戦兎/石動
【be the one】
取材を終えて、原稿をまとめに行きつけのカフェへ向かった。
「いらっしゃい!」
「あ、紗羽さん! いらっしゃい!」
看板娘が最高の笑顔で迎えてくれる。陽気なマスターのコーヒーは絶品で、パスタなんかもハズレがないから、ついつい通ってしまう。
カウンター席に座るなり、携帯端末にメッセージが届いた。幼なじみからで、「たまには顔を出せと社長が言っている」だって。
社長っていうのは彼が働いている町工場の社長で、私と彼を小さいときからかわいがってくれた人。今は孫二人が実質会社を回しているけれど、それでも毎日作業着姿で工場に顔を見せる、職人気質のおじいちゃんだ。
でもたしかに、最近忙しいからあまり帰っていなかった。次の休みに帰ると返信したら、即レスで日程をはっきりさせろとかうるさい。昔から細かすぎるのが面倒な、でも大切な私の家族。
ソファ席では、看板娘目当ての騒がしい連中がわいわいとやっている。べつにかまわないけど、美空ちゃんが迷惑そうならちょっとなにか言ってやらないと……。
仕事を始める前にコーヒーで一息ついていると、スーツの男が入ってきた。
目が合ってしまったのは偶然で、でも無視して顔を背けるわけにはいかなかった。笑顔を作って軽く頭を下げる。相手も驚いた顔をしたが、さすがに親しげに話しかけてくることはなく会釈だけしてカウンターの反対側に座る。
さっそくテンションの高いマスターに絡まれているけれど、政治家の秘書もこんな店に来ることがあるんだ。ちょっと意外。向こうもノートパソコンを広げたから、仕事なのだろう。
こちらも仕事をしながら、コーヒーのおかわりを頼む。
また新しい客が来た。
見るともなしに目を向け、それから思わず振り返りそうになった。ここのマスターお気に入りのバンドのボーカルと、最近大活躍で人気急上昇中の格闘家。なにその組み合わせ。
「ねえ、あれって……」
カウンターの中の美空ちゃんに小声で尋ねると、彼女は首を振った。
「すごい似てるけど別人なんだって。よく見るとやっぱ雰囲気とかぜんぜんちがうしねー」
へえ……他人の空似というには似すぎている、けどたしかに印象はかなりちがう。おもしろバンドのボーカルは驚くほどに知的な表情で、逆に硬派で売っている格闘家のほうは妙に柄が悪い感じ。
それはそれで興味深くはあるけれど、でも記事になりそうなネタでもない。しかしほんとうによく似ている。
格闘家似の……ううん、めんどくさい。ニセ万丈龍我は、なぜかコーヒーに口をつけるのをためらっていて、向かいに座っているニセ佐藤太郎が「だいじょうぶだから」としきりに勧めている。ニセ万丈はおそるおそる飲んで、「え、ウソ、うめえ!」とよくわからない叫びを上げた。
それから二人はコーヒーを飲みながら店を見渡したりして、そのせいでときどき目が合ってしまったりもした。でも他の客にも目を向けていたから、あまり気にしてはいないみたい。
そんな感じで原稿もあまり進まないでいる中、編集部から連絡が入った。
いけない、そろそろ戻らないと。
あわててパソコンと資料を片づけて、ちらりとこちらを見た氷室さんにまた頭を下げて。美空ちゃんにお勘定を頼んだところで、テーブル席のニセ万丈が勢いよく立ち上がった。
「おい……」
ニセ太郎がたしなめるように声を上げるが、ニセ万丈は肩を震わせ、そのまま店を飛び出していった。伏せられた顔は泣いているようにも見えた。
「ケンカでもしたのか?」
ソファ席で中心になっていた若い男が、ニセ太郎に声をかける。美空ちゃんに話しかけているときはしまりがないのに、妙に男気のある顔になっていた。
「いえ……ちょっと、見解の相違があったみたいで。すぐ落ちつきますよ」
大人びた表情のニセ太郎は苦笑しながらコーヒーを飲み干す。……うん、やっぱり別人。
「友だちだろ? ちゃんと向き合ってやんなよ」
「そうですね……」
田舎のヤンキーの男気発言が背中を押したのか、たまたま帰ろうとしていたのか、彼はゆっくり立ち上がった。
「マスター、お勘定置いとくね。コーヒー美味しかった」
「グラッツェ! また来てね!」
「……うん」
彼は消え入りそうな笑顔をカウンターの中に向けると、静かに、でも足早に店を出ていった。
「おい万丈!」
戦兎は店の裏に佇んでいる万丈に駆け寄った。
壁に寄りかかった彼は雲ひとつない青空を見上げながら、濡れた頬を拭いもせずにただしゃくり上げていた。
「万丈……」
「なんでおまえは平気なんだよ!」
歩み寄る戦兎に、万丈は泣きながら怒鳴る。だがその直後に苛々と頭を振り、背後の壁を殴りつけた。
「わかってる、わかってるよ! あれはおまえが……俺たちが望んだ世界だ!」
分断も戦争も破壊もない、平和な世界。
だれも傷つかない、命を絶たれない、それぞれの他愛ない日常を送っている世界。
仮面ライダーが、存在しない世界。
「でもよ……!」
目の前の戦兎の胸ぐらを掴み、泣き顔のまま万丈はうなだれる。
言葉が足りない彼の気持ちは、戦兎にもよくわかった。知った顔が……死線をくぐり抜け、ときに楽しくさえあった非日常を共有した人々が、まったくの別人としてそこにいる。彼らの世界に自分たちはいない。あの濃密な時間も関係も、もはやだれも知りえない。自分たち以外は。
この選択を、後悔はしていないが……。
「帰るぞ」
「どこにだよ!」
万丈のもっともな問いには答えず、戦兎は相棒の手首を掴む。振り払おうと力が入ったのを感じたが、彼は結局その手を払いのけはしなかった。
「戦兎……?」
涙声で呼ばれたが、すぐに返事はできない。
「なんで平気かって……そりゃ一人じゃないからだよ」
自分の口から出たとは思えないほど震えた声は、相手と同じに涙で濡れていて。自分くらいは冷静でいなければと思うのに、嗚咽が止まらない。
息をのんだ万丈が、おそるおそる戦兎の手を握ってきた。 納得したのかはわからない。だが、万丈は戦兎の前髪をくしゃりとかき上げ、そして軽く頭を叩いた。
「おまえが泣いてどうすんだよ、バーカ」
「うるさいよ……」
「ぜんぜん平気じゃねえじゃん」
「黙ってろってば……」
空は青くて、風は気持ちよくて、この壁の向こうではかつての仲間や敵が平和な時間を過ごしていて。
だれでもない二人だけが、手をつないでみっともなく泣きじゃくっている。
それでも独りで泣くよりはましだ。
どんな絶望にも打ち勝てる、この知らない世界を生きていける。
「戦兎」
その名を呼んでくれる人間が、たった一人でもいれば。
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