真田丸文まとめ1

茶会の夜。

 *

少年は挫いた足を見下ろし、途方に暮れていた。
屋敷から少し離れすぎてしまったようだ。馬もなく、供といえば幼子に近い小姓のみ。主従の理もまだわからぬ小姓は、時にぐずって主が背負い帰るはめになることもある。頼むから今は駄々をこねないでくれと、懇願の目を向けられたのをどうとったのか。
幼い小姓は主の傍らに寄り添い、腰のあたりに掴まると精いっぱいの毅然とした顔で見上げた。
「肩を……貸してくれるのか」
少年は驚くが、相手は当然と言わんばかりで歩き出そうとしている。
縋るには低すぎる肩に手を置いて、挫いた足に幾度もぶつかってくる体を受け止めながら、主である少年は静かに笑った。

「……わしはなんと情けない男か」
領地から遠く離れた地で、景勝はもそもそと呟く。兼続にとっては聞き飽きた愚痴だが、今ばかりはその重みがちがっていた。
「源次郎くらいは、守ってやれると思っておった」
人質ながら我が子のように可愛がっていた真田の倅までもが、あの忌々しい男に奪われてしまった……口の重い景勝が自らその苦悩を吐露するまで、兼続はただじっと彼の傍らに控えていた。
「源次郎になんと言えば……」
一度吐き出した景勝は、今度は同じ愚痴を幾度もくり返す。主がしゃべり疲れて言葉少なになったころを見計らい、さりげなく床につくよう勧めるのが家臣の役目でもある。
だが今夜はなかなか終わらない。その理由を兼続も知っていたから、遮るようなことはしなかった。今、この地に逗留していることこそが、景勝の心をひどく苦しめている。横になっても目を閉じても、脳裏に浮かぶのは屈辱と悔恨だけにちがいない。
やがて、沈黙が長くなり、杯を持つ手が止まるようになる。
兼続はそっと囁きかけた。
「そろそろ、おやすみになってはいかがですか」
空の杯を睨んでいた景勝は、顔を上げることなくうなずく。
「そうだな……」
大儀そうに立ち上がろうとした景勝は、ひざを立てようとした刹那にぐらりとその身を揺らがせる。
そばにあった瓶子が倒れ、酒がこぼれた。
「御屋形さま!」
とっさに腕を伸ばした兼続に寄りかかる格好になった景勝は、ちらと家臣を一瞥して苦笑いを見せる。
「飲みつけぬ酒に酔ったか」
「酒は越後に限ります」
兼続の軽口とも本気ともつかぬ言葉に喉の奥で笑い、景勝は再び座り込む。
こぼれた酒の始末をしなければと考える兼続に対して、景勝は脇息の代わりに掴んだ兼続の腕を離さない。
「兼続がおらねば、わしはとっくに地に伏しておるな」
「……!」
口を開いた兼続が言葉に詰まるなどめったにあることでもなかったが、そのときの兼続は主に向けるべき言葉を全く持たなかった。
「支えられてばかりじゃ……」
「……………」
真に、支え切れているのだろうか。
己が主の力になっていると、なんの根拠もなく信じ込んでいた幼き日とはちがう。袴にまとわりついて邪魔をしていたのも遠い昔。今の兼続が支えているのは、上杉家とその領民領土だ。
だが、肝心の景勝はどうか。
真にこの自分が支えているのなら、なぜ広いはずの背中を丸め、己の無力を嘆き、酔いによろめいているのか。
「御屋形さま……」
「兼続」
家臣の呼びかけを遮るようにぽつりと名だけを呼ぶ。暫し次の言葉を待っていると、やがてこちらを見ないまま、景勝は深く息を吐き出して呟いた。
「もうしばらく、肩を貸してくれぬか」
「は……」
返事をしたつもりが、声にならなかった。
顔を背けた拍子にこぼれたままの酒が目に入り、そして悟る。
酒は運ばれてきたときからほとんど減っていないこと、そして景勝から酒の香がしないことに。
「……兼続」
わずかに詰るような声音で呼ばれるまで、己の指が景勝の身に食い込みそうなほど力を込めていることに気づかなかった。我に返ってとっさに手を離そうとすると、その手を軽く叩かれる。
顔は見えなかったが、主が静かに笑ったのがわかった。

 *

天地人クロスオーバー(笑)