魁利/圭一郎
【紅薔薇】
「ただいまぁ!」
いつもならもっと気の抜けた声とともに帰ってくるはずが、今日はドアを開けるなり元気に入ってきた時点でなにかちがうとは感じていた。
「おかえり……なにそれ!」
初美花が頓狂な声を上げたので、透真も思わず振り返る。食材の袋を片腕に抱えた魁利の、もう一方の手には真紅の薔薇の花束。たしかに「なにそれ」だ。
「おみやげ~。店にでも飾ったらいいんじゃないかと思って」
そう言いながら初美花にそれを押しつける。
「え、なんでいきなり……」
戸惑う初美花にかまわず、キッチンから出てきた透真に紙袋を渡した魁利は、しまりのない顔でへらっと笑うだけだった。
「駅前の花屋のお姉さんがめっちゃ美人だったから、つい」
声をかけるついでに、買ってきたのか買わされたのか。普段は買い食いで時間をつぶしてから帰ってくるほうが多いから、今日は早いほうではあるが……
初美花が、花とテーブルの数を数えている。まとめて花瓶に入れておくほうが楽だと透真は思ったが、彼女は一輪ずつ飾るつもりらしい。
「駅前に花屋なんてあったっけ?」
「移動販売で、今週はずっといるって。いいよなあ、花と美女って最強じゃん、無敵の組み合わせじゃん」
「でもなんでバラ? うちにはちょっと派手っていうか……」
「花って言ったらバラだろ? いちばん手前にあったし。他の花は名前わかんなかったし」
完全に下心最優先で、いっそすがすがしい。説教しても意味がないし、そもそも彼の面倒をそこまで見てやる義理もない。透真は花の処理に頭を切り替える。
「初美花、きちんと洗って水を吸わせて……」
指示を出しながら、自分でやったほうが早いと思いなおしたとき。
何気なく一輪を花束から抜こうとした魁利が、顔をしかめて手を引っ込めた。
「いって……」
「もーなにやってんの、バラにはトゲがあるんだよ」
「知ってるよ!」
ふてくされながら、血のにじんだ指先を口に含む。
透真はため息をついて、その腕をつかんだ。
「ちょっと貸せ」
「あ?」
その場から動かない魁利を引きずって、蛇口の下までその手をひっぱってくる。水で血を流し、水気を拭き取ったあとで絆創膏を出してその指に巻いてやった。わざときつめに。
「え、なにそれ準備よすぎるんだけど」
初美花が若干引いた顔で覗き込んでくるが、今さら気にもならない。魁利に自分でやらせるほうが、却ってあとで面倒になると思ったからだ。
されるがままの魁利は、手当てされた指を眺めてにやりと口をゆがめた。
「舐めてくれんのかと思った」
初美花は「やだあ」と笑うが、透真からするとどこまで冗談か判断がつかないのが厄介だった。
「衛生管理をなんだと思ってる、今日はキッチンに立ち入り禁止だからな」
「はぁ!?」
いたわってもらえると思っていたのか当てが外れた顔の魁利が騒ぐが、いちいち聞いてはいられない。初美花から花束を引き取り、生けるのに適当な器を考えながら包装を剥がす。
「花言葉は、愛情、情熱、愛の告白か……偶然とはいえ、口説きに使うにはちょうどいいな」
薔薇は色や本数によっても花言葉が違うのだと婚約者から教わったことを思い出す。それほど強い想いを持って贈られる、特別な花なのだと。
「すごーい透真、物知り!」
初美花が素直に感心する横で、魁利がおもしろくなさそうな顔でふくれていた。
各テーブルに置かれた花は、今日一日だけでも店にそれなりの華を添えてくれた。客に尋ねられるたび、魁利が得意げに答えている。調子のよさは相変わらずだ。
水を換えればもう数日もつかと考えていた、その日の夜。
国際警察の朝加圭一郎が入ってきた。制服ではなく通勤用のスーツ姿で、表情も穏やかに見える。
基本的には仕事中の休憩時間に同僚の二人とともにやってくるのだが、時折……おそらくは魁利の様子を確認するために……出勤前や退勤後にコーヒーを飲むためだけに訪れる。魁利のほうも、どこかでそれを待っている節があった。
今日も、魁利が一方的に中身のない話を振って圭一郎が聞き役にまわっている。二人ともよく厭きないなと思ってしまうのは、こちらが魁利の雑談に全く興味がないせいか。
はじめのうちは捜査情報を聞き出してやろうという下心もあったようだが、圭一郎のガードの固さにあきらめたのか、目的と手段が入れ替わったのか、完全にただの世間話しかしていない。
しかし相手も魁利に引きずられて閉店時間まで居座るということはなく、さりげなく時計を見て「明日も早いから」と切り上げてくれる。
レジで会計を終えた圭一郎に、魁利は手近なテーブルから薔薇を一輪取り上げた。それから濡れた茎を折る。
「はい、サービス」
そう言いながら、圭一郎のスーツの胸元にその花を差し込んだ。
「魁利くん?」
レジの前にいた透真も、思わず目を見開いた。さすがに客の手前、強い言葉は飲み込んだが。
魁利のほうは愉快そうに、困惑する相手を眺めまわしている。
「やっぱ赤似合うなあ。あ、知ってます? 花言葉は情熱なんですって、ぴったりじゃないですか」
聞きかじったばかりの半端な知識を披露して、きっと驚く圭一郎の顔が見たかったのだろう。相手もわざわざくれたものを突き返すにもいかず、しかし明らかに似合わないのも自覚しているのか複雑な顔で花を見下ろすしかできない。
「でも、トゲには気をつけて……怪我するから」
魁利は絆創膏を巻いた指を、彼の鼻先に突き出してみせる。面食らった表情の圭一郎は、それでも魁利の厚意と受け取ったのか、目元を和ませた。
「ありがとう……じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさーい」
ひらひらと手を振る魁利の横で、透真もいちおう店員として頭を下げる。ドアが閉まってから、その肩に手を置いた。
「入れ込みすぎるなよ」
「……べつに、遊んでるだけだし?」
そっけなく答えた魁利は、透真から体ごと顔を背けてテーブルの上から赤い薔薇を取り上げる。
「また買ってこようかな」
わざとらしいほどに明るい声を上げながら大きな花房に顔を近づけるが、その指をわざと棘に食い込ませるのを、透真は横目で眺めていた。
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