ディケイドについて考えてみた。
ちょっと気まぐれに(映画公開記念?)朝のアラームをディケイドOPの着メロにしてみたら、寝起きの夢見が連日最悪です。
今日は、士が電王みたく子どもになっちゃって変身はできるんだけどちっとも戦えなくて夏みかんがパニックになりながら二人で逃げまくる、という夢でした。
なぜかたいてい士&夏みかんです。OP聞いて思い出す映像が二人なんでしょうな。
ショウイチとは言わんからせめてユウスケ出せ~。
明らかに変えたほうがいいとはわかってるのですが、朝のことだから夜には忘れてるんですよね……(笑) いっそユウスケ出るまでねばってみようかしら。
それはさておき。
別の探し物してたら、放映直後くらいに書いたレポートみたいのが出てきたよ(笑)。
あのあと、お友だちと何度も同じような話をしたので自分の中では今さらなんだけど、完結編の映画を見に行く前にもう一度おさらいのつもりで上げてみます。
で、あらためてディケイドっていろんな意味でひどい(酷だとか非道だとか)作品だったなって思いました。なんか、残酷。映画見て溜飲が下がるとは思えないけど、最後までしっかり見届けてあげるつもりです。
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2009.09.01
某さんが親戚のお子さんから言われたという「士くん悪いやつだからやられちゃったの?」というのがぐっさり刺さったニッケルです。
そ、そうか、あれじゃそういう認識だよね、そうだよね……
整理はできないけどもやもやしてる部分をはっきりさせておこうかと思って書きはじめたらすごく長くなったので気になる方だけどうぞ。
最初、「映画で最終回」というのを、私は大ショッカーのほうだと思っていて、べつに最終話として納得できないこともない内容だったので、素直に受け入れてたんですが。
テレビのあの引きで冬映画につづくってことは、大ショッカーのほうは本編から外れたパラレルなお祭りってことなんでしょうか。いや、祭りだけど。アレは「大ショッカーの世界」で、士(およびおじいちゃん)はたまたまああいう役割を与えられてただけ?
最終話以降の物語だとしたらそれもおかしいし、やっぱり26~30話くらいのあいだに入ることになるけど、そしたら最終話につながらないし。ディケイド本編的にはまったく意味のないストーリーラインになっちゃいますよね。
治外法権だからどんなカップリングやってもいいってこと?(笑)
そもそもが祭りでパラレル交差しまくりの話だから、あまり深く考えちゃいけないんでしょうか。すべてをひとつの話としてとらえること自体がまちがってるんでしょうか。
いつも混乱するのは、変身後の状態でキャラ立ちしてる場合と(本郷猛ではなく1号というキャラ)、生身の人間が変身した状態(南光太郎が変身したBLACK)が、同時に存在してるからなんですよね。
映画に出てきたキバは、ワタル王子なのか紅渡なのか、もういっそキバに「中の人などいない!」っていうことなのか。
大元のガンバライドは「いない!」ってことにしてゲームが成立してるんだろうけど、実際のドラマ内でそれやっちゃうと、いろんなことが「?」ってなる。
それまでのドラマでは「中の人」が存在していたはずなのに、映画とか最終話とかでいきなり変身後のライダーだけが出てくるから、こっちもわけわかんなくなります。
刺客として出てきたライダーたちは、海東や鳴滝が使ってるただの「カード=戦闘員」なんだと納得できたけど、紅渡が変身したキバの後ろに並んでるのは明らかにそれとは別物ですよね。自分の意志で士を倒そうとする「中の人」がいることになりますよね。
最終話で紅渡が連れてきたライダーたちが、士が今まで救ってきた人たちだとしたら、なんだかひどい話じゃないですか。
士が仮に世界を破滅させる力を持っていたとして、それでも士の助けによって人生を救われたライダーたちが、なんのためらいもなく士を消せるんでしょうか。
ワタル・アスム・カズマくらいまでは、まあ鳴滝さんやら海東やらの大人に言われたら信じ込んじゃうかもしれない(高校生のタクミを差し置いてカズマか……)。
でもアギトのショウイチさんや、龍騎のシンジとレンさんや、カブトのお兄ちゃんや、もちろん電王のモモタロスたちは言うまでもなく、ちょっとは士の味方をしてくれるはず……と思いたい、なあ(笑)。
みんながそれぞれ迷いながら「ディケイドって実はいいやつ組」と「やっぱり鳴滝正しい組」と「ディエンドかわいい組(構成員1名)」で戦うっていうなら、ライダー大戦もありかなと思えるんだけど。
かといってオリジナルの人たちとも考えにくい。
そもそも、あのオリジナルキャストの剣崎一真と紅渡が、オリジナルの世界から来た本人だったとしたら、たとえ相手が世界の破壊者だったとしても、問答無用で消しにかかるような子たちだったっけ?と思っちゃう。
剣崎は世界の破滅を握ってるようなもんだし。渡くんも人類の敵の血を引いてるし。二人に限らず、そういう人間爆弾的な要素を抱えてるのが仮面ライダーなわけで。
相手の事情をいっさい無視して問答無用で襲いかかれるのは、妹以外は眼中にない天道総司くらいだと思います(笑)。
ライダー大戦としてはあくまで、「中の人などいない」ライダーたちがディケイドを「倒す」ということであって、紅渡たちが門矢士を「殺す」ということではないんだろうけど。
でも、中身のない仮面ライダーたちの前に倒れるのは、やっぱり門矢士なんだよね。
他のライダーがガワだけのゾンビ状態になっても、士だけは「中の人など(略)」って言えないんだよね。世界を回ってるのはディケイドじゃなく士だから。
あのOPのふっと倒れていく士の映像も、暗示だったのかって思っちゃう(笑)。
自分のなにが悪いのかわからないまま、あらゆる世界から拒絶されて葬られる運命のライダー、というのが平成ライダーの「呪い」だとしたら(某P曰く「祝うという字は呪うという字に似ている」だそうです)、士が他のライダーを皆殺しにしても「呪い」からは逃れられないんでしょうね。
本編をざっとふり返ってみると、士ときちんと向き合ってはっきり受け入れようとしたのって、「シンケンジャーの世界」だけだったなあ。
ライダーの世界では生きられないという皮肉……
あとねえ、士カメラがすごく気になる。
あのカメラはなんなのか。もうナマコとかすべての謎はどうでもいいんで、カメラだけでも意味を明らかにしてほしいです。というか、カメラの謎が明らかになったら、必然的に絡まった糸がほどけていくような気がするんですが。
「世界に拒絶されること」と「写真が撮れないこと」はイコールで、歓迎されないとわかっているのに「旅をつづけなければならないこと」と「写真を撮らなければならないこと」も意味は同じはず。
あのカメラは士のなにかを象徴してるはず、なんだけどなあ。
でもカメラのことなんかもうどうでもいいとこまで来ちゃってるので、そのへんは各自好きに妄想してください、って感じなのかもしれない(笑)。
物語自体が破綻していることは承知の上で、あえてもちゃもちゃと考えてみました。
きっと冬映画を見ても大して気分が晴れることはないんだろうなあと思いつつ。
最後までつき合ってやろうと思います。