零/ジャック
戦闘妖精雪風:深井零/ジェイムズ・ブッカー
on the couch
遅い夕食を終えたリビングとキッチンを片づけて、ジェイムズ・ブッカーはソファに腰を下ろした。
革の質感が裸の背中に心地よい。風呂上がりだからゆるいジーンズをはいているだけで、肩の勇ましいドラゴンも堂々とその姿を晒していた。
行儀の悪い訪問者が食い散らかした痕跡もすっかりきれいになっている。次の休みにはバスルームを掃除しようか……そんなことを考えながらビールの缶を開けたとき、そのバスルームのドアが開いた。
フローリングの床にしぶきが飛び散り、濡れた足跡が容赦なくつけられる。ジャックは思わずため息をついていた
「零……ちゃんと拭いてから来い」
「拭いた」
裸足の足跡は、ドアから迷うことなく直線ルートでこちらへ向かってきた。
ざっと水を切っただけに見える黒い髪は、陶器にも似た質感の肌に張りついて、まだ水分をたっぷり含んでいることを示している。申しわけ程度にバスタオルを腰に巻いているが、足跡から見てしっかり拭いたとは思えない。
上官の前に立った零は、その手からビールの缶を奪い取り、一息にあおった。
「おい……」
ジャックが不満を言う間もない。零は缶を持った手の甲でぐいと口元を拭い、あごを上げたままでちらりとこちらを見下ろす。
「水分補給だ」
「……好きにしろ」
怒る気もしない。ジャックはぐったりとソファの背にもたれかかって天井を仰ぎ、ついでに目を閉じた。零はきっちりビールを飲み干して、テーブルの上に缶を置く。それから、おもむろに腰を下ろした。
「零!?」
ジャックが驚いて目を開け頭を起こす。すぐそばに入浴後の上気した顔と、それに反する怜悧な無表情があった。
ソファではなくジャックのひざの上に尻を乗せた零は、当然の顔をして金髪の頭を自分に抱き寄せようとする。濡れているようにも見える眼で射抜かれたら、ジャックも腹を決めるしかない。濡れた腰に腕をまわし、近づいてくる唇を受けた。
ビールの味がする唇は、ジャックの唇をこじ開けて舌を侵入させてくる。ビールで冷やされたのかその舌は冷たく感じられた。絡みついてくる舌にジャックも応えたつもりだったが、零は金色の髭をなぞるように頬へと触れ、その手でジャックのあごを引いてさらに口を開かせる。
「は……っ」
角度を変えてさらに奥まで入り込む舌が、ジャックの呼吸を常より早く乱していく。
湿った手は髭の感触を楽しむかのように頬とあごを撫でていて、それがやたらにくすぐったい。上あごを器用な舌先でなぞられるにいたって、ジャックはようやく濡れた背中を叩き、降参の意志を伝えた。
「ふぅ……」
解放されたジャックは、再び口をふさがれることのないよう、零を抱き寄せてその肩にあごを乗せることで対処した。ここまで密着すると、零もジャックの首を抱くより他に腕のやり場がないからだ。シャワーの熱も引きかけたジャックの肌が、零の発する湿った熱に再び侵されていくのを感じたがどうしようもない。
「……くすぐったい」
髭が当たっているのだろう、零が不満げに肩をすくめた。さんざん人をくすぐっておいて、よく言えたものだ。
「ベッドに行きたいならそう言え」
真横にある耳にそう呟くと、同じように頭が動いて、ジャックの耳に返事が届いた。
「べつにベッドには行かなくてもいい」
決して声を張っているわけではないのに、零の言葉はいつも力強い。その明確な意志の強さに気を取られ、押し切られてしまう事態がなんと多いことか。今回もその気配を感じて、ジャックは心なしか声を固くした。
「どういう意味だ?」
「そのままの意味だ」
意志の強い声と、その声を裏切らない力強い手が、ジャックの腕を掴む。現役パイロットの腕力は伊達ではなく、自分に絡みつく腕を引き剥がし、狭いソファに組み敷くのに息も切らさなかった。
「零……」
哀願を込めて、乗りかかってくる相手を見上げるが、泣き落としが通用する相手でもない。深井少尉の意志を曲げるのは、何階級上の人間であっても難しいのだ。
濡れた黒髪から伝い落ちてくる雫に顔をしかめながら、ジャックはサイドボードを指さしてみせる。案の定、零の視線はその長い指の先へと向けられた。
「ゴムはつけろ。それならここでもいい」
零は引き出しのひとつを暫し凝視していたが、やがてジャックに視線をもどした。
「了解した」
なんとか交渉は成立したようだ。ジャックは息を吐き出して、頭上のクッションを引き寄せる。革のソファは少しべたついて、先ほどの心地よさはなくなっていた。
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