平成最後の仮面ライダー。

「祝うという字は呪うという字に似ている」という某Pのコメントから10年。
単純明快な「祝え!!」という祝福に辿りつくまで、ぼくらはどれほどライダーを、東映を、自らを呪ってきたんだろう……

というジオウ最終回感想です。
重いです(私の愛が)。

なぜか半分はディケイド語りですので、適切な箇所で画面閉じるなりスクロールするなり各自対応をお願いします。

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思えば……(長くなる予感のイントロ)

10年前、ディケイドというお祭りっぽい番組が始まって。
でもお祭りというにはシビアすぎるストーリーもあって、そういうとこからディケイド自体が好きになっていって。
それなのに、途中から昭和だのなんだので文字どおり「ディケイドの世界の崩壊」が進んでいって、テレビも映画も収拾がつかなくなっていって。
もう見るのつらい!でもディケイド好きだから見る!つらい!のループで。
まさに「おのれディケイド」っていう遺恨を抱えたまま、それはもう不安のほうが大きい状態でジオウを見はじめたんですが。

お祭りは二度目だし、ジオウ自体にそこまで前のめりな要素があったわけじゃないので、単純に「レジェンド」を楽しみにしてました。実際、楽しかったしね。今度こそ本当のお祭りだ!っていうのもうれしくてね。
ディケイド(という作品)を破壊した過去の仮面ライダーって、結局ゾンビなんですよ。もう物語としては終わってるのに甦らされたゾンビ。「中の人などいないガワ」だけが襲いかかってくる。
でも、ジオウはちゃんと「それぞれの時間を生きてきたオリジナルの中の人」と向き合ってあげたから、ゾンビ化しなかった。
このスタンスだけでも、私はジオウを評価したいです。ただのおじさんになった城戸真司は最高だった(龍騎スピンオフは見てない)。

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興味がレジェンド寄りだったから、ジオウの物語は申し訳ないけど二の次って感じで、なんとなく横目で見てました。
でも終わってみれば、しっかりいい話だったなと思います。

ソウゴとゲイツとウォズとツクヨミ、全員大好きでした。
平成ライダーたるもの、男女全員一つ屋根の下で暮らすべし!っていうノリも含め(笑)。
もともと仲間同士じゃない彼らだから、距離が近づいたり離れたり、裏切るとか寝返るとかそういうドラマも含めて全部楽しかった。
最後にはちゃんと4人が同じほうを向くって確信があったので。ウォズすら、ソウゴの敵になるとは思わなかった。白ウォズが出てきたからかなw

なによりゲイツくんのソウゴくんに対する感情の流れがもう、すっごくてさあ……
何度でも悩むし何度でもデレるし何度でも愛を再確認する、そしてソウゴもそれを全部受け止める、っていう歴代の2号ライダーを甘辛く煮詰めて寝かせた感じのね! なんていうか、いいよね!!(語彙)
最初のころは、ぼんやりした顔の子だな……と思ってたんですけど、終盤びっくりするほど顔つきがしっかりしてきて、もう何があっても彼はソウゴを愛しつづけるんだな!と実感しました。
いや、べつに腐った意味ではないんですけど。
ゲイツの「とどまりたい時間」がソウゴといっしょにいたいって告白した瞬間(しかも答えを聞く前)で、あまつさえそれをウォズとツクヨミに見られたってのが、恥ずかしすぎて「うわあああ」って声を上げてしまいました。おまえ、どんだけ……!!

受け止めるといえば、ウォズ。
あの「祝え!」を受け止めつづけたソウゴはやっぱり王の器だよ……
ウォズというキャラはもしかしたら、ここまでソウゴ寄りになる予定はなかったのかもしれない。もっと中立的な狂言回しで、変身の予定もあったかどうか。そこに立ち戻ったのがラストシーンだったのかも。
なし崩しと言われようが、我が魔王だけじゃなくゲイツくんツクヨミくんと仲間意識を共有できたこと、白ウォズまでもこっち側になったこと、そういうのが全部うれしかったです。
映画のメタ発言しまくってたウォズも、アレはアレで最終的に我が魔王に捧げられたから好き。ウォズがナレーション役をかなぐり捨ててソウゴにつく、っていうのがテレビでできなかった別ルートだとしたら、両方見せてくれてありがとう、という感じです。

まあそれはそれとして、渡邊くんの顔と声がストライクゾーンど真ん中なので、今後も応援していきたい(決意表明)

ツクヨミはたぶん初回感想で言ってたと思うけど、あんな美人なのに声がイケメンでよかった。
ラスト2話のゲイツやウォズなんかよりよっぽど2号3号みたいなヒーローっぽさといい、とても好きなヒロインでした。多少の設定の雑さは乗り切れるくらいには!
ディケイド本編の夏みかんはかわいかったけど、映画での変身はちょっと唐突感あったよなって思ってたからさ……(遺恨)
ソウゴたちが、世界の危機に対して最後に賭けたのが自分たちのパワーアップとかじゃなく「仮面ライダーツクヨミ」だっていうのは、平成ライダーの締めくくりとしては最高だなと思いました。

その3人だけでなく、ウールもオーラも受け止めたソウゴはやっぱり王の(ry
わたしウォズが好きすぎてかなりウォズ目線になってるから(理屈がおかしい)「我が魔王」にはちょっとめんどくさいです。戦兎と万丈の二次創作が読めなかったみたいに、生半可な我が魔王の解釈は認めない!我が魔王はそんなことしない!ってなりそうだから、ソウゴとゲイツの二次創作には手を出さない(笑)。
なんか高学歴ライダーが2年続いたから、最初は不安しかなかったけど(笑)、わりと早い段階で「変身」をモノにして、最後のオーマジオウにきちんと繋げられるだけの説得力をちゃんと積み上げていったのは役者の力だよなあと。
冬の映画ではちゃんとゼロワンにバトンを渡してくれると思います。なにせ20年分のバトン抱えてるんだもの。

忘れちゃいけない順一郎おじさん。
すごく好き。歴代「おやっさん」の中でもかなり上位。
すっとぼけてて、でもホントに天然で、ソウゴくんの事情なんかぜんぜん知らないのに支えになってて。ソウゴが死を覚悟して戦いに向かう直前、最後に会いたいのはおじさんなんだよね。そしておじさんもいつもどおりに晩ごはん用意して待ってる。
この人こそ、平成ライダーの「おやっさん」総決算だったのかもしれない。いい人も悪い人も変身した人もちょっと若い人もだいぶ歳いった人も女性もいたけど、基本的には戦士の帰る家と食事を提供する立場だと思うんですよ、何も聞かずに。
親を亡くしたソウゴと距離感があって叱れなかったっていう話の時点で、この人は最後までソウゴくんの味方だなって思ってたけど。おじさんが最後まで「ソウゴくんのおじさん」で、本当によかった。
ディケイドで、すっとぼけてたおじいちゃんが映画とはいえ裏切ったのを私は忘れない……そのあとそ知らぬ顔で戻ってきたのもまだ許してない……(遺恨)

ただおじさんのごはんが毎回豪華すぎて、みんなそれ置いて出てっちゃうもんだから、エンディング後に戻ってきたみんながちゃんと食べるシーン入れてほしいと思いました……いや現場ではリアルに若い連中が食い尽くしたとは思うけども。
ウォズの渡邊くんが撮影中8kg痩せたというのを知ってからは、食事シーンのたびに「もっと食べて!」って思ってた。

あっ、それと高岩さん。
ゴーストの時に顔出し出演で、卒業するの!?と思ってから、実はいつ代替わりするのかやたら気を揉んでました。
レジェンドはレジェンドだけど、この先ずっと高岩さんがやっていくのも、なんだか違うよなあ?という感じがしてたのも事実。
ジオウの最初の予告では「この歩き方は高岩さん!」ってわかったんだけど、ゼロワンは一瞬すぎてよくわからなくて、あとからニュースで縄田さんと知りました。世代的にはそうなるのか。
平成が終わって、平成ライダーも終わって、ご本人も50歳でしたか、これ以上ない区切りだと思います。オーマジオウとして生身で登場したというのも、暗示的ではありました。
モモタロスはじめ、たくさんのステキな主人公をありがとうございました。高岩さんのおかげで、スーアク透視術をちょっとだけ身につけられました(笑)。
そういえばゼロワンのアクション監督は渡辺さん。令和ライダーの今後が楽しみです。

ちなみにニッカリはグランドジオウを見ながら
「どっかにマジレッドいてもおかしくないよね」
「いやべつにこれグランド高岩じゃないから」
という話をしてました。クウガと響鬼がいないパターン。

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最終回、まあいろいろ回収してないとこはあるんだろうけど。
テレビ本編でちゃんと終わらせたんだよ、すごいよね。
映画は別のルートで本編には影響させないようにしたんだよ、すごいよね。
すごいよね!?
ていうことです。意見は求めん。

まあ、もうちょっと考えたらいろいろ思うところも出てくるにしても、今は明るい気持ちで終われたからいいかなって。
ウールくんもオーラちゃんもあんまり友だち多そうには見えないけど、王様先輩がいるならけっこう楽しい学園生活だろうなって思います。
きっとTシャツの片袖だけまくった嫌味な体育教師(竹刀持ち)が絡んできたり、帰るとウォズがしれっと2階に入居してたり、明光院くんやツクヨミちゃんが放課後あたりまえに遊びに来たりしてるんだろうね。あと飛龍くんはフツーに幼なじみなんだろうね。

エヴァンゲリオン? なにそれわからない、わたし三人目だから……(お約束)

たぶん、できることなら天道総司だって翔太郎&フィリップだって泊進ノ介だって呼びたかっただろうし、いろんな事情が許せば五代雄介で締めたかっただろうし、ルートはいっぱいあったんだと思う。
でもこの一年の締めくくりを、ちゃんとジオウで終わらせようという決断はよかった。

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そしてその「ジオウの物語」に最後までつき合うのがディケイドだったのは、素直によくできた構成だなと思いました。

ディケイドって、永遠に終わらない話だったんですよね。いい意味ではなくて。終着点を見失ったままというか。何をやっても終わった気がしない。ウィザードのときも、なんで今やる!?っていう感じだったし。
でも、今回の士は、ただのゲストではなくて、しっかり「世界を破壊し創造する」物語に加担してた。そして後輩であるジオウを導いて、自分ではできなかった「破壊と創造」を成し遂げた。
士自身も含まれる新しい世界の完成に、10年かかったってことです。
そこに海東がいるとは思わなかったけど(笑)。

こっから先、カップリングの話は全くしてないので、もし読んでる方の推しカプに抵触する内容だったらごめんなさいね、他意はないです。

海東がね、当時好きじゃなかったんですよ。
なにか意味ありげに出てきたのに、結局その役目を忘れちゃったみたいにただ漠然と場を引っかき回すだけのポジションになっていって、最終的にどっかの映画で、士のヤンデレストーカーに落ちついた……かな?みたいな。
混迷していくディケイドの物語の象徴みたいで、鳴滝並みに好感が持てなかった。もう画面に出なくていいさえと思ってた。

10年越しで出会った海東は、びっくりするほど「一貫したヤンデレストーカー」でした。
士もなんだかんだと彼の存在を許してるし、利用も共闘もしてる。
銀さんとさっちゃんみたい(銀魂)。士にメス豚って言われたらまちがいなく喜ぶよね海東。
今見ると何やってても「ああ、海東っぽい」と思えます。
士がいるところには出てくるし、敵になっても味方になっても、士を生かしても殺しても、彼の中では矛盾がないんだろうなと思える。ヤンデレでストーカーだもの。言動に整合性なんかあるわけないもの。
その変態性でもって、ジオウの物語をちゃんと前に進める補助をしてた、っていうのがね、なんかうまくいえないけど妙な感動でね。海東をちゃんと使えることに対する驚きというか。

最終決戦で「終末を士と迎えられるなんて最高」的なことを言い出したときには、うわあ本物だあって思いました。この尺で他にも大事なセリフいっぱいあったはずなのに、海東の明るいヤンデレコメント拾ったのなんでだ。

ラスト、「新しい旅が始まる」って言う士の横で「オレたちの!」って顔で立ってる海東も、もうホント意味わかんなくて笑っちゃった。
あの違和感を説明するなら、10年後のライダーにゲストとして出てきた戦兎の隣に、万丈じゃなく幻徳がしれっとベストマッチ面してるようなもんだから。圧倒的な「悪いとはいわないけど、おまえじゃなくない?」感。
かといって、もうユウスケでも夏みかんでもないとは思う。しいて言うなら士は孤独な旅人であるべきなんだけど。
まあ10年経ったらもうヤンデレストーカーでもいいか……初恋の人や最愛の人じゃなくそのへんにいる手近なとこで済ますってのが大人のリアルってもんだよね。

士がタフな大人になって、海東がヘンタイ方向にキャラ確定して、新しい世界の破壊と創造を見届けたので、10年かけて仮面ライダーディケイドがやっと終わりました。
10年前にかけられた呪いも解かれ、ただ素直に祝うことができるようになりました。
ジオウ本当にありがとう。

余談ですが東映公式はいちおう毎週放映後にチェックしてて(20年の習慣……)、某Pにとっても自らかけた「呪い」を解くための作品だったのかなとPコメントを読みながら思ってました。
今度の言霊は「祝え!」だから。もう大丈夫。きっと大丈夫。

よし、ゼロワンに切り替えていこう。Vシネはいいや。

特撮R18_ジオウ

Posted by nickel