麒麟がくる年間感想
こっからは楽しめなかった部分についてなので、スルーしても大丈夫です。
大きく言うと
①大河ファンの祭りモードに乗れなかった
②織田信長が生理的に受けつけなかった
の2本です。
あとまあゼロワンと同じで「ちゃんと1年丸々放映できてたらもうちょっと丁寧に描けたのかもなあ」という仮定はこの時期どうしてもしてしまうから、今の自分が「いつもの」ドラマを「いつもどおりに」楽しむ体勢じゃなかったというのは大きいと思う。
まず前提として、戦国モノにあんまり興味ないんですよね(堂々)
でも織田シナモン信長はアニメ全部観たし、戦国炒飯TVはYouTubeまでカバーしてるから全部ダメってわけじゃないんだけどさ。るひまは戦国だろうとSFだろうと毎回おつき合いするけどさ。
わりと毎回リセットされてるから、脳内にとどめておくほどの情報ではないんだろうな。今回初めましてだと思ってる人や出来事も、たぶん戦国鍋とかで通ってはいるんだと思う。
そりゃ1582(イチゴパンツ)で本能寺の変、くらいは覚えてるけども。本能寺の変が夜じゃなくて朝というのは今回初めて知った。へー!(でも次の本能寺までにはたぶん忘れる)
前提知識皆無だからこそ、Twitterで感想とかネタとか見るのがリアタイ視聴の醍醐味で、楽しみにしてはいるんですけど。自分で気づかなかった部分の観察とか考察とか、知らなかった豆知識とかさらっと追加してもらえるとおもしろみがぐっと増すことってあるよね。
例えば、「失態を犯した光秀を森蘭丸が打ちすえた」というエピソードを私は知らなかったのだけど、それを知って「逆に投げてましたけど!?」って言えるのは確かに楽しいなと思う。
ただ、正直申し上げて……大河って圧倒的にめんどくさい視聴者のほうが多くないですか……とくに戦国(暴言) だからタグ巡り楽しいけどイラっともするんですよね……笑
一番苦手なのが、ドラマとかどうでもよくて推しの出番だけ気にしてる人。作劇を無視して「この時代この場所ならこの人が出ないのはおかしい!」って言う人。演者のファンも含めて。今出てないってことは、このドラマに要らない人ってことなんだけど、それがわからない=ドラマを観てない人。
三成アカくらいネタに昇華してくれればいいんだけど、真顔で言ってる人たちはべつに大河観なくてもよくない?って思うんですよねー。なぜか全国から必ず涌いてくる。ミュートしきれないくらいに。
あとなんかうちの子の悪口許しません系の人……推しの全てを正当化しようとするあまり、他の登場人物や物語まで攻撃しはじめる人。=結局ドラマを観てない人。
そういう人たちって必ず徒党を組んで「うちの子!」って主張するんで、どうしても目につくんです。それで史実関係なくあんまり好きじゃなくなった戦国武将もいるんで。だれとは言わないけど今回も、今までよく知らなかった武将がそういうイメージついちゃったんで。
ファンの振る舞いが本人の評価に直結してしまうのはいつの時代も同じですな。
っていうのを目にするのがしんどい。その武将の名前でミュートするのも違う気がするしねえ。
それとは別に、自分の感覚がどうも主流と違うな、とズレを感じる瞬間があるじゃないですか。そのズレが大きいほど、自分向けじゃない感覚も大きくなるじゃないですか。
最初につまずいたのが、斎藤道三祭りからの脱落。
道三がどうのっていうんじゃなく、モッくん昔から大好きだし十兵衛の人生に不可欠なポジションと存在感は認めた上で、単にああいうタイプのキャラには思い入れがない、というだけなんですが。
でも客観的にすごく魅力的で人気出るキャラクターだな~というのも最初から推測はできたから、初手からお祭りに乗っていけない自分というのが見えてしまって、そこでちょっと引いた部分はある。
ああいう悪くてズルくてネガティブな要素も全部魅力的になってしまうキャラはディスりにくいというか「魅力がわからないほうが悪い」みたいな風潮も見えて……真田丸でも真田昌幸うぜえなっていうマイノリティだったんで(キャラの魅力やおもしろみは理解してるんですけど)、その時点で「みんなと同じとこでキャーキャー言って盛り上がる」というSNS的な楽しみ方はできないのでちょっと遠巻きになりますよね。
帝も妖怪っぽくてあんまり好きじゃなかったな。言葉だけで人心を惑わす化け物にしか見えなくて、終始気味悪かった。人外の美、魔性の艶を理解してないだけと言われればそうなんですけどね。
まあ道三はちょっとイラッとするくらいで、ちゃんとかっこいいなさすがだなと思う場面もあったんですが。
決定的にダメだったのが織田信長。
私はもともと、史実的な意味で本能寺の変の原因に興味がないので、どうせフィクションとして描くなら黒幕がいるとか政治的判断とかよりも、二人の愛憎でやってほしい派閥です。
だから信長がオネエでも宇宙人でも、光秀が元カレでも元主人でも、主従逆転でも兄弟でも恋人でもぜんぜんイケるクチですが、今回の信長だけはダメだった。展開的にはいちばん好きなパターンだったかもしれないのに。
あの信長が出てきた時点で気持ち的には脱落してまして……つまりコロナ休止前にはもうダメだった。
最後まで観たのは「居間でテレビがついてたから」くらいの理由だと思います。とくに冬は寒いからね、コタツから出たくないからね。何か作業しながらとか、気を逸らすようにしてた。
話自体は毎回おもしろいから45分観れるけど、それとは別次元で私はこの(信長がレギュラー張ってる)物語につき合えないなあと早い段階で思ってました。
これは完全に個人的な感覚の問題なので信長は悪くないです。
でも「えっ、この信長と最終回までつき合うの?」と思った瞬間に、かなり視聴意欲がそがれた。だって光秀の物語の主軸だもの。退場まで我慢するとか見ないふりとかできないもの。
染谷くんはどんどんいい役者になっていくなと見るたび思います。逆に彼が信長に血肉を与えられない程度の「軽い」俳優だったら、ここまで不快にはならなかったかも。帝もだけど、役者の説得力はフィクションとリアルの感覚を曖昧にしてしまうんですよね。
なにが個人的かっていうと、「矯正前」の私だわ、と思ってしまったので……笑
秀吉が貧しい子らを眺めながら「あれは昔の儂じゃ」って呟く場面あるじゃん。施しはしてるんだけど、全く情がない。懐かしむ対象ではないから。あの感じ、不覚にも同調してしまった。
私には幸い十兵衛も帰蝶さまもいなかったから自分で必死に「矯正」してなんとか社会でやっていけてるけど、素がああいう性質なんで、万一の「失敗例」を延々見せつけられてるという被害妄想から逃れることができませんでした。黒歴史掘り起こされるのともちょっと違う方向で「見てられなかった」。
サイコパスって言われてたけど、戦国時代だからたまたま首桶とか塩漬けとか皆殺しとかで表現されてただけで、単に空気が読めない、自制が利かないだけの人。権力と一芸さえなければ即殺されてた人。実際、十兵衛と帰蝶がいなければ早々に負けて死んでたかも、というのが今回の信長ですよね。
愛情に飢えてたとか家族に恵まれなかったとかも関係ない。愛されて育ったとしても元からああいう性分のような気がするので、結果は変わらなかったはず。だいたい帰蝶も十兵衛もそれなりに愛情注いで「育てた」わけだから。2組の親が失敗したわけだから。あれをかわいそうとか愛すべきとか言える人の気持ちがガチでわからない。彼を受け止められるのって、きっと「ちゃんとした人」なんだろうと思いますよ。
ジュウオウジャーの門藤操が同じタイプで「見てられなかった」んですよね。
ああいう自他の区別ができてない迷惑な存在が、社会性の塊みたいな「優等生」の大和をさんざん振り回して一方的に気を遣わせたあげく「ありのままで存在することを許される」というのが。そういう性質を肯定するのも今の時代はありかもしれない。ジュウオウは大好きだし演者の彼にも罪はないけれども、勝手にあのキャラを作った彼のことは今でもちょっと恨んでる……
信長も、十兵衛や帰蝶みたいな「美しくて気高い人たち」にチヤホヤされて、まあ今回はチヤホヤして持ち上げた側も悪いって話ではあるんだけども、とにかく一時的にでも愛される姿が「見てられない」。「矯正」されないことに心から苛ついてしまう。
しかも信長はなにも変わることなく、十兵衛を手に入れたことに満足して死んでしまった。操はちゃんと自分の欠点を認めて外の世界に出ていって最後には恋人までゲットして大和を「介助者」から開放してくれたけど、信長は最後まで十兵衛が自分のモノであるという幻想を手放さなかった。自分を何一つ変えず、世界に「勝って」しまったわけです。十兵衛を手に入れられず苦しみ、裏切られた絶望に苦しんで、惨めに死んでくれればまだよかったのに。
何度も言うけど作劇としてはまちがってないんですよ。あの人物造形から説得力のある物語が生まれるわけで、そこを否定したいんじゃないです。余計な枝葉を取っ払って、二人の愛憎関係に帰結させたのはホントにすごいことだから。
ただもう私個人としては、生理的に受けつけなかった。美味しいか美味しくないかじゃない、食べられないんです。
終盤はわかりやすくマンガ的なメンヘラヤンデレを極めてきたので、フツーにヤバいキャラとしておもしろがれましたが。
どっちにしてもまともに正面から十兵衛との関係をシリアスに捉えることはできなかった。十兵衛大好き悪役令嬢っていうギャグとして消化するしかできなかった。
今思えば、その前に観るのやめときゃよかったんですよ。越前編くらいで楽しいままフェードアウトすべきでした。
できるだけダメージを受けないよう物語自体から意図的に距離を置こうとした結果、十兵衛はじめ登場人物の苦悩や葛藤もわりと他人事っていうか、どんどん響かなくなっていったんですよね。
信長が皆殺しを命じようが、十兵衛が責められ殴られようが、メンヘラやべーウケるーとか言いながら眺めてた。熙子が死ぬあたりにはもう感情が全く動かなくなってた。
真っ向から受け止めてしまったら、たぶん脳が混乱して「わたしが十兵衛を追いつめてる」ってなるから。気を抜くと自他のボーダーがなくなる性質は今も残ってるので。あの信長を「やり過ごす」ために、それくらいの意識操作が必要だった。
そりゃ最終回なんかどうなっても「よかったね、ハッピーエンドだね」って言えるわな。信長が死にさえすれば私の溜飲は下がるわけだから十兵衛のその後とかマジどうでもいい。とにかく早く終わってほしかった。
最終回がよかったか悪かったかなんて正直わかんないです。動く心もなくなってたんだから。前ページのアレ、そういうことです。
大半の方には何言ってるかわからないと思いますが……
日常で麒麟のことを考えてるとき、ぜんぜん楽しくなかったんですよ。視聴中やTL追ってるときは、前のページで語ったように確かに楽しんでたはずなんですけど。あとから思い出そうとすると、どうしても信長と十兵衛のことを考えてしまってモヤモヤしつづけてた。シビアな展開に魂持ってかれたり考察掘り下げて楽しんだりというのができなくて、ただただ不快感と自己嫌悪が募っていっただけで。
信長が死んだらスッキリするかなと思ったけど、ぜんぜん一年間のアレコレを吹っ切れなかった。笑顔で死んだ信長を受け入れられるはずがなかったのもある。でも過剰に信長と自分を切り離そうとしたせいで、信長の死で救われる機会を逸したのでしょう。このサイコな感想も、最終回後まで消えないモヤモヤと向き合ってやっと言語化できたくらいの感じです。
せっかくの長谷川博己主演大河なのに、相性とタイミングが悪かったなあ、と残念に思っています。悲しいとか悔しいとか思う気持ちもすでにないです。心が死んじゃってるんだもの。
終わってよかった、最後まで観なきゃよかった。それが総括感想です。
そんなことで作品全体に対してネガティブになるの!?と思われる向きもあるかもしれませんが、人それぞれ犬が死ぬ映画はどんな名作でも見たくないとか個人的な除外要素があるじゃないですか。わたしの場合はあの信長がそうだったというだけの話です。
困るのが、「織田信長」というワードの強さ……決してミュートできないんですよ、範囲が広すぎて。他の信長は嫌いじゃないしむしろ好きなこともあるし、麒麟がくる自体も嫌いじゃないから番組名で弾くのも難しい。麒麟の信長を今後いっさい視界に入れない方法はないもんかなあ……
ところでわたくし、自称吉沢亮ファンでもあるのですけど……わかってる、たぶんファンじゃない。
戦国ファン以上に幕末ファンが苦手なんで……攘夷派とか開国派とか、帝国派とか同盟派とかキャップ派とか社長派とか真顔で言う人怖いんで……
てことで青天を衝く予定はなしです。
渋沢一族、めちゃくちゃ顔がいいな!とは思ってますが。
惜しむらくは、吉沢亮が月代じゃないことです。あんな月代似合う子、昨今珍しいのに。