大河内/湊

▽相棒,2004_相棒2,[PG]

相棒2:大河内春樹/湊哲郎、杉下右京/亀山薫


証明不可能

白い息を吐きながら建物を見上げる。明かりがついている窓はもうずいぶん減ったが、それでもまだ残業している部署は少なくない。
冷たくなった手をこすり合わせながら、何度目かわからない白いため息をついた。
職業柄、待つのは慣れている。だからこれは待つことへの憂鬱ではない。ため息の原因があるとすればそれは……
「杉下警部……?」
ちょうど出てきた待ち人と、正面から目が合う。怪訝そうな顔で立ち尽くす彼に、右京はにこやかな顔で一礼してみせた。
「こんな時間に、どうされました」
「あなたをお待ちしておりました、大河内さん」
大河内の眉間に、深く皺が寄った。

元妻の店ではなく、少し騒々しいショットバーへと彼を誘う。カウンターの隅に陣取ったのは、互いに顔を見なくても済むように。
しかし大河内は警戒の色を露わにして、横目に右京を睨みつけていた。
「もう事件は終わったはずでしょう。それとも、まだ暴き足りないというのですか」
「いえ、今日は個人的なお話をしたいと思いまして」
二人の前にグラスが来たが、どちらも乾杯などとは言い出さない。大河内は勝手に一口飲むと、懐から例の「ピル」を取り出した。
「だからお一人でいらしたのですか。『相棒』を置いて」
がりっ、という音を聞きながら、右京はつい微笑む。噛み砕いているのが苦い薬だと思い込んでいたときと、その正体を知った今とでは、音までがちがって聞こえるから人の意識とはふしぎなものだ。
だが「ピル」についての謎はもう解けた。追求のしようもない。今、右京の心に引っかかっていることといえば。
「あなたと湊さんのことが聞きたいのです」
予想していたとおり、大河内の眉間に深い皺が刻まれた。
「これ以上、なにか疑問な点でも?」
「いえ……そうですね、疑問といえば……ぼく自身です」
眼鏡の奥の目が、わずかに見開かれる。
「……私と湊の話で、その疑問が解消されるのですか?」
「さあ……どうでしょうねえ……」
正直な話、解決するなどとは思っていない。ただ自分の結論が正しいか、答え合わせをしたいだけ。そういった程度だ。
「これはぼくの推測ですが、湊さんはストレート……失礼、的確な表現ではありませんね。異性愛者だったのではありませんか」
「……………」
口を引き結んで黙り込んだ大河内は、グラスを揺らしながら宙を見つめ、そしてこちらを見ずに呻った。
「ストレートの部下を誘う手管を知りたいのなら、はっきりそうおっしゃればいい。どうやって亀山巡査部長を手に入れたらよいのか、と……」
「……………」
黙り込んだ右京に、呆れたような一瞥が投げられる。
「あなたが私と湊の関係を指摘したときから、違和感はありました。物的証拠もなしに、そんな突飛な憶測を口にできる自信……あるいは、思い込みと言ったほうがよろしいか。あなた自身が当事者でなければ、その真実には辿りつけなかったはずです」
一息にまくし立ててから相手が言葉に詰まっていることに気づき、彼は気まずそうに目を逸らした。
「……失礼。口が過ぎました。今さら恨み言をいうつもりはないのです」
「いえ……ぼくのほうこそ、無神経でした」
自分でもその穴には気づいていた。しかし「個人的な」依頼を持ち込まれたとき、かすかに引っかかった感覚が、右京を真実へと導いたこともまた事実なのだ。その感覚の正体が、今の「謎」だった。
「恥ずかしながら……ぼくはその分野にはとても疎いのです。かつて妻だった女性にも言われました。ですから、この感情がそうなのかも、はっきりと断言はできない……あなたの話を聞けば、ぼくとの共通点あるいは差異がわかると思ったのです」
飾りも打算もない右京の告白に、大河内は意表を突かれた様子だった。戸惑いながら目を背け、また小瓶を取り出す。
「……彼は、少しも湊に似ていない」
手のひらに錠剤を落としながら、大河内は独り言のように呟いた。
「だが、湊を見ているような気分になる。いや、ちがう……」
二人の男の視線がぶつかる。
「アルバムを開いて自分たちの写真を眺めているような、そんな気持ちになるのですよ。あなた方を見ていると」
10粒ほどの「ピル」を一気に口の中へ放り込んだ彼は、その手で口を押さえたまま小さく笑みを洩らした。
「おかしな話だ。私たちは一枚の写真も撮ったことがないのに」
自嘲的な言葉は、彼らの関係がどんなものだったかを端的に表現していた。湊の自宅には当然ながら夫婦のアルバムがあり、浮気相手のOLの携帯電話からも、彼女が撮った二人の写真が見つかっている。しかし、最も愛する人との写真だけは、撮ることすら許されなかったのだ。
「ご推察のとおり、湊はストレートでした。すでに結婚もしていた。だから、私は湊を遠ざけた。叶わぬ想いなど、最初からないものにしてしまえばいいのですから」
淡々と語る彼は、今までどれだけの恋を押し殺し、心の奥底へ沈めてきたのだろう。大河内にとって自分の心を偽ることは当然の行為だったにちがいない。
「湊は、あくまで敬愛する上司として私を慕っていました。私から敬遠されるのは自分の能力不足と考え、私に認めてもらおうと逆に距離を縮めてきたのです」
小休止に、ピルを噛み砕く音。
「私は最後の手段として、彼に自身の性癖をそれとなく気づかせました。リスクはありましたが、いざとなれば彼を『切る』手段はいくらでもある。たとえ内心で軽蔑されても、私のキャリアには傷ひとつつかないという確信を持っていました」
「しかし、湊さんは、あなたを軽蔑などしなかった……むしろ、同性が恋愛対象となりうることに気づいてしまったのですね」
一瞥とわずかな首肯だけで、大河内は右京の推測を認めた。
「もともと仕事一辺倒で、家庭的な男ではありませんでした。すれちがいの多い妻よりも、ともに過ごす時間が長い上司のほうへ心が傾き……あとはあなたもご存知のとおりの結果です」
大河内と湊がしたことは、法律上の関係を無視した反社会的な行いであり、男も女も関係ない。それでも、湊が命を賭してまで守りたかったものが愛する男の未来だと気づいたとき、右京は常にない動揺を覚えた。
真実を隠し、心を偽り、世間の目に怯えて生きていくことが正しいとは一度も思ったことはない。だが結局、どこかで嘘をつかなければならないとしたら……自分なら、どんな道を選ぶのだろう。
右京は別のカクテルを注文した。どれほどアルコールが入ったところでそれほど変わらないのだが、しらふよりはまだ話がしやすい。
「亀山くんには、恋人がいます。彼は誠実で、彼女もまたそれに応えられる女性です。ぼくは二人を悲しませたくはありません」
「ならば、答えは最初から出ているはずだ。論理的なあなたの頭脳は、とっくに結論を出している」
「ええ」
迷わず答える右京を、大河内は窺うような目で眺めた。
「なのにあなたの心は、その結論を受け入れていない。それこそが真の答えなのではないですか」
監察官聴取でも受けているような気分になる。心にやましいことがある哀れな警官たちは、こうして足下から切り崩されていくのだろう。
「そういうことに……なるのでしょうかねえ」
ため息混じりにグラスへ口をつける。
どうしたいわけでもない。大切な相手の幸せを願っているだけだ。それなのに、胸が痛むような気がする。これが大河内の「秘密」と同種のものであったとしたら、自分は悲劇を起こさないと言えるだろうか?
右京の葛藤を察したらしい大河内が、静かに語りかけてきた。
「杉下警部。あなたは、私ではない」
「はい?」
「亀山巡査部長も、湊ではない」
思わず、表情のない横顔を見やる。
「それが私の希望です」
にこりともせず、処分を言い渡すかのように硬い声で告げられた言葉は、右京が彼から聞いた中で最も優しく響いた。
グラスの横に置いてあった小瓶に、彼が再び手を伸ばす。
「ぼくにも、一粒いただけませんか」
大河内は片眉を上げたが、無言で小瓶を差し出してきた。
手のひらに数粒転がり落ちたそれを口の中に放り込み、彼の真似をして噛み砕いてみる。予想以上に大きな音が出て口を押さえたが、そんな自分がおかしくて笑い出してしまった。
「甘ずっぱいですねえ……」
ひどく、的はずれな感想を呟きながら。

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