久々雪風。

怒濤のオフ期間も終わったことだし(すでに秋の計画立ててるけど)、企画もひとつ立ち上げたことだし(メンテはしないのか)、7月はがんばってサイトを更新していこうと思う。
まず雪風から。
エロというほどのものでもないですがエロです。やまなしおちなしいみなし。
しかし、何本書いても迷いが見えますね。
字書きとしては、小説原作ってのが調子狂うんですよ。なんか文字の印象が強いと画像が出てこないというか、アニメの画像で妄想しても文字に引きずられるというか。雪風同人で小説書いてらっしゃる方ってすごいなっていつも思います。
そもそも私が零をきっちり把握してないからなあ。二次創作としては致命的。
アニメの、「雪風1番ジャックは2番」なふしぎッ子にしたいのか。
原作(とくにグッドラック)の、わりと社交的な常識人にしたいのか。
タダさんの言う「生活感」を、タダ的な「生々しく生きている」生活感か、K林的な「一般人としての」生活感か、どっちに持っていったらいいのか未だにわかりません。
いちおう、「アニメ」「原作」って区別はしてるんだけど。自分でもときどきわかんなくなる。
なにがちがうかといえば、豆ピーチを食うか食わないか、だと思うのね。豆ピーチってアニメ零の本質的な部分だと思うのね。
とここまで書いて、そういや一年くらい前にだらだらと感想文的な語りを書いたなあと思って探してみた。ホントに長くてうんざりした(笑)。
15KBって!!(※今この行までで、だいたい1KBです)
ええと日付は……2006年3月~8月ですね。せっかくだから晒してみる。
マニアックかつシリアスなんで、おヒマな方だけどうぞ。ちなみにやおいについてはほとんど触れてないです(笑)。


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わたし ジャムなの ジャムになったの うふっ よろしく♪
ショートケーキの上に乗りたかったイチゴの歌。
このイチゴが雪風ならまだかわいいが、ロンバート大佐だったら目も当てられない。
そんなわけで雪風関連、イロイロ読みました。
でも自分で買ったモノはない……うう、皆さんありがとうございます。
「戦闘妖精雪風・改」
「グッドラック」
「解析マニュアル」
「ぼくの、マシン」
マンガ雪風
タダさんイラスト集
どれもちがいすぎて混乱……
でも「ぼくの、マシン」を読んだときに、ようやく理解できた気がしました。
「改」「グッドラック」「ぼくの、マシン」はまったくちがうステージで書かれた話なんですね。書きたいテーマがちがうというか。今書かれている第三部もたぶんそうだと思う。これらを総称して「原作」とは、もう呼べないような気がします。
「雪風」という作品は、純粋なSF小説ではなく、多くの人の手を経て多層構造になっています。解析マニュアルの「人物事典」もそう。零はほんとうに29歳なのか、ジャックの妻のアン・テイラーという名はだれが決めたのか。どこからどこまでが「オリジナル」なのか、だれも把握できなくなる程度には多層化しているんですね。
オリジナルの境界がわからない、でも商業ベースで出たモノをすべて公式と言いきるにはやっぱり抵抗がある。アニメやその周辺情報も含めた総体を「雪風」と呼ぶ、しかない。そんな感じ。
そこに落ちつくまでの、それぞれの感想などをだらだら語ってみたいと思います。
<原作感想>
「戦闘妖精雪風・改」
あーやおい向けじゃねえな、と真っ先に思いました。
「ぐはあやべえ!」と思わせられたやおいポイントは、本当にアニメだけの要素だったんですね。言われているほど零は異常でも非情でもない。というか、あまりにもまともな人間味あふれる人間で、正直拍子抜け。
純粋にSFとしていちばんおもしろかったのは、「フェアリィ・冬」天田少尉の話。零は出てこないんだけど、だから冷静に評価できる(笑)。
ところで、ジェイムズの愛称が「ジャック」なのはなんで? って、前にもだれかに訊いたっけ?(笑) すいません忘れました……
「グッドラック」
世の中の変化と科学技術の進歩に合わせて世界観自体がかなり修正入っちゃってる。時系列的には続編だけど、ほとんどリメイクと言っていいお話ですね。
零の「フツーの人っぽさ」がアップ。どれくらい普通かというと、飲み屋でくだまいてるサラリーマンくらい普通。いっそ旧時代的。前作の零のファンだった人はがっかりしたんじゃないかな。でもアニメはほとんどこっちを下敷きにしてるみたいなので、私は楽しめました。
ジャックが過労でだんだんやつれていくのが涙を誘う作品。
で。
最初に「改」を読んでたときからずーっと違和感がありました。
それは、特異な人間として描かれている深井零が、少しも特殊に思えなかったこと。
こんなに人間らしい人間が「機械」ってどういうことなんだろう、と。
零はとても喜怒哀楽が激しい人間です。
それを隠しているわけではない。自分は無感動だと意識的に思いこもうとしているわけでもない。たぶん、周囲からそう言われているからそうなんだと思いこんでいる。無抵抗に。ものすごく社会的な人間です。
人が溺れていたら条件反射で手を伸ばす、と零は言うけど、それはちがう。身体反射ではなく社会的行動です。道ですれちがった人がものを落としたら思わず拾って差し出す、というのは条件反射の思えるけど、実際はやらない人のほうが多い。
トマホークの死に泣いたのも、ミュルレの死に憤ったのも、矢頭の死に喪失感を覚えたのも、バーガディシュの味に怯えるのも、零がそう育てられ(里親の話ではなく世の中ぜんぶという意味で)、そういう価値観を身につけているから。チキンブロスにこだわりつづけるのは本能じゃないです。共食いはダメだと零が思いこんでいるだけ。
だから、零が戦闘マシンと言われても、正直とまどう。
つまりそれが20年という時代の変遷なのかな、と。
二十代の私を含め、零やバーガディシュみたいなのは世代を問わずどこにでもいる。感情移入できるとかいうレベルではなくて、「ああ、よくいるよね」という感覚で。
20年前には非人間的として憚られてきた「それがどうした、おれには関係ない」という特殊戦的価値観が、多数派になりつつあるのが今の日本、というか現代社会だから。
それって特殊なことなんですよ、なんてわざわざ言われなきゃ気づきもしない。だから零が機械みたいな人間だという描写には説得力がなくて、むしろ特殊戦の性格こそに(皮肉にも)現代のリアリティがある。
読みながら、スタートレック(TNG)のデータ少佐を思い出しました。
アンドロイドだから感情がない、しかし艦長のことは尊敬していますと言う。尊敬の念は立派な感情なのに、感情の定義がされていないから、データの「私には感情がない」は説得力がない。
すでにある感情に気づかずに「感情がほしい」と葛藤する姿は(葛藤も欲望も感情のはずなのに)、キャラ設定の甘さの象徴でもあるわけですが、現代アメリカ人の姿なのかなとも思えてしまって、なんだか笑いと悲哀を誘うわけです。
グッドラックの零は、エモーショナルチップを与えられたデータなんですよね。
今までよりも過剰に揺れる自分を自覚していて、ジャックにも「おまえは変わった」と言われる。最初から「人間性」はあったのに、人間の定義をしていなかったから「変わった」ことになる。
でもキャラ設定の甘さ、というには、データも零も魅力的なんだなあ(笑)。
深読みすれば、OVAのキャラ設定がああなったのも、時代のせいだと言えないこともないかもしれません。
原作どおりの零じゃあまりにも普通すぎてインパクトがないから、あのくらいのふしぎッ子でちょうどよかった、のかも。あの零ならバーガディシュを食べても「おいしかった」で済ませそうだし(笑)。
それでもやっぱり「こういう子、秋葉原や有明やそこらの家の子ども部屋にたくさんいるよね」と思わせるのはもう仕方がない。今の世界で零は逸脱しようとしてもできないから。
零は純粋に有能なプロフェッショナルであって、まちがって機械になった人間ではない。むしろまちがって特殊戦に入った人間である。と私は思います。
<アニメ周辺感想>
解析マニュアル
ほとんどアニメ設定だと思うんですが。
なにより零の前科に大笑い。就職したけど人間関係うまくいかなくて会社に放火って、どんだけダメッ子だよ! その設定考えたヤツ、ぐっじょぶだ(笑)。神奈川県出身とかいうのもすごいフツーでいいと思います。近未来?SFなのに、神奈川県民で放火犯という卑近さがたまらない。
「ぼくの、マシン」
原作者の文章に、タダさんのイラストがついている。なぜか壮絶な違和感(笑)。
タダさんが原作を読んで描いたマンガは、非常に同人誌的でした。で、これは原作者がアニメを見て書いた同人誌だと思うのです。
SFとしては純粋におもしろかったけど、雪風の世界観ではないよね、という話。グッドラックともアニメともタダマンガともちがう次元のお話でした。いくら原作者が書いてるとはいえ、これを「公式」と認めるのは意見が分かれるんじゃないかと。
個人的には、この零がおっきくなっても「改」の零にはならないよなあと思いました。
マンガ雪風
これはねえ、怖いよ(笑)。原作の弱みまで見えちゃう。
タダさんが考えた零の過去と、ジャックの過去と、二人の出会いと、それから原作にあったバーガディシュとのエピソード、なんですが。
高温多湿なアニメとはぜんぜんちがって、むしろ原作よりも低温でびっくり。
原作を湿度50%とします。アニメは90%くらいかな。でもこのマンガ版では、10%あるかなしか。原作から男のロマンを抜いただけで、こうも乾いた世界になるのかと。
神奈川出身や放火犯云々とも別世界。ここでの零はパーキングメーター荒らしだけど、ホントは身売りさせたかったんじゃないかと思う。だってどう見ても日本じゃないし(笑)。
それにしても……富樫レベルで、やる気(のなさ)が画面に出る人ですね(笑)。原作どおりの部分と捏造回想の差が歴然。個人的にバーガディシュがかわいくてお気に入り(笑)。桂城くんも描いてくれたら、もっとかわいくなったのかしら。
男性と女性のちがいと言ってしまうと短絡的すぎるんだけど。
原作者が自分で理解しきれていなかった(それゆえに書けなかった)零を、タダさんのほうは実感として完全に自分のものにしている感じがしました。
たぶん原作者は、実際には「世界に嫌われた」ことのない人で、タダさんのほうは、本気で「それがどうした」と思いつづけてきた人なんじゃないかな。零のキャラをリアルに突きつめて考えれば、あんなだれとでも仲良くできるわけがない。そのへんが原作者の甘さで、タダさんはその甘さにちょっとイライラしたんじゃないかしら。
そのイライラが、このマンガに現れているような気がします。タダ零はたぶん、不自然なK林零を修正したかったんじゃないかと。たぶん。
私としては、原作のちぐはぐな零もそれなりに好きなのですけど、マンガ版の零の容赦ないリアリティには、喝采を送りたいです。
でもこのドライな世界観が、アニメになるとどうしてあんなウェットになるのか……そこだけがどうしても解せません(笑)。脚本の人が途中で投げやりになって「もういいや、同人のノリでいっちゃえ」とか思ったのかな……
タダさんイラスト集
実はイラストレーターとしてしか存じ上げなかったので、マンガを読むことができてうれしったです。
最初、私が零だと思いこんで動揺した表紙は、やっぱり零じゃなかったです。ほっ。いやもしかしたら零かもしれないけど、これはタダキャラだと思えるからよし。
やっぱね、K林さんと皮膚の温度がちがいすぎるよね。猫が主人公の小説を書いてしまうK林さんは、猫の死骸を冷凍庫に放り込むなんて、書くどころか想像もできないと思う。生きている猫と死んでいる猫、どちらに生々しさを感じるか、というところでしょうか。
◎ピンクのクマ
あちこちの同人サイトで見かけたこのクマの出典がどうしてもわからなくて、零のイメージとも合わないから気になってたんですが。設定画集内の一枚だったんですね。
や……ぜんぜんちがうじゃん(失礼)。
この零、グラサン(ジャックのニコン?)かけて笑ってますよ。持ってるのも「雪風のピアスつきの」クマですよ。あまりのファンキーさにびっくりしちゃった。
ごっついピアスつけたショッキングピンクのテディベアなんて、かわいいというよりはアブナイ感じがする。こういうクマ持って笑えるくらい零はヤバいヤツなんだ、って絵だと私は思いました。
みんなが零に期待しているであろう幼児性とか女性性とか、そういう「美青年がクマのぬいぐるみなんか持っちゃってカワイイ♪」的な要素がまったく見えない。
ちなみにタダさん、「明るいキャラにしたかった」と添えてます。タダさんの中のせいいっぱいの「明るさ」が、こういうキレたファンキーな方向だったんでしょうね。
まあ、試作段階の設定画に過ぎないわけですから、同人でこれほど取り上げられていなければ、私もスルーしてたんでしょうけどね……ちょっと気になったんで、思うところを述べさせてもらいました。
◎スカジャン
原作では服装指定はほとんどないにもかかわらず、アニメの零はなぜあんなキャラに合わない派手なスカジャンを着ているのか。
神奈川県民のIさんと、おそろしい仮説を立ててみた。
「あのう……田舎者の発想で恐縮なんですけど……神奈川県民はみんなスカジャンを着てるというイメージが……」
「そんなことありませんから! まず神奈川=横浜じゃないですから!」
「でも、他に零とスカジャンの接点がないんですけど……」
「そんな理由じゃ……ないといいですね?」
「ないとは言いきれませんよね」
前述の「明るいキャラにしたかった」というファンキーさが、こんな微妙なかたちで残っちゃったんでしょうかね。
◎ジャックのキャラづけ
原作では日本びいきで料理好きの温厚な男として描かれているブッカー少佐。しかし、アニメのジャックの部屋にはピザとバドワイザー。しかも陽気な赤いジャケット……
イギリスへよく行かれるIさんと、おそろしい仮説を立ててみた。
「あのう、私イギリスって行ったことないんですけど、バドワイザーよりギネスじゃないかって感じが……イギリス人ってあんな感じなんですか?」
「ちがいます。あんなイギリス人いません。もちろんギネスです。あれはあきらかに陽気なヤンキーです」
「そうですよね、イギリス人ならギネスですよね」
「タダさんがアメリカ人だと思い込んでるんじゃ……」
「というか、アメリカ人だと自分に言い聞かせて描いてる節もありますよね……」
零との対比をはっきりさせるためなんだろうなとは思うんだけど、やっぱりアレはアメリカ人のイメージだよねえ……
◎豆ピーチ
原作にもマンガにも出てこなかったので、頭を抱えてしまったんですが。
つまりコレが、タダさんの言う「生活感」の代名詞なのかも。私が同人でやるなら、やっぱり食事シーン入れるもの。
私も、美味しそうな料理や美味しそうに食べる人物を書くのは苦手なくせに、なんだか食べてるシーンを入れてしまうのですが。あ、不味そうなモノを不味そうに食う人っていうのは自分でもけっこう得意なほうだと思う(笑)。
自分が個人的に、不味いモノ食べてるときのほうが生きてることを実感する人間だからでしょうか。不味くてもすべて腹に収めなければ動けないとかもったいないとか、つまり食べないと生きていけないという生々しさは、「うーん美味しい!生きててよかった!」とは逆のベクトルでリアルだと思うのです。
美味しいモノはアレだね、そりゃうれしいけど生きていくことそのものにはあんまり必要じゃないかも。そうだ、セックスと同じだよね(笑)。
こんな私なので、YしながFみのマンガはさっぱり理解できんのです……「ねえねえ美味しそうでしょ?」というのは伝わってくるけど、まさに「それがどうした」の世界。
だから、零が食堂のランチと格闘してるシーンは、心震えましたねえ。あの瞬間、零は攻めだと(笑)。いや、この子は生きてるな、と思いました。
原作の零は豆ピーチは食わないでしょう。そこが根本的なちがいなんだろうな、と私は納得しました。
<まとめ>
いろいろだらだら考えて、ああそうか、と思う一方で、でも待てよ、と考えなおす。情報が増えるほどに、なかなか消化しきれない。仕事中もずっと雪風について考えるくらいに煮詰まっていました。
で、先日。
ようやくグッドラックを読んだアルカリが、原作のジャックがいかにエロくて受けくさいかということを場面引用までしながら熱く熱く暑苦しく語ってくれたときに、ちょっと我に返ったというか、目が覚めました(笑)。
そうだよ、これってオカズじゃん!?
どんなにあれこれ考えたって小難しく批評してみたって、よりエロい小説が書けるわけじゃなし、ヨコシマ妄想に説得力が出るわけでもなし。
オカズはそのまま美味しくいただくのが礼儀というものではないですか。
私ったら、基本を忘れていたわ!! 
原作だアニメだK林だタダだとあれこれ考えるのはいったんやめて、どうやったらあの空気を再現しつつエロい話を作れるか、そっちのほうに専念するのが正しい同人屋ですよね。危うく道を踏みはずしてしまうところでした。ふう、危険危険。
やはり一人で作品に向き合うというのは近視眼的になりがちですな。
ありがとう、本能のままに生きているアルカリ!!
……この日記で私は相方を持ち上げたつもりなのだが、世間的には相当おとしめた気がしないでもない。
とりあえずもう何本か書いて落ちついたら、また考えてみようと思います。
あと、他の人の話も聞いてみたい。ていうか、原作ファンの人から声優・俳優ファンの人まで雪風を語ってほしい。いっそMY雪風(妄想)談義でもいい。アレはいかんとかここがサイコーとか。いろんな雪風の話をしたいです。
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……語りすぎだよ、一年前の自分!!
そしてオチに持ってきてごめんなさいアルカリさん……