ジオウ響鬼編、ではなく響鬼のこと。

ビルドから平成ライダー入った人に「過去ライダー履修したいけどオススメありますか」と訊かれて、まあオーズとダブルはハズレないと思うとか、電王は特撮ファンじゃなくても楽しいとか、ディケイドは平成一期見てないと意味わかんないかもとか、キバはとっつきにくいかもしれないけど武田航平は必見とか、余裕があればレジェンドとしてクウガは見ておいてもいいんじゃないかとか、それなりに一生懸命答えたんですが。
なぜか響鬼という単語が全く出てこなかった、頭によぎることすらなかったという事実に、あとから気づきました。
未見の人にあまり個人的な偏見で紹介したくないなというのがあって、こういうタイプの話やキャラが好きならこれはおもしろいと思う、今売れてるイケメンのデビュー作を見たいならコレ、みたいにできるだけ客観的なことだけ伝えようとしてたんですよね。

たぶん、響鬼だけはどういう切り口でも客観的に語ることができなかったから、無意識にリストの中から外してたんだと思います。和物って言って普通にゴースト出してたし、おやっさんとか大人がかっこいいのは?って言われたのにダブルとか答えてた! 本当に無意識で、響鬼について語るのを避けてた。根深すぎる……

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今、自分のフォロワーで響鬼に興味がある人がいるかわからないし、ジオウの展開のほうが大事という人もいるだろうし、今なにを書いても読まれることはないのかもしれない、けど自分のために日記として書いておきます。
きっかけはジオウだけど、ジオウの話ではないです。

いちおう、京介を主体にした話は、よかったと思いますよ。
師匠と弟子、鬼になることと襲名することの差、鬼祓いを回避する道、そういういろんな要素がちゃんとフォローされてて。
京介と「響鬼の物語」は時を経て回収されたといっていいはず。あの年に止まったいろんな時計を、ジオウが動かしてくれたことには素直に感謝したいです。

ただ、今回はストーリーすらどうでもよくて。
京介が響鬼になってあのテーマソングを耳にしたとき、なんか今までのレジェンド話とはちがう次元の感情がぐわーっとこみ上げてきました。
で、トドロキが「日菜佳さんに相談しよう」と言って去っていくラスト。あの世界での日菜佳ちゃんは元気に生きてるんだ、っていう感慨はちょっと説明できない。
でもそれだけならまだ流せたかも。
ジオウ予告でガルルが映って。リュウソウ予告でマスターブルーが出てきて。
いや関係ないでしょ、ていうか今までシンゴもまつけんもじょうじも優一もいろんなとこで見てきたでしょ、なんとも思わなかったでしょ、もうみんな老けて顔も芝居も変わってるし、って自分で思ったんですけど。
あの曲からの、なじみの顔が一気に出てきたとこにやられちゃったらしくて。

ジオウ始まるとき、いちいち丁寧に回顧するのめんどくさいし身がもたないから、軽く当時を思い出す程度で、手元にある映像とかムックとか同人誌とか(笑)そういうの引っぱり出してくるのはやらないと決めた、というか自分の性格上やらないだろう、と思ってました。
でもついにやってしまった……DVD13~27話まで一気に見て(28,29見ると泣いちゃうから自粛)、ムック全部開きなおして、最後は結局自分が書いたのをいくつか読みなおしてしまいました。人の本は、一冊に手をつけると全部いっちゃうから我慢(笑)。
今は買わないと決めてるヒロビのムックも、あの当時はまだ買ってた。というより、手持ちの各社ムックを見ると「29話まで」を手元に残しておきたくて必死だったみたいです。

今見ると、公式周辺もかなり露骨に「29話まで」の区切りで語ってる。冷静に考えると大人げない気もするけど、関わった・巻き込まれた人たちの精いっぱいの「何か」だったのかもしれないですね。

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ご存じない方は読んでないと思いますが、いちおう前提を説明。
「30話から」プロデューサーが交代し大幅な路線変更、いわゆる「テコ入れ」で炎上し、ファンの分断まで引き起こした作品でした。
その一方で同人的には異常な盛り上がりを見せ、放映終了後もしばらく市場は賑わっていた印象です。個人的体感でいうと龍騎クラス、まあ電王は別格としても、今ならエグゼイド並み。
あれだけ人気がなければ、あんなに荒れなかったんだろうなあ、と今は思います。

当時、トドロキくらいの歳だった自分もその変化が受け入れられない派で、拘らず楽しんでる人が理解できなくて、ただ暴れてる人々にもちょっと引いてて、自分の内心的にも周囲の反応にもずーっとモヤモヤしていました。それでもそのあと5年くらいは響鬼ジャンルでそれなりに楽しくやれたのは、周りにちゃんとした大人のファンがいたからでしょうね。環境って大事。

ザンキさんどころかサバキさんも追い越して久しい今、改めて見返してみて。

どの場面でも、画面の色味をかなり抑えている。鬼がそもそも玉虫色。
会話がセリフっぽくない。どもったり笑ったりおどけたりするのも、芝居っぽくない。そのため会話シーンがやたらと長い。
既出映像以外の「回想シーン」がほぼない(これはクウガからの定番)。
鬼を描くために、変身後の戦いよりも日常やルーティンに比重が置かれている。
重要な情報共有がきちんとされるため、誤解によるすれちがいを引きずったりはしない。
猛士のミスは基本ない。トドロキが不慣れで失敗しても、組織的なフォローが入る。
あくまで主人公は明日夢で、明日夢の日常、明日夢の目線が主体。
明日夢の物語自体は、普通の冴えない高校生の些細な挫折や感情の起伏。
全体的に、明日夢が鬼になるというルートにはなっていない。
ただのルーティンではなくなにか異常事態だという示唆はあるが、事務的な会話の中からは読み取りづらい。
魔化魍が強くなってもルーティンは変わらないので、鬼の変化が見えづらい。
変身アイテムがベルトじゃない。ギミックもアクションも、あるようでないような。武器も楽器だし。

極端に言ってしまえば、もはや環境映像。

たしかに、起伏が少なく退屈かも。わかりやすくもない。
ヒーローモノの派手なかっこよさやわかりやすい展開を期待していると、ものすごく地味。絵面もストーリーも。なにか特殊な力で「来た!」って走り出すんでもなく、本部から「出動!」って言われるんでもなく、調査してマッピングして狙いを定めてそこへ行くっていうね。許せない悪行を目にして正義感を燃やすんじゃなく、仕事として「おつかれさまでした~」って言っちゃうとことかね。
少年の成長譚としても、ゴールが「鬼になる」ではない時点で、先が見えなくて応援しづらいとか、感情移入しにくいという人はいるかも。普通なら、明日夢がヒビキに出会って弟子入り志願するのが第一話でしょうね。
ブレイドまでの平成ライダーにおける、濃厚な(ギスギスした)人間ドラマを期待する人には、衝突もしない人間関係はとても退屈だったと思う。みんな大人でみんな優しい、っていうのが我慢ならない人は一定数いるし。
このまま一年間つづけられたのか?とはたしかに思います。

ただ、子供向けでない、わかりにくい、という理由の路線変更はおそらく平成ライダーではされないはず。異色作とはいえ一定の支持は得ていたわけで。
つまりテコ入れの要因は玩具販促として成立していないから、ということだったんでしょうね。

あとまあ、番組自体にコストかかってそうだなと(笑)。お金も時間も手間も全部。
最初の屋久島はいうまでもなく。基本は山奥でのロケで、町中でも実在の地名が出てくるし、セットもリアル志向。
セットも合成も極力ないのに「顔だけ変身解除」がデフォルトなので、どの現場でも常に俳優とスーアクが必要ってことですよね。
想像ではあるけど、鬼のボディのマジョーラ(非常に高価で剥がれやすい塗料)もけっこう響いてたんじゃないかなあ。
実際、当時から髙寺disでこの予算感覚はけっこう言われてた。それでも私は髙寺P好きでしたけど。

一方、後任の白倉Pも、嫌いとは言い切れない……
今はジオウもやってる白倉Pですが、ええと今で言うと「オープンアカの腐ツイを悪気なくRTする」タイプでしてね。ゆるいとかそういうんじゃなくて、そういうのが素直にうれしい人なんだろうなと思う。当時は焦ったけど(笑)、まあ微笑ましいですよね。
予算もなく、残り話数も少なく、ファンの批判に晒されながら、番組としての響鬼を「完成」させなければならない。それができる人だから、平成ライダーの中核に居つづけたんだと思います。
ディケイドの時はさすがにふざけんなと思ってたけど、ジオウはまあ、ずっとつづけてきたこの人にとってもご褒美ってことでいいんじゃないかな。令和からは退いていいけど(笑)。

さっき読み返した当時のインタビュー(アンケート)で、白倉Pが響鬼の魅力を「アマチュアリズム」とだけ答えていて、髙寺Pへの敬意や憧れや苛立ちや愛憎が垣間見えた気がしました。
結局求められているのは、派手で、わかりやすくて、スピード感があって、刺激的なコンテンツだから。自分の作りたいものに拘るのは、アマチュアであってプロの仕事ではないぞと。でも最後までやらせてあげたかった気持ちもあったでしょうね。髙寺Pがクウガみたいにギリギリで成功する未来も見たかったんじゃないかと思います。

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でも、前述した「起伏が少なく退屈でわかりにくい」ドラマと世界観こそが、私の好きな響鬼だということも、あらためて思い出しました。
もちろんクレイジーな展開や緊張感のある関係性も大好きなんだけど、それとは別腹で。

魔化魍が出現する非日常と、葛飾柴又の甘味処でくり広げられるリアルな日常が地続きになっている感じがすごく好き。
あらためていいなあって思ったのが、電話かけた時にみんなまず雑談すること。ドラマでフォーカス当たってる人が雑談なんかしないよ普通。でもそれがすごいリアル。電話って、仕事でもプライベートでも距離感近いと意外に挨拶的な雑談ってしますよね。
会話のナチュラルさは、好み分かれるだろうけど私は大好きです。日常でそんなにはっきり言い切らないよね。わりと曖昧になるよね。あと、ふざけて「~でござるゆえ」とか言ってみたりするよね。そういう「ホントにしゃべってる感じ」がいい。難しいんだろうけど、あんまり芝居ヘタだなあって思う人がいなかったのも、このセリフ回しのせいかも?
あとイブキのナチュラルだけど強力なプロ意識。ヒビキさんは変わり種で、トドロキは新人なので、たぶん鬼のあるべき姿ってイブキなんじゃないか。普段はただの人当たりのいいお兄さんなんだけど、仕事に入ったらきっちりこなす。デート中だろうが童子と姫を見つけたら「鬼として」動く。常時待機なのに、全く気負いがない。
大人としてはヒビキさんザンキさんだろうし、成長キャラとしてはトドロキだけど、鬼として一番かっこいいのはイブキだなって。いや、常にやられつづけてた過労のサバキさんもかなりのプロフェッショナルだけどね?(笑)

あれから14年経って、いつのまにか自分でもオリジナルの小説を書くようになりました。
私は徹底してアマチュアだけど、それでも「表現したいもの」より「読まれそうなもの」を優先してしまいます。
明日夢が弟子にならない流れにしたくても、それは「一般的には」期待されていないだろう、とまず考えてしまう。アマチュアなのに、自分がメジャー感覚じゃないのをわかってるからこその不安がつい出ちゃうんです。結果的に明日夢を弟子にしないとしても、一回そこを通ってしまう。
ただ、本筋に関係ないディテールを書きすぎる癖はどうしてもある。手がすべるというか。電話の雑談みたいな。これは読まれないなと思って消すこともあるんですけど、気が回らないと手癖として残ってしまいます。欠点だとは思ってるんですが、響鬼見てたら、いやそれが自分の書きたいことなんじゃないの?とも思えてきました。

今度、仲間内で小説アンソロを作ることになって、短編を二本ほど書いたんですけど。
自分のサークルでは、ジャンルやイベントに適した内容を検討しつつ話し合って作っていくのですが、今回それはしなくていい。あと、アンソロで他の人もいるので自分の作品を「読ませる」必要がないという気楽さもあって(笑)、誰にも相談せず好きに書いてみました。
それで書き上がった話のうち一本が、完全に「起伏が少なく退屈でわかりにくい」やつで。響鬼見返したとき、あーこの感じだわ、としみじみ思いました。日常とルーティンと対立のない関係、無意味で長めの雑談。
基本的に執筆作業自体はあんまり好きじゃないけど、そういう「雑談」的な描写は、我ながら楽しんでいると思います。

響鬼に影響を受けたということではなくて、たぶん自分の作風とか指向とかに合致してたんでしょうね。あの路線変更に対する反発は、自分自身を否定されたような気持ちもどこかにあったかもしれません。

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2005年の放映から、2010年くらいまで響鬼同人はつづけてました。
つまりそのあたりまで自分の中では響鬼は終わってなかった。ジオウでテーマ曲に過剰反応しちゃったのは、スマホに替えるまで着メロと目覚ましがずっとあの曲だったせいもあるかもしれない(笑)。
トドザン(戸田ザン)は30話以降ちょっと書きづらくなっちゃって、主にサバイシとかイブアキ(健全)とかを書いてました。そのへんはもう、自分なりの響鬼再構築に目的がすり替わってたんだと思います。可能なら、アスヒビまでフォローしたかった。

今回の振り返りでやっと、あれは仕方ないことだったんだと思えるようになりました。
今なら、「おじさん好きなら響鬼見たら?」って言えるかも。前半と後半で戸惑う人に、少し冷静なテンションで飲み込み方を教えてあげられるかも。髙寺派と白倉派どっちの意見も聞いてあげられるかも。

でもやっぱり、あのまま物語が淡々と進んでいたら、とも考えてしまいます。
迫り来る「オロチ」に立ち向かう中でも、ゆるゆるな忘年会や新年会があって。明日夢くんはみんなに見守られながら自分の進路を決めていって。あきらちゃんがイブキの元で鬼になって、ザンキさんはひざさすりながらトドロキのサポーター続けて。サバキさんと石割くんはずっとみんなの会話の中にだけ登場してて。京介も小暮さんもシュキさんも、優しくてちゃんとナチュラルで。
そういうのも見たかったなあと、今でも思ってしまうのもまた、仕方ないことなんでしょうね。

「30話以降」を見返せるようになるまでにはもう少しかかりそうなのですが、とりあえず今年の頭に出たBlu-rayBOX買っとこうかしら、とは思いました。

特撮R18_ジオウ

Posted by nickel