零/ジャック

2006_戦闘妖精雪風,[PG]

戦闘妖精雪風:深井零/ジェイムズ・ブッカー 


SWIMMING

水の中へ飛び込む。
トレーニングセンターのプールは広くて清潔で、特殊戦から離れているという点を除けばいい環境だった。あとはレジャー気分ではしゃぐ連中がいなければもっといい。
零はほとんど休みもせず、無心に泳ぎつづけた。趣味などないに等しい彼にとって、水泳はいい気分転換になった。
時計を見ると、そろそろ昼だ。プールサイドもにぎやかになってきた。ふやけた手で水泳帽をむしり取り、シャワールームへ向かった。
午前中いっぱいプールで遊び(端からは競泳の特訓にしか見えなかっただろうが)、食堂でランチをがっつき、そのままブリーフィングルームへ。それが、非番である本日の深井少尉のスケジュールである。
午後からは、部隊のミーティングがある。出撃前のブリーフィングとは別に、戦況の把握や長期的な作戦計画を通達するのが目的で、非番だろうと全員参加が義務づけられていた。せっかくの休日に、気むずかしい准将の顔を拝まなければならないと思うと気が滅入る。さっさと終わって雪風のところへ行きたい。
少し遅れていったせいか、前の席しか空いていない。仕方なくモニタの正面に座り、その横に立つブッカー少佐を見上げる。少佐はちらりと視線を投げてきただけで、なにも言わなかった。
「クーリィ准将はお偉方からの召喚があって欠席だ。だからって居眠りするなよ、ブーメラン戦士の諸君」
安堵や脱力の混じったため息が室内に充満する。准将がいたところで勤勉を装ってみせたりはしない連中ばかりだが、あの切れ長の目が光っていないだけでリラックスできることは事実だった。
「それでは、今期の戦略成果と来期の大まかな予定を報告する……」
零は頬杖をついて目の前のモニタを眺めた。
先日、少佐のオフィスで資料整理を手伝わされたから、今日の報告内容はだいたい理解している。
今期の成果は前期とほぼ同じ。来期のローテーションも今期とほぼ同じ。戦況は好転も悪化もしていないということだ。准将が呼び出されたのも、おおかたそれが理由だろう。悪い意味での、戦力の拮抗状態。こんな状態がいつまでつづくのか。
だがそれを考えるのは自分じゃない。ブッカー少佐や、もっと上の連中だ。自分は雪風に乗っていられればそれでいい。
「このことから、今後重要となる情報は……」
耳に心地よい少佐の声を聞いているうちに、猛烈な眠気が襲ってきて、零は……軍人にはあるまじきことだが……戦いもせず無条件に降参した。つまり、頬杖をついたまま眠ってしまった。
とつぜん、頭を軽く叩かれてはっと目が覚める。書類の入ったファイルをひらひらさせながら、ブッカー少佐が見下ろしていた。
「……ジャック」
「寝るなと言っただろう」
ミーティングは終わったらしく、集められていた同僚たちが言葉を交わすこともなく席を立っている。
「いちばん前の席で寝るやつがあるか。学生時代が目に浮かぶな」
そう言われて思い出したのは、黒板と壁の時計。窓の外に見えるプールにグラウンド。薄暗い教室。
だが断片的な映像はすぐに消えた。自分にノスタルジーは必要ない。
「……あんた、教師に向いてそうだ」
零はあくびをしながら背中を伸ばした。座って寝たせいで身体は少し痛いが、頭はすっきりしている。
悪びれない部下に、ジャックはため息をついた。
「そうか、じゃあおまえだけ補習だ。あとでわたしのところに来い、深井少尉」
「は?」
任務中ならともかく、ミーティング中に居眠りをしたくらいで呼び出されることなどない。それがわざわざ呼び出しとは。
教師がお気に入りの生徒を呼び出す、放課後の教室……
ありがちなポルノのタイトルが頭に浮かんだ。
「誘ってる?」
「まだ寝ぼけてるのか」
もう一度ファイルで叩かれる。
「この前の始末書がまだ出てない。宿題はちゃんと〆切を守って提出するもんだ」
「わかりました、センセイ」
日本語にしかないその単語をあえて使って返事をすると、日本びいきの少佐は頬をゆるめかけた。が、すぐにわざとらしいしかめ面になる。
「今日中だぞ? 日付が変わるまでじゃない、定時までだ。備品係に文句言われるのはおれなんだからな?」
「わかったって」
ブリーフィングルームを出てジャックと別れ、あらかじめ予定していたとおり雪風に会いに行く。
日課となっている調整とモニタリングのついでに、コクピットの中で命じられた報告書を書きはじめた。だが、さっきの居眠りでは足りなかったのか、それとも待機中の雪風の静かな振動が心地よすぎたのか。
雪風の中で携帯端末を手にしたまま、零は提出期限直前まで眠りこけた。

ブッカー少佐は自室のソファに身を投げ出す。
零から備品破損報告書がネットワークを通じて送られてきたのは、終業時刻少し過ぎだった。出頭は勝手に省略されたらしい。
その始末書に目を通して備品係へ回し、電話で小言を言われ、ついでのように別件の苦情も上乗せされ、その処理にネットワーク上を奔走していたら、定時どころではない。他部隊の女性士官が恵んでくれたハンバーガーをかじりながら、とりあえずのけりをつけて帰宅したころには、日付が変わりかけていた。
明日はきっと、不機嫌なクーリィ准将が上からの圧力と厄介な指令を携えてやってくるだろうが、今は考えたくない。今日中に来なかっただけでも僥倖というものだ。
横になったためか眠気を感じ、それと同時に、ミーティング中に居眠りをしていたエースパイロットの顔を思い出す。午前中はプール遊びとか言っていたか。午後は始末書一枚に費やして……休日とはいえ、優雅なことだ。
今日の残業は、半分は彼のせいだというのに。
「この埋め合わせはしてもらうぞ……」
独り呟く。しかし具体的な要求までは思いつかない。
来客を告げるブザーが鳴った。零だ。
まだどうやって埋め合わせをしてもらうか決めていない、と思いながら、ジャックはのろのろと起き上がって彼を迎え入れる。
「ヘイ、ジャック」
「……なんでそんなに元気なんだ、おまえは」
これが残業と非番の差か。
腹の立つことに、肌の色つやまでいいような気がする。
それを確かめるべく相手の顔に触れると、零はくすぐったそうに首をすくめた。
髪が湿っている。風呂上がりか、それともまた泳いできたのか。一日も終わりに近づき、朝剃った頬やあごはざらつきはじめているものの、それでもまだ若者特有のなめらかな肌だ。
ぼんやりと指でその顔を撫でていたら、彼は怪訝そうな顔で見上げてきた。
「どうした、キスをくれるんじゃないのか?」
そんなつもりではなかったのだが、ねだられてはどうしようもない。頬に触れたまま顔を近づけて唇を重ねる。触れるだけの、軽いキス。零は不満げに眉を寄せる。
「メシか?」
「食った」
「風呂か?」
「入った」
食事を作るのが面倒だとかシャワーの調子が悪いとか、彼がここへ来る理由などそんなものだ。どちらも済ませていることなど、かなりめずらしい。しかもこの時間。
「じゃあ、なにしに……」
言いかけて、あまりにも野暮な発言に自分で苦笑した。
この男は、なにかのついでに別の目的を果たそうとはしても、本来の目的を他の用事でカムフラージュしたりしない。ただそのためだけにやってくる。
彼は細い腕を絡め、身を寄せてきた。
「あんたのベッドで泳ぎに来たのさ」
自信に満ちたようすできっぱり言いきられて、全身から力が抜けるような気がした。
「プールで全精力を使い果たしてこい!」
一人で休んで睡眠を取って、さらにこの疲労した身体に負荷をかけるつもりか。
「ジャック?」
首をかしげて見上げてくる顔は、いつまでドアの前に立たせておく気だ、早くはじめさせろ、と臆面もなく要求している。抵抗するだけむだだ。
ジャックは観念して相手の腰に手をまわした。
「わかった、わかったからシャワーくらい浴びさせろ」
「仕方ないな。さっさと済ませてくれ」
「感謝する、少尉どの」
自分の部屋で部下から入浴の許可をもらった少佐は、ため息混じりに洗面所へ向かう。彼の来訪に不満などないのだが、どうにも不公平感が拭えない。
一風呂浴びて出てきたら、退屈で眠っているかもしれない、とわずかな期待もあった。だが、人生と深井零はそう甘くないのだ。
案の定、彼はベッドに寝転がったままで自分を待っていた。考えてみれば当然だ、こいつは日中に充分な睡眠を取っている。
ベッドに腰かけると、待ちかまえたように抱きつかれ引き倒された。
「そんな疲れた顔してると、老け込むのも早いぞ」と零。まったく、よくも言えたものだ。
「誰のせいだと思ってる」
「さあ? 心当たりがない」
反論する気も起きない。
あれこれ考えるのはやめて、ジャックは彼のラフな抱擁と口づけを楽しむ。甘くはないが柔らかい唇は、疲れた身体に心地よかった。不満などあるはずもなかった。

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