神戸/大河内
相棒9:神戸尊/大河内春樹
いつものように、剣道の稽古に呼び出されたある日。
「ぼくが一本とったら、ぼくのこと好きって言ってくださいね」
そんな罰ゲームを思いついたのは、ただ彼の困った顔が見たかったから。予想どおり、ただでさえ怖い顔にもっと力が入って、笑っちゃうくらいに怖い。
「私がとったら?」
「ぼくが好きって言いましょうか」
「却下だ。私になんの得もない」
「ひどいなあ……」
普段は、一本ごとにグラス一杯おごるのが基本。どちらにしても飲めるのだから勝っても負けても大した不満はない。真剣味に欠けるからと、ボトル丸ごと賭けるときもある。首席監察官はともかく窓際部署の警部補にはけっこう痛い出費だ。もうちょっと痛くない真剣味は出せないだろうかと思ったことも事実だった。
今までの経験からいって、彼がストレート勝ちしたことはほとんどない。最低でも一回はこちらが決めている。いくら暇でもいちおう現場で動いている刑事と、有段者とはいえ終日内勤の管理職じゃあ、スタミナに差がありすぎるのは明白だ。
確率的には勝算の高い勝負、だったはずなのだけれど。
その日ついに、現場の刑事は内勤の管理職から一本もとれなかった。
いつもより汗だくになった身体を流しにシャワールームへ行くと、彼が先に入っている。
なにか一言くらい嫌味をぶつけてやりたくて、胸の高さにある扉に寄りかかって個室を覗き込んだ。
「そんなにぼくのこと嫌いなんですかあ?」
「なんのことだ?」
拗ねた声を作ってみせれば、わざとらしく語尾を上げた返事。シャワーで気持ちがほぐれているだけに見えるけど、たぶん気分もいいんだろう。賭けに勝ったから。
「言うだけならいいじゃないですか、減るもんじゃなし」
べつに言質を取りたいわけじゃない。わかりきっている感情を確かめたいわけでもない。ただ、その言葉を口にするとき、彼がどんな顔をするのか。それが見たいだけだった。そして見られることを確信していたから、余計に残念で悔しい。
そう、無性に悔しかった。
「よっ……と」
扉の上から手を伸ばして中の錠をはずす。
「神戸!?」
素早く個室に押し入って、そのまま彼を水流が当たる壁に押しつけた。
「おい……っ」
「流したとこすみませんね」
自分でもいやになるくらい汗くさい身体で、たった今きれいになったばかりの身体を抱きしめる。汚してやった、なんて妙な快感に浸ってみたりして。
「か……」
「声、出さないほうがいいんじゃないですか?」
稽古場にはだれもいなかったけど、それでもここは警視庁内で、どんな理由があってもこんなことをしていい場所じゃない。警務部にいたころなら、思いつきもしなかったかもしれない。
歯ぎしりをしかけた口を唇でふさいだ。大きく上下する胸に掌を押し当てると、小さな突起が敏感に反応する。指の先で舐めまわすようにそこをいじりながら、舌先では彼の舌を絡めとり、脇腹から腰へとなぞっていった……が、その手を強い力で掴まれた。
そんなことをしても意味がないのは彼もよくわかっているはずだ。手を使わなくても直接腰をすり寄せれば、激しい運動で火照った身体にはそれだけで充分な刺激になる。
「……ぅんっ!」
頑丈な指が腕に食い込んできて痛い。負けじとしっかりホールドした頭をさらに抱き寄せて、熱い息と舌を貪る。腕が痛くて、息苦しくて。でもそれを忘れさせるくらいの、いや快感にすり替えるくらいの刺激が、腰から絶え間なく駆け上がってくる。
「ぁは……っ」
前戯レベルの、行為とも呼べないような行為だというのに。
勃ち上がった性器が押し返してくる弾力や、濡れた体毛が絡まって引っぱり合う感覚が、正常な判断能力を奪っていく。ストイックなスーツの中に押し込められている肉体がこんなにも淫らなのだという愉悦。そしてそれを知っているのは、自分だけなのだという優越感にも酔いしれて。
「神戸……っ!」
触れ合う唇から、息だけの呼びかけが洩れた。その切なげな響きと絶頂に震える身体に、暴発寸前の欲望が耐えられるわけがない。
「ぁ、ああ……っ!!」
自分で声を出すなと言っておいて、シャワー室に反響するくらいの嬌声を上げてしまった。
白濁が二人の脚を伝ってシャワーの湯といっしょに流れていく。
ふと彼を見ると、息を鎮めようと必死な顔をしていた。自分もそんな顔をしているのだろうと思ったら無性におかしくなって、つい笑いが洩れた。
「……なにがおかしい」
「全部ですよ」
こんなところでこんなことをしている自分たち自身が、ひどく滑稽で。
「それじゃあ今夜、いつもの店で……約束どおり、ぼくのおごりですから」
意地悪く囁こうとしても、笑いを噛み殺しながらで今ひとつ決まらない。
ざっと汚れを流してからその個室をあとにする。当然ながら引き止められなかった。彼はぐったりと壁によりかかったままだった。
隣ではなくひとつ置いた個室に入ったのは、いちおうの気遣いのつもり。
こちらの水音で彼の気配を感じられなくなってからすぐに、向こうの扉が大きな音を立てて開く。怒っているのか、まだ昂奮が収まらないのか。水音に隠れてくすくすと笑う。賭けには負けたけれどこんなのも悪くない……
そう思えたのは5分だけ。
シャワーを浴びているうちにだんだん冷静さが戻ってきた。
自分から言い出した勝負に負けたくせに、その結果が気に入らなくて彼の最もいやがりそうな暴挙に出てしまった。正当性は全くない。
「なにやってんだ俺……」
どっちかが少しでも浮き足立ったら、すぐにボロが出て破綻してしまう関係なのはよくわかっている。全く同じ状況でなくても、商売女や不倫で身を持ち崩した連中は山ほど見てきている。どんなに本気でも頭のどこかは常に醒めていなければ。なんて、できているつもりだった自分が情けない。
意外に執着していたのだ。
言葉を求めたり、想いを試したり……この関係の、目に見える「かたち」を手に入れることに。そんなものなどありはしないし、あってもいけないのに。
その夜、浮かれすぎた男は律儀に店に現れた彼に平謝りして、グラス数杯どころかボトル一本をおごるはめになる。
どんな警官も黙らせる仏頂面は崩れなかったけれど、その夜の彼はなぜか、終始機嫌がよかった。
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