テキスト離れ、なんてことはない。
どうでもいい話。
ツイッタ、プレミアムやらスレッドやらでスクロールしても終わらないな、っていうツイートには必ず「長すぎる」「途中でやめた」「短くまとめろ」というリプがつく現象ありますよね。
アレに常々思っていること。
もちろん「長文を理解できない」っていう人も単純にすごく多いので、一概には括れないんですが。
まあこういう場合、元ツイ自体が理解不可能ってことはあんまりない。
そもそも書けない人は書かないし。バズってるということは、内容を理解した人によって拡散されてるということだから。
長くても訴える内容があるからバズるわけで。
これって「Twitterだから」なのでは、と思っています。はてなブログやnoteであんまり見ない気がする。
目にした人の「心構え」の問題なのかなと。
たぶん長くても5ツイート以内、スマホで2,3スクロール以内を想定して開くから、10も20もスレッドが続くとゴールが見えなくてイライラするのだと思う。
ちゃんと読んで理解した人でも「長いですが感動しました」とか一言つけちゃう。
短くまとめられたテキストを期待してるから、裏切られた気持ちになるんでしょう。
私も電子書籍で読んでるときにふと、終わりまであとどれくらいあるのか不安になることがあります。
紙の本ならページ数でわかるし、ブログならスクロールバーで見当つくけど、電書は直感的にわからない。能動的なタップの一手間が必要になる。
意識の外で認識してることって意外とあると思うんですよね。本の残りページ数とか。
同じ行為でもツールが変わると、その「無自覚の認識」を外されて不便だなって感じることがある。今はアナログとデジタルの変換が多いから、至るところで起きてる現象なんだろうけど。
連ツイは終わりがわからない(Twitterはリプや関連ツイも次々読み込むのでスクロールバーはアテにならない)。
思ったより長い、という不安や不快感が、「もう読みたくない」「意味がわからない」「短くしろ」とあえてリプや引RTをつける動機になっているんだろうなと。
……いや、どっちにしても教養とか礼儀とかそういう「人として」ってやつが欠けてることに変わりはないんですけど。
個人的にはブログで読ませてほしい派なんですが。
その「続きはブログで」を億劫がる人が圧倒的多数なのが現実なんですよね。だから最初の140字で引っかけて、なし崩しに全部読ませるフィッシングみたいな手法で攻めるしかない。ちょっとした体験談だと思ったら小説だった、みたいなのもあって、そこまでしないともうテキストは読んでもらえないんだな……と感じることもあります。
ちなみにこの記事は1,136字です。8,9ツイくらいかな。
中身の薄い文章をだらだら書いていいのはブログの特権ですね。