男同士の絆。

エドモンとフェルナンの関係はメルセデスよりも深い、という話。
私はやおいが大好きなあまり、「なぜ男同士の関係はエロく見えるのか」ということを追求してしまうほどのダメ人間です。一部の作家が好む「なぜ女はやおいが好きか」よりも、自分の責任を問わなくていいので気楽です。
ところが世の中には本当にそういうことを研究しちゃってる人がいたりするのです。なぜか女性ばかりですが(笑)。
で、社会構造的に言うと、男同士の繋がりで最も強いのは、女性を挟んだ三角関係らしいのですよ。恋人でも母でも娘でもなんでもいいんですが、憎悪も連帯感も親愛の情も、女性をジョイント代わりにして、むしろ女は互いが関係するためのきっかけというかダシにすぎなくて、本当に関係したいのは女じゃなくてその向こうの男だ、ていう理屈。
こういう視点で見てみると、社会には「男が好きな男」と「男が嫌いな男」しかいないんじゃないかと思ってしまいます。女を好きな男なんて本当はいないんですよ。まあステキ(笑)。なかなかオイシイ考えなので、けっこう前からハマってます(健康法みたいなノリで)。
そんなことを前提に、厳窟王終盤を考えてみました。
今のぜんぶ前置きね(笑)。
いちおう、できるだけ専門用語は使わないようにしてますが、ごちゃごちゃ理屈っぽいのがダメな人は読まないのが吉。好きな作品は自分の好きなように楽しみましょう。


結局アレはエドモンとフェルナンの話だったよね、と。
たしかに主人公はアルベールだし、復讐されるべき悪人はフェルナンとダングラールとヴィルフォールだったけど、メインは思いっきりフェルナンでしたよ。しかも原作より相当かっこよくてヘタレ具合もパリを巻き込むほどの小者キング。もう待遇よすぎ。
思えばあのフェルナンの最期は「エドモンと、彼に執着していた自分から逃げない」というカミングアウトのような気がします。
フェルナンがメルセデスとアルベールを愛していたのは事実だけど、エドモンと親友だったころからモンテ・クリスト伯爵の罠にはまっていくまでずっと、フェルナンにとっていちばん大きい存在はエドモンだったのだなあと。メルセデスとは死ねなかったけど、エドモンとなら死ねるくらいに。
逆に伯爵にとっても、親友だったフェルナンに対する執着がいちばん強いだろうし、メルセデスへの愛よりもフェルナンへの憎しみのほうが勝っていたからこその復讐計画なのだから、ヴィルフォールとかダングラールとかはおまけみたいなもんです。フェルナンに復讐すればあとはメルセデスもエデもどうでもよかった。
男は女をダシにして絆を強める、という図式の典型ですね。男が恐れるのは女を奪われることではなくて、男としての尊厳を奪われることだから。一度フェルナンに辱められた(自分のものを盗られた)エドモンが、フェルナンを社会的に貶めて肉体的に痛めつけて、でも最後にはフェルナン自身がエドモンの傍らで銃をくわえて二人の関係を終わらせる。
この銃を男根の隠喩と見るのは……あまりにベタな深読みなんですけど。だから私は伯×フェル(笑)。
深読みついでに。
「モンテ・クリスト伯」自体は、たしかにインモラルなところもたくさんありますが、あそこまで耽美で背徳的な話じゃないはずです。でもそれをああしちゃった前田監督が感じた「エロさ」ってのは、エドモンとフェルナンの関係だったのじゃないかと深読みしてしまうのです。
エドモンとフェルナンの「男が嫌いな男」同士の対決は、ものすごく単純な図式で、もうエロくて当然みたいなところがあって、本当に教科書の例に挙げてもいいくらいにわかりやすかったんですよ。
だからこそ逆に、そのエドモンの横にどう見てもハードゲイのベル&バティを持ってきたセンスがすごいなあと思ってしまったわけで。旧態依然の家族に縛られてるフェルナンたちから見たら、伯爵家はまさに別世界のエイリアン一家です。そういう世界を受け入れてモンテ・クリスト伯爵になったエドモンに、ずっと古き良き家族のかたちしか知らずに生きてきたフェルナンが敵うはずもないよね、という見方もできる。
「男が嫌いな男」と「男が好きな男」の両側面からエロスを堪能できる作品、それがアニメ厳窟王なのだと私は思いました。厳窟王作ってる人たちって、本当に男が好きなんだと思うよ(笑)。
いくつかのサイトで「厳窟王の女性キャラは魅力に乏しい」と言われていましたが、それも同じ要因じゃないでしょうか。女性はみんな商品で景品で道具で所有物に過ぎないのだから、女性の視聴者が感情移入できないのはある意味当然です。
メルセデスは帽子を飛ばされてどうすることもできず、二人の男がその帽子を競って追いかけて楽しそうにじゃれているのを遠くから見ているだけでした。そして渦中にいながら誰にもなにも関われなかったあげく、自分の知らないところで勝手に争って勝手に心中した二人の男を同じ場所に埋め、二人の未亡人として余生を過ごす……という、最後まで二人を繋ぐジョイントでしかない存在でした。
こんなポジションに耐えられるのは、はっきり言って腐女子だけです(笑)。メルセデスは砂浜を走っていくエドモンとフェルナンの後ろで、スケッチブックを取り出すくらいの強さを持たなければなりません(ええっ)。
あとそれに関連してすごく印象に残ってるのが、フランツの「それでも行くのか、あいつのところに」ていうセリフ。
もしアルベールと伯爵が性的に関係していたら、フランツはこれほど苦しくなかったかもしれない。伯爵はただの恋敵で、対等なトライアングルができてたはず。アルベールと伯爵の関係がものすごく社会的な男同士の絆だったからこそ、それが自分との関係よりも強いことをフランツはわかってたんだと思う。
実はフランツはアルベールを愛してしまった時点で、この男同士の絆で結ばれた社会からはみ出しちゃってるんですよ。だからポジション的にはメルセデスと同じ、蚊帳の外。好きな男が別の男と仲良くしているのを黙って見ているしかないのです。そういう意味で、フランツは昨今流行りのBLじゃないですよね。外見にごまかされそうですが、実はベルッチオよりもよっぽどゲイライクです。最初のほうでG公爵夫人の部屋に行きながら直前で逃げるのも、事情があったとはいえ、全員が万年発情期の厳窟王キャラにはありえない行動です(笑)。
親世代(エドモン・フェルナン・メルセデス)と子世代(アルベール・フランツ・ユージェニー)をいかにも対にして描いてますが、本当はエドモン・フェルナン・メルセデスと、伯爵・アルベール・フランツという図がいちばん対になってるかなあと……
あー、やっぱここは専門用語なしで説明するの難しいわ(笑)。
そんなことを思いながら見ていた私の「厳窟王」感想。
……理屈っぽかったですか? すみません、でもこれが私の楽しみ方ですので。