スパイク/ジェット

2002_COWBOYBEBOP,[R18]

カウボーイビバップ:スパイク/ジェット R18

HEAVY HEAVEN

行為のあとで、パートナーがぼそりとつぶやいた。
「なんで俺なんだ」
「あ?」
なんだかすねたような、とまどったような声で、俺は思わず起きあがる。目が合うと、うろたえたようすで逸らされた。
「……まえはともかく、今は女がいるだろ」
なんだよ、そんなこと気にしてんのかよ。俺はがりがりと頭をかいて、またベッドに倒れこんだ。そういや、性欲処理とかなんとか。そんな理屈もつけたっけな。今さらそんなこと、どうでもいいだろうが。
「抱く気にゃなれねえな」

 女はダメだ。過去を思い出させる。

「好みじゃないのか」
「ああ、ぜんぜんだね。はねっかえりで、品がなくて、おまけに牛みてえな乳してやがる」
「巨乳はダメか」
そこじゃねえだろうが、論点は。まぜっかえすのもバカバカしくて、俺は神妙な顔でうなずいてみせた。が、二秒後、こらえきれなくて爆笑してる俺たちがいた。
ったく、かなわねえなあんたには。だから好きなんだよ。
「……それに、あの女はこだわりすぎるんだ」
「なにに」
「過去と、今だよ」
ガキみたいに執着して、俺を滅入らせる。だから俺は、女は抱かない。
とくに、あの女は。

忘れたいのかなんなのか、自分にもわからない。

 忘れたい過去。
 忘れられない女。
 忘れちゃいけない傷。

感情の記憶ってのは、うかうかしてるとすぐに忘れちまう。
死にかけたときなんかは、もうダメだと思うもんだ。だがなんとか息吹き返したあとじゃ、ダメだと思ったことなんか忘れちまってる。
だからかもな。治りかけた傷にナイフを突き立て、痛みが消えないようにしてる。
だが何度もくり返してるうちに、その痛みにも慣れちまった。
最初の痛みを求めて、俺はナイフを突き立てる。もうとっくの昔に、最初の傷なんか見えなくなっちまってるってのにな。
贖罪? よしてくれ、俺はそんなに殊勝な人間じゃない。

とにかく、天国への階段を数回登りかけた今じゃ、生きてる実感すら忘れそうになってる始末だ。
死に神が目の前で笑ってたって追い払う気にもなれない。

俺は本当に生きてんのか? 
今いる世界は夢か現実か? 
そんなわかりきってることを確かめたくて、俺は……

「ちょっと聞いてんの!?」
女がなにかを愚痴ってやがる。腹がへっただとか、シャワーがこわれただとか、マシンの調子が悪いだとか。俺の安眠を妨害するがごとく、頭の上から不平不満の雨を降らせる。
……ああ、まちがいねえ。俺は生きてる。天国ならこんな目には遭わないだろうさ。
「……ジェットに言えよ」
「いないのよ! どこ行ったか知ってんじゃない?」
「さあな」
俺が訊きたいね。少なくとも、あいつがいれば俺はこの女の不平を聞かずにすむ。
「産婦人科じゃねえのか? 避妊してねえからな」
意地悪くそう言ってやると、女は案の定ことばを失って頬を引きつらせた。ふん、これくらいで怯むようじゃまだまだだぜ。
「ったく、ジョークにもデリカシーってもんがないのかしら」
「おまえが言うかよ」
「失礼な男ね、レディに向かって」
女は肩をすくめ、ソファにどっかりと座りこむ。その座り方がすでにレディじゃねえだろうが。
「男ってわかんないわね。この世にはなんのために男と女がいると思ってんのよ」
古い女だ。この女は、ときどき前時代的な物言いをする。23歳とか言ってたか? わかったもんじゃねえな。
「ま、別にいいけど」
タバコくわえて「火」とすごむ顔は、やっぱ好みじゃねえな。苦笑しながらライターを投げてやると、礼も言わずに火をつけてテーブルに放り出しやがった。おまえなあ……しかも鼻から吐くなよ。
「ちょっと、あんた」
そうするのが自然になってるんだろう、美しい足を最高の角度で組みなおし、ソファにもたれかかって。けだるげに俺を見やる。黙ってりゃ文句なしの一級品。だがもちろん、黙るわけがない。
「あぁ?」
美しい指でタバコをはさんで、美しい唇で煙とともに毒を吐く。

「ダンナを利用するのもほどほどにしなさいよ。化石みたいに古くさい男なんだから」

「…………ッ」
情けないが、絶句しちまった。
女ってな、なんでこう妙に勘が鋭いんだ。
「おまえ……」
なんで知って……?
俺の狼狽を気にもせず、女はくわえタバコのまま俺を睨みつける。
「わかった?」
「……オーライ」
くそ、つくづく好みじゃないぜ、この女。

「なあ、ジェット」
とっくに息の上がってる相手に、声をかけてみた。
「な、んだ……ッ」
俺がちょっと動くだけで、この表情も声色もどうにでもなる。わかりきってるのに、何度でも試したくなる。支配欲……独占欲……ちがうな、そんなもんじゃねえ。もっと単純で、バカバカしくて、どうでもいい理由。
「……呼んでくれよ……」
「スパイク……」
低く切なげな声が、俺の名を呼ぶ。生きてる人間が、俺を呼ぶ。それで俺は、自分が生きてるってことを思い出す。
「ぅ、スパィ……ク……」
今生きてる人間が、俺を呼ぶ。今が過去じゃなく、今だってことを思い出させてくれる。ここが夢の中なんかじゃなく、まぎれもない現実だってことを思い出させてくれる。

ああ、勘弁してくれよ。なんだってそんなにつらそうなんだ。つらけりゃやめちまえ。つきあう義理なんてないんだぜ。

 寛容。

 慈愛。

 同情。

冗談はよしてくれ。
あの女の言うとおり、俺はあんたを利用してるだけなんだ。だからそんなに優しくしてくれなくたっていいんだよ。

なあ。

あんたを抱いてるときくらいは、忘れさせてくれよ。
愛するってことの意味を。
俺は生きてるのがわかりゃそれでいいんだ。

どこのバカが、セックスを「愛しあう」なんて定義づけたんだろうな。

なあ。

たのむから、そんな優しい眼で見るなよ。
すがりそうになるじゃねえか。
この世界に。
愛するってことに。

 ……あんたに。

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