石動惣一とエボルトについて今さら考えてみる。
時間かけて練っていたら、アルカリに先越された感はありますが(笑)。
ニッケルはちょっと別の切り口で。
自分の取り扱いカップリングのわりに、なんか今までちゃんと向き合ってこなかったなあと、クローズ観たあとで思ったんですよね。
なので今さらなんですけど改めて考えてみました。
私は石動惣一とエボルトについて、こういう捉え方をしてますよという話です。
もしかしたら少数派かもしれないけど、こんな風に見てきたファンもいるんだなあと思ってください。
一年通してふり返ると、私が好きだったのは一貫して、地球人の石動惣一でした。
エボルト単体はそうでもない。むしろエボルトは石動惣一を苛んだ憎き悪役という認識。
私がビルド序盤から今までずっと書きつづけてるのは、正義感の強い宇宙飛行士で美空のお父さんで戦兎と仲がよかった石動惣一で、エボルトはどこまでも「許せない敵」だったなと。
明確に石動惣一本人が登場したのは終盤の一瞬なんだけど、あれだけで自分の解釈がそんなにまちがってないと確信(思い込み)できました。
以下、石動惣一とかマスターとかスタークとかエボルトとか呼ばれてる人の総体を便宜上「前川さん」って呼びますが、見た目の話なのでナマとは無関係です。ご了承ください。
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入口が、1話の「マスター」だったというのは大きいです。
バックボーンとか関係なく、うわーこのキャラ好き!戦兎との関係がいい!ってなったので。
流れ的には、スターク/エボルトっていう設定は完全に後付けなんですよね。
極端な話、マスターがただの「おやっさん」でしかなくても、私は一年間戦マスやってたと思います。
このへんの感覚は、ブラッドスタークの「中身」として好きになった人や、エボルトが本性を現してからハマった人や、最初からマスター=エボルトだと知った上で観た人とは、かなり違うんじゃないかと。
だからビルドの一年間は、戦兎と仲良しのマスター=極悪なブラッドスターク(エボルト)という設定をどう消化するかという戦いの一年でした(笑)。
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エボルトに関しては、まあまずスタークという認識があって。
単純にかっこいい悪役だなあという印象でした。アクションとかすごい食いついてた。
悪役が魅力的というのはヒーローにとって必要な要素なので、ナイトローグがビジュアルに反して今ひとつ小者感……という状況では大歓迎だったのですが。
べつに正体がどうのというのは気にしてなくて、ガワに「中の人」がいない場合だってよくあることなので、誰だ誰だ?っていう展開にはさほど興味がなくて。
マスターだってわかったときは、まあ予想はついてたにしても、わりと落ち込んだのかもしれない、と今になって思います。もう完全に気持ちが戦兎サイドだったから。大好きで仲良しなマスターが敵、というより元凶だと知らされるのはけっこうきつかった。
実際、当時の正体バレ前の感想を見ると、「いやいやそんなはずは」ってくり返してる(笑)。
以降はずっと戦兎目線で、敵なんだからと言い聞かせながら観てたんだと思います。
でもスタークはあいかわらずかっこいいし、ストーリーはおもしろいし、エボルトになっても前川さんはイケメンでスタイルいいし(笑)、マスターと戦兎が別れたショックを上回るテンションが持続してたから、楽しく観ていられた。
もともと「戦兎と万丈の絆が深まっていく物語」と認識してたから、そのラインに関しては裏切られなかったというのもテンションが下がらなかった要因ではあります。
だから、万丈を操ったり戦兎を挑発したりっていう精神攻撃はつらかったなあ。彼らには二人で幸せになってほしいと思って観てるから。
戦兎たちに肩入れするあまり、ファウスト側に割く容量は全く残ってなかった。またけっこうしっかり「倒すべき悪」として描いてるから、こっちも本編の善悪観に乗っかって観ていられた。ここで「あれ、悪役にも一理あるね?」「倒すのかわいそうじゃない?」ってなったらヒーローモノとして失格なので。
なので、敵である幻徳や内海、そしてブラッドスタークに寄る余裕がなかったというのはあるかと思います。
戦兎じゃなくて幻徳サイドに立ってれば、全く別のビルドを観られたのかも。そっちに重要なのはスターク(エボルト)だものね。むしろスタークにオイシイ設定とビジュアルがあとからくっついてきたって認識だよね。
結局一度もそちら側にはいかなかったので、私の中で幻徳と「マスター」ってあんまり接点がない。幻徳の相手は、ガワが本体のブラッドスタークって認識だった気がする。
解釈は万人が持ってるのが普通だと思いますが。
「おもしろ愉快なマスター」から入ったか、「残忍なゲームメイカー」から入ったかで、同一人物なのに好きの方向性が違うというのは、なかなか希有なキャラですよね。
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エボルトが石動惣一の肉体から離れたとき、ああこれでちゃんと倒せるな、と思いました。
それ以降はエボルトが「化けてるだけ」というのを認識してたので、もう戦兎が「マスター」に怯んだりためらったりすることはない。やつを倒せば終わりだぞ!ってゴールが見えてからは落ちついて見られた。
エボルトは最強で最高の敵だけど、倒される前提での「最強」ですから。ヒーローがすっきり倒して平和をもたらす、よい悪役とはそういうものです。
むしろこの時点では、エボルトが離れた「石動さん」がいつ目を覚ますか、どういうかたちで再登場するかに興味が移ってました。結局フェードアウトだったけども(笑)。
だから、エボルトには復活してほしくなかったんだよなあ……かっこいい悪役として成仏させてほしかった。それは改心した幻徳が二度とナイトローグにならないのと同じ理屈でさ。ブラッドスタークは確かにかっこいいけど、そうじゃなくて。どんなに自分が好きなライダーが復活しても、当時のスーアクさんが演ってても、ヒーロー大戦は死ね!ヨネ死ね!って思うでしょ(笑)。
Vシネで復活って聞いたときマジ「はぁ??」って思った。わーいまたエボルトに会えるー!とは少しも思わなかった。だってエボルトはみんなが命懸けで倒したんだから、実は生きてましたなんてあっちゃいけない敵なんですよ。
ヒーローモノには、復活してもいい敵と絶対アウトな敵がいると思うの。エボルトは後者認識。
この時点で、自分が「エボルトが好きなわけではない」と再認識しました。
正しくは、「再登場を無条件に喜べるほど、エボルトに執着はない」って感じでしょうか。
たとえ前川さんがエボルト役で出てたとしても、それはエボルトの擬態であって石動惣一ではないので、観にいく理由にはならなかった気がする。
幻徳スピンオフ途中で観るのやめたのも、「べつにスタークとしての前川さん観ても楽しくないな」っていうのが大きかったと思います。
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でも「マスターは好きだけどエボルトはそれほどでも」って言うのは、なんか邪道なような気がして……
そのキャラが好きなら、善い面も悪い面も全部引っくるめて愛さなくちゃいけない!っていう強迫観念がどっかにあるのは、根っからのオタクだからなんだろうけど。
今回私が好きな面がたまたま「善良な人格」だから、余計に悪い面=現実・真実から目を背けてる感じになっちゃって、放映中はそれをはっきり言えなかったなあと今になって思います。だってなんかスイーツっぽいじゃない(笑)。
同じ顔のエボルトが悪役として文句なしにかっこよくて、スタークも中の人などいない状態では好きだったので、「前川さんだからって好きなわけじゃない」って言いづらいプレッシャーを勝手に感じてました。まあ勝手な自意識ですけど。
お断りしておくと、もともと「仲間だと思ってたら敵だった」ネタは大好きです。
予想していた展開に裏切られるのも楽しいです。それを「公式との解釈違い」なんてズレたことは言わない。
トータルでふり返ったとき、戦兎とマスターの物語はやっぱり好きだなあと思います。最終回の清々しい喪失感も含めて、こういうの求めてたんだよな!みたいな感覚もあります。
エボルトを否定するわけではなくて、入口が違ったから、萌えの在処と方向性がエボルト方面ではなかったというだけのことです。
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でも、テレビで前川さんを見ると条件反射的に「あ、エボルトだ」って思います。
これは見てる期間の長さでしょう。
「スタークと無関係なマスター」だったのは第一クールだけで(途中登場しない回もあり)、それ以降は最終話まで映画もずっとスターク=エボルトだったわけですから、終盤はほとんど石動惣一要素なかったですから、前川さんといえばエボルト役という印象は正しいはず。
だから今後も前川さん見かけたら「マスター」じゃなく「エボルト」って言ってしまうと思います(言ってます)。
あと、ビルド後に見る前川さんて、お仕事の時期がビルド終盤と重なってたのか髪型とかほぼエボルトなんですよ。Men’sExなんて表情までまんまエボルトじゃん!って表紙あったし……正月にもNHKの検証再現系ドラマで大石内蔵助やってたんですけど、忠義の家臣と見せかけて吉良家を陥れる策士というキャラで、この表情はエボルトだなっていうかエボルトからのキャスティングだなと思いました。科捜研の女は出た瞬間に視聴者が「エボルトだ」「犯人だ」ってなるくらいだったので、しばらくはエボルトと呼ばれつづけるんでしょうね。
万一ビルドに再登場するなら、ちょっとでいいから「エボルトが入ってない純度100%のマスター」として顔を出してほしいですけど。
ただそれも、戦兎のことを全く知らないマスターだったら、戦マスにはならないんだよね。エボルトが介在して初めて、戦兎と石動惣一のあいだに関係性が生まれるんだよね。
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まとめると、私が好きなのってすごく限定された前川さんでした。
×石動惣一に憑依しているエボルト
×石動惣一に擬態しているエボルト
×戦兎を知らない新世界の石動惣一
○エボルトに憑依されている(されていた)石動惣一本人
なんかピンポイントすぎて、全く共有されない感覚だったら申し訳ないんですが。
石動惣一とエボルトを「マスター」でひとくくりにしちゃってることで、齟齬が生じる部分があるのかもしれないと思ったので、今さらなんですが整理の意味も込めて語ってみました。
しかしドイツ語見てるとだいぶ前川さん本人だよねマスターって!