【SS】十兵衛と伝吾【麒麟】

10.桔梗
「賢い」「凛々しい」「青年」
法事のとき実家の家紋が桔梗と知りました(戦国ジャンルでしかドヤれないネタ)

かねてから商人に頼んであったものが届いたと伝吾が館を訪れれば、本人は部屋に籠もりきりという。然もありなんと廊下から控えめに呼ばわる。
「やっと来たか!」
手をかける前に戸が勢いよく開き、十兵衛が平素見せぬ笑顔で目の前に現れた。
ちらと室内を見わたせば、書物がそこかしこに積まれている。部屋の主も小袖姿で、数日片づけていないようだと察せられた。
幼いころから賢いと評判であったその主は、しかしなにかに没頭すると他のことに気が回らなくなるのが玉に瑕……と彼の母が先ほどもこぼしていた。野盗もしばらく出ていない、叔父に伴っての登城もない。ここしばらく空の様子も芳しくなかったから、だれに咎められることもなく書に埋もれていられるのだろう。
「お待ちかねの品でございます」
油紙に包まれた数冊の書物を恭しく差し出すと、主人はいそいそと中身を改める。
それがどのような書であるのか、伝吾は知らない。説明されてもわからないだろう。だが見事に相好を崩しているのを見れば、どれほど待ちわびていたかは容易に知れる。これは下手に長居をしても、邪険にされるだけと見た。そうでなければ暫しとどまり、世間話や村の噂を耳に入れることもよくあるのだが。
「では……」
「待て」
用事は済んだと頭を下げかける伝吾の肩を、十兵衛はあわてたように掴んだ。それから声をひそめて口早に囁く。
「腹がへった。厨からなにか、くすねてきてくれぬか」
「はあ?」
「おれでは見つかってしまうのだ」
決まり悪そうに言うのがおかしくて、つい噴き出す。民の前で見せる凜々しさなど微塵もない。
不機嫌そうに口を曲げた顔の前に、懐から竹皮の包みを取り出してみせた。
「干し柿でよければ、我が家からくすねてきたぶんが『偶々』ございますが?」
驚きを隠さずに包みを見つめた青年は、しかしすぐ「でかした」と伝吾の肩を叩いて、共犯者を部屋の中へと引きずり込んだ。


2.曼珠沙華
「まぼろし」「紅」「会いたい」
桔梗でほぼ何もできなかったので再挑戦。でもやっぱり何もできてない。

畦に毒のある派手な花が咲きはじめ、真っ赤な道を作る。
『気味の悪い花だ』
歯切れよくそう言い捨てる声を思い出し、伝吾はひとり笑みを洩らした。

「双六の相手をなどという用事があるか」
十兵衛は馬の鞭で彼岸花を叩きながら、ぶつぶつ文句を言っている。
気まぐれな従妹が不意にやってきて、楽しくもない遊びにつき合わされたことを愚痴っているのだ。聞けば手加減なしで大負けしたとか。虫の居所が悪いのもそのせいか。
「帰蝶さまは、十兵衛さまのお顔をご覧になりたいだけでしょう」
にやつく伝吾の遠回しな言い草にも、朴念仁は気づいた様子がない。
「顔など見てどうする! 半月やそこらで変わるものでもなかろうに!」
あまりの情緒のなさに今度こそ笑い出した伝吾を、十兵衛は怪訝そうに睨みつけた。
「手前は、十兵衛さまのお顔を一日見ないと心が落ちつきませぬ」
「なに?」
「どこで無茶をはたらいているかと」
「おまえ……っ」
鞭を放り出して掴みかかってきた十兵衛を、伝吾は笑いながら受け止める。元より本当に喧嘩などするつもりがないのはわかっていたから、二人は草の中に倒れ込んで転がり、幾らかの彼岸花をなぎ倒して、大声で笑った。こうやって時折「利口な若君」はただの若者に戻る。
いくらか気が晴れたのか、十兵衛は伝吾の肩口に鼻先をうずめた。
木々の合間に空を見上げながら、伝吾も十兵衛の髪をいじる。折れた花が自分たちを覗き込むようにこちらへ頭を垂れていた。
「おれは……」
少し考え込んでいた十兵衛が、ぽつりと呟く。
「おまえが顔を見せぬ日などないからな。一月やそこら会わずとも、どうということはない」
二人とも、互いがいなくなることは思慮の外にあった。いつどちらかが戦いや病で命を落としても不思議ではないのに、離れたときにどうなるかなど考えもつかなかった。
「顔を見たいとおっしゃれば、いつでも参ります」
「おれがおまえに『会いたい』と?」

宵闇の中から若々しい笑い声が聞こえた気がして、はっとふり返る。
「いや……」
そんなはずはない。ここにはいないのだ。こんなところに……彼岸のそばにいるはずがない。
「まぼろし、か」
夕餉だと叫ぶ子らに笑顔で答え、足早に我が家へと向かう。
紅い花の道を辿って。