかな。
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まあ、あくまで主体は「仮面ライダー」だから、「中の人」のウエイトはそんなに高くないっていうのはわかるんだけどさ。
仮面ライダーは、「変身!」する人間がいないと「物語として」成立しない、ということをあえて無視した結果の破綻に、もうちょっと考えてもよかったんじゃないのーと思ってしまうわけです。
余談ですが、初代ライダーのふじおかさんは本郷猛のイメージを長いこと嫌っていたそうですし、初代平成ライダーともいえるオジョは今もライダーの話自体がタブーになってるそうですね。
まーくんも同じようにふるまえるくらいビッグになってくれればいいんだけど。どれも、私たちファンの熱意という名の「呪い」が彼らをライダーから遠ざけたのであって。
「仮面ライダーと、その中の人、の中の人」の複雑な関係性に触れながらも、配慮はしなかった結果が、ディケイドという物語の無惨な終着点なのかもしれないと思ったのでした。
でもまあ、ライダーたちに「呪い」をかけたのは鳴滝に象徴されるファン=おまえたちなのだ、というのがディケイドの(というか白倉の)メッセージだったとすれば、この語りも立派に呪いですよね(笑)。