戦兎/石動

2017_仮面ライダービルド,[PG]

【After Build -master-】

 その日は一日中空模様が怪しくて、雨が降ったりやんだりだった。客足もそれに合わせて、まあそれなりといったところで。
 そんな日に、彼はまたしても一人でやってきた。傘もレインコートもなしで、着た切り雀のコートのまま。
「傘、貸そうか?」
 彼が帰ろうと腰を上げたころにはもう他の客もいなかったから、そう尋ねてみたが、外を見た彼は「だいじょうぶ」と笑い、そのまま出ていった。
 ……その数秒後。
 いきなり地面を叩きはじめたどしゃぶりに、店の片づけをしていた俺は思わず飛び上がり、美空も思わず悲鳴を上げる。
「これ、さすがにヤバイでしょ」
 美空が言ったのは、たった今手ぶらで出ていった青年のことだ。
「だよな」
 俺は彼に貸すつもりだった傘をつかんで店を飛び出す。
「きみ!」
 通りに出る手前のところで、ずぶ濡れで立ち尽くしている彼がいた。たしかにこのへんは軒下なんてないけど、じゃあうちに戻ってくるとかあったでしょうに。どうして無抵抗に濡れてしまったのか……。
 ぼんやりとこちらを見返る彼の、見覚えのある表情に内心ぎょっとするが、そしらぬふりをして駆け寄る。
「傘……もう遅いか」
 彼の上に傘を差し出して初めて、一本しか持ってこなかったことに気づいた。よほどあわてていたらしい。
 彼は驚いたように頭上の傘を見上げ、髪が張りついた顔で笑ってみせた。
 雨の中で、彼の笑みを見るのは初めてだった。しかもそれが自分に向けられているなどとは、すぐには信じられなかった。
「ホントだね。でもありがとう」
 だいじょうぶ、どうせまたすぐやむから、と言って歩き出そうとする彼の腕を、つかんでしまったのはどういう衝動か。
「マスター?」
「風邪ひくぜ? うちで雨宿りしていきなよ」
 彼の表情が変わるところまでは見ていられなかった。ただ濡れたコートの肩を抱き、傘をかたむけて強引に店まで連れ帰った。

「悪いね、俺のスタイルがよすぎるばっかりに」
 彼に与えたシャツもパンツも当然ながら丈が長すぎて、でも彼はどこかうれしそうに余った袖を揺らしている。乾いた服に着替えてほっとしたのだろう。
 頭から足先までびしょ濡れだったから、全部脱がせて乾燥機に放り込んだが、コートだけはさすがに型くずれしないよう丁寧に扱わないといけない。
 別の世界で俺が買ってやったコートは、濡れているだけでなくあちこち綻んでいた。数々の戦いをくぐり抜けてきた証だ。
「あーあ、高かったのに……」
 ふと呟いた独り言に、濡れた髪を拭いていた彼がはっと顔を上げる。
 まずい、冗談のつもりが口をすべらせた。
「このブランド、案外高いんだよな。俺も若いころ着てたからさ。この腕時計も……」
 あわてて取り繕ったが、彼のほうは全く聞いていないようだった。
「買ってもらったんだ」
 頭にかかったタオルの下から、細い声が聞こえる。
「俺、なんも持ってなくて……でも、その人が全部くれた。服も、時計も、食事も、家も……生きる意味も。人間として必要なもの全部……」
「……そっか」
 まともな相づちなんか出てくるはずもない。「その人」は、最終的に彼からすべてを奪ったのだから。
「でも、全部嘘だったんだって、あとからわかって……」
 彼はタオルを顔に押しつける。
「今でもわからなくなるんだ……俺が信じたのは……俺が好きだった『あの人』は、いったいだれなんだろうって……」
 その答えを知っているのは、後にも先にも俺だけだ。
 エボルトは人間の感情を理解できず、引き出せるレスポンスにしか興味がなかった。桐生戦兎が石動惣一にどんな感情を抱いていたか、その逆も、エボルトは知りようがなかった。
 だが、すべて終わった話……いや、この世界では始まってもいない、なかったことになっている話だ。今ここで真実を語り、旧い世界の、もう存在しない「石動惣一」の名誉を回復したところでなんになるだろう。
「……ごめん、マスターにこんなこと言っても、仕方ないよね」
 鼻をすすり、彼はむりやり笑ってみせた。それでもまだ顔は上げない。
「でも関係ないマスターだから言えるのかな」
 彼にとって、今の俺は「憎い敵と同じ顔をした別人」でしかない。恨み言をぶつけるにはちょうどいいのかもしれない。
「いや、元凶は他にいてさ。そいつに利用されて、望まないことさせられてた『その人』も苦しかったと思うんだよ。それを知らなかった時点で俺もそいつと同罪なんじゃないかって考えたら、けっこう惨めでさ……
 俺、その人のことなんも知らなくて、傷つけるばっかだったんじゃないかって……答えなんてもうわかんないのに、今でもその人の顔見ると、申し訳ない気持ちになるときがあって。でもなんでかなあ、様子見に来ちゃうの」
「……………」
 思いもしなかった。
 彼を苦しめていたのは、石動惣一に裏切られたという屈辱ではなくて。自分が石動惣一を苛んでいたかもしれないという自責の念だったのか。
 あれほど傷つけられ、弄ばれたというのに、同じ顔をした男を彼は憎悪の対象にしなかった。それどころか……。
「きみは、それでいいのかい」
 自分で尋ねながら白々しいと思う。だがそんなことを知りようもない青年は、うなずいて口元だけでも笑ってみせた。
「今その人は俺と無関係の世界で、幸せに暮らしてるから。マスター知らないだろ、この世界がただ存在してるって、すごいことなんだぜ」
 体に合わない服に包まれて、真っ白いタオルの下に表情を隠して、懸命におどけた、得意げな声を作って。孤独なヒーローはここでも強がるのをやめない。
 俺たちは、この世界の均衡と引き替えに、大きな代償を払っているんじゃないか。この哀れな青年に永遠の苦悩を背負わせるという、非情な代償を。
 ただ一人の相棒にさえ打ち明けようのない悔恨を抱えたまま、この先も「愛と平和のために」戦いつづけるのだろう。その正義すら、刷り込まれた借り物だというのに。
 おまえはあの男から、俺から、なにも与えられてなんかいない。すべて奪われるために「貸された」だけだ。
 だがたったひとつ、俺が与えたものがあるとすれば。
 知らず、拳をきつく握りしめる。
「……知ってるよ、戦兎」
 彼がタオルの下からこちらを見た。
「え……」
 この数ヶ月、何度も喉まで出かかって、何度も笑顔で飲み込んだ名前。彼はまだ自分で名乗ってはいない。この世界でその名を知っているのは、相棒だけのはず。
 俺との関わりが、彼らの存在をおびやかすことになるかもしれないという危惧から、あえて踏み込まないでいたけれど。
「自意識過剰でナルシストの、自称天才物理学者が救ったこの世界のことも」
 大きな目がさらに見開かれる。
「桐生戦兎が愛した相手のことも……おまえよりよく知ってるさ」
 愛するという言葉が適切かどうかはわからない。勘違いと罪悪感、依存と打算、馴れ合いに欲望……俺たちのあいだにあったのは、決して美しいものだけじゃなかった。
 それでも、俺自身が唯一、おまえに与えたものだ。
「きっかけはどうあれ……俺は本気で、おまえを愛したよ」
 エボルトが彼を俺の体で籠絡しようとしたことには、今でも憤りを覚える。自分の体などもはやどうでもよくなってはいたが、なにも知らない青年に歪んだ「愛」を植えつけようとする下劣さは許しがたかった。偽りの正義しか持たない彼が「汚れた」欲望に溺れる姿を、エボルトはことあるごとに望んだ。
 そんな敵から彼を守るためには、演技などしている余裕はない。彼だけに伝わるよう、必死に想いを注ぎ込むしかなかった。肉欲ではなく真摯な愛情を、彼が俺に向けるように。
 あのとき……あの「最後の」滅びゆく世界で、俺たちはたしかに、「愛し合って」いたんだ。
「俺たちのつながりは、嘘なんかじゃない」
「マスタ……」
 その顔、よく知っている。混乱の中、必死に情報を整理しようとしている表情だ。
 だがまだデータが、情報が足りない。俺がここにいる理由を結論づけるデータを、おまえは持っていない。きっと今も最悪の可能性から考えはじめている。
 さて、どう説明したものか……帽子のつばを下ろしながら言葉を探す。
「ごめんな……おまえにとっちゃ、宇宙で一番信用できない顔だろうけど……」

 それから乾燥機が止まるまで、俺は子供のように泣きじゃくる青年をただ抱きしめていた。

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