ムゲン/ジン

2004_サムライチャンプルー,[!],[PG]

サムライチャンプルー:ムゲン/ジン PG

最近思うのは、食欲と性欲にはなんらかの相関関係があるということだ。

食欲が満たされないとき、つまり腹がへっているとき、性欲は忘れ去られている。体力が底を這っているときに、むだな運動をする気にはならない。これは、腹がへっては戦にならぬ、という意味ではない。空腹であっても剣は振るえる。争いは無益だが、戦いは意味のある行為だからだ。これに対して性交は、往々にしてむだに体力を消耗するだけである。日常的にはとくに必要な行為とも思えない。
しかし、ある程度まで満ち足りた人間は、さらに欲深くなる。腹がふくれると次に飢えるのは淫らな想いだ。そしてその欲求は、食欲よりも人間の理性を弱める力を持っている。
思うに、赤の他人が連れ立って旅をつづけるには、この慢性的な空腹が逆に救いなのではないか。絆や情を持たぬ三人の旅人が、少なくともそのような過ちを起こさないのは、ひとえに腹がへっているからなのではないか。
とくに、本能だけで生きている野獣のような男と始終顔をつきあわせていると、それがしみじみ真実に思えてくる。

こいつは、ずっと飢えさせておくべきだ。

餓鬼畜生

その日私は、というより少女とその連れの男二人は、ある宿場にいた。私たち、というほどに我々意識は未だ芽ばえない。この先芽ばえるかどうかも怪しい。
財布の中身は賭場で儲けた泡銭だが、少しいい宿に泊まるには充分だった。町の定食屋よりはまともな味のする食事、文句なしに気持ちのいい風呂、久々の柔らかい布団、少しの酒。これで心を落ちつけられる静寂があれば……
「やだーっ!」
湯屋からもどってくると、耳慣れた少女の元気な声が廊下まで聞こえてきた。……高望みはしないのが、武士のあるべき姿だ。
「バカっ、あんたなんかぜったいイヤなんだから!」
ほとんど常にそうであるように、彼女は怒っている。理由は知らないが、原因となる人物は一人しか思い当たらない。
「うっせえ、てめぇで我慢してやるってんだよ!」
なんのもめ事であっても、騒々しいことこの上ない。
襖を開けると、二人は布団の上にいた。
少女が夜着の胸元と乱れた裾を押さえ、男は着物を着ているのか羽織っているのかわからない状態で彼女ににじり寄っている。
そういえば、こいつは帯の巻き方を知らなかった。まったく、どこの原始人だ。
二人は私を見返り、それぞれ露骨に落胆と安堵の表情を見せた。
「なんだよ、もうもどってきたのかよ」
「いいとこに来た! ちょっと、どうにかしてよこのスケベ! あたしを襲おうとしたのよ!」
それは見ればわかる。
「あんたみたいなケダモノにバージン捧げるくらいならジンのほうがまだマシっ!」
「おい」
まだマシとはなんだ。やつが人間以下のケダモノで、私は人間の最低レベルか。
「けっ、男知らずかよ。萎えるぜ」
そのケダモノは処女に興味がなかったらしく、二組の布団の上で大の字に転がった。少女の部屋は隣にもう一間取ってある。つまりやつが寝ているのは、私の布団の上ということになる。
「ねえ、ジン! なんとか言ってやってよ! か弱い女の子がチンピラに乱暴されかけてんのよ!」
といっても危機はもう脱しているのだから、今さらなにを言えというのか。
私は煙草盆を引き寄せ、煙管(きせる)を手に取った。
「合意なしの行為は罪になるぞ」
だが、もとより聞く耳を持つ男ではない。
「ぁあん? 知らねえよ」
男は反動をつけて跳ねるように身体を起こし、私のほうを向く。
「なんならてめぇでもかまわねえが?」
「ええ!?」
叫んだのは少女だ。
私は煙を吐き出して相手を睨みつけた。
「ヤれりゃあ誰でもいいんだ。ツラだけならこんなガキよりおめぇのほうが好みだしな」
「ちょっと! 何気に失礼よあんた!!」
「…………」
やつの発言の意味するところは、顔立ちの善し悪しではなく、単に私が女顔だということだろう。女のような顔だと言われたことは、一度や二度ではない。だから今さら憤ってもしかたがない。
「後ろから見りゃあ、湯上がり美人だもんなあ? 胸がないのは我慢してやるよ」
「そーいえば、たしかにマニア受けしそうな見返りメガネ美人……悔しいけど、お色気負けてるかも……」
「…………」
煙管をへし折りそうになりながら、精いっぱい心を静めて煙を吐き出す。今さら、憤ったところで……
「それに泣かしてみりゃあ、案外イイ声かもしれねえしな」
「やだあ、想像させないでよぉ」
私は煙管の雁首を灰入れに叩きつけた。
「私を抱けるのか、貴様が」
「ああ。俺のテクならイッパツ昇天よ」
こいつの根拠のない自信はいつものことだが、今回ばかりは本当に論拠がない。九分九厘、思いこみだ。
「フウ」
「えっ!?」
少女は名を呼ばれたのがよほど驚いたのか、飛び上がるように背筋を伸ばした。
「さっさと隣の部屋で寝ろ」
私は布団の上の男を、男は煙草盆の前に正座する私を、まばたきもせずに見つめていた。互いに刀こそ持っていないが、流れる空気はすでに一触即発だ。
「やだ、マジ? あたしのためにそこまで……」
「おまえのためじゃない」
この最悪な男のためでもない。

なぜ、そんな気になったのか。
おそらく、充分な食事を取ったのが悪かったのだろう。あるいは、酒が少し回っていたのかもしれない。

私が行燈の火を落とすのを、男がぼんやりと眺めている。
「あの娘に惚れてんのかぁ?」
「いや」
男はだらしなく開いた胸元をぼりぼりと掻いていたが、私を見つめたままにやりと笑った。
「じゃあ、俺に惚れ……」
「寝ぼけるまえに寝ろ」
その無精ヒゲを眺めているうち、だんだんどうでもよくなってきた。一瞬でもその気になった自分がわからない。今は、早く枕に頭を落ちつかせたかった。
私が布団の上に移動すると、男は殊勝にも場を開ける。
「それより、早いとこヤらせろよ……」
「だれが抱かれると言った」
手の届くところに刀があることを確認し、布団に入るため眼鏡をはずそうとする。
「私はただあの娘にさっさと寝ろと言っただけだ。代わりに相手をするなどと言った覚えはない」
「そんないいわけ聞くか!」
案の定といおうか、やつが襲いかかってきた。
私はとっさに刀を取り、鯉口を切る。
「この……!」
相手は刃が首筋に触れる寸前のところで止まった。布団に押しつけられているのは私だが、生死を握られているのはこの男だ。
「……怖いのか?」
「なんだと」
暗がりの中で、男が口の端を上げるのがわかる。
「あのガキとおんなじに、怖がってるように見えるぜ」
「貴様のような野蛮人と肌を合わせたくないだけだ」
触れそうな刃をさらに突きつけると、さすがの野蛮人もわずかに引いた。
「じゃあコレどうしろってんだよ」
私の上で四つんばいになったまま、男は自分の股間を指さす。いつそうなったのか、そこはすでに臨戦態勢だった。帯はとっくにほどけて、元々下帯をつけていない姿は場が場なら露出狂の変質者だ。
「一人で処理しろ。厠は階段を下りて廊下のつきあたりにある」
「冗談じゃねえ……」
低く呻いたつぎの瞬間、男はものすごい勢いで私を刀ごと布団に押さえつけた。
「な……」
返された刃が、今度は私の首筋に当たる。
「今さらやめるなんて言うなよ……」
結ったことのなさそうな蓬髪が近づき、その口から酒の匂いがした。酔っぱらいは片手で刀を押さえながら、もう片手で私の帯をまさぐる。
「やめろ。殺すぞ」
「うるせえ」
無遠慮な手が、下帯にかかった。このままでは本当に……
私は渾身の力で刀を弾き、刀身に引っかかったままの鞘でやつのこめかみを打った。
「ぐあっ!!」
やつの身体は横に吹っ飛び、壁に頭をしたたかにぶつける。こちらにも手加減する余裕などない。
「ってえ……」
頭を打ったせいか、さすがのケダモノもすぐには起きあがれずに額を押さえていた。だが頭の中の霞が晴れたら、再び襲いかかってくるだろう。
落ちていた帯で、やつの腕を後ろにすばやく縛り上げる。これで、押し倒される危険はもうない。
「なにすんだ……」
ほとんど着物としての用をなしていない夜着の襟を後ろから引っぱり、裸の肩を畳に押しつけた。布一枚の下にはなにもまとっていない。
「そんなにしたいのならつきあってやる」
攻撃とは異なる目的で肌に触れられると、男はひどくうろたえたようすだった。襲いかかるほうは慣れていても、逆は慣れていないらしい。
「おいっ、バカ、それじゃ意味ねえ……」
私はその抗議を無視して、ふと隣室のほうを見やる。寝ろとは言ったがこの騒動だ。襖と衝立くらいでは音は筒抜けだろう。かしましいはねっ返りとはいえ年ごろの少女に、男同士の情事を聞かせるのはいかがなものか。
煙草盆の脇にあった手拭いを、やつの口に押しこんだ。
「むぐっ!?」
これで少しはおとなしくなるだろう。妙な声も聞かないですむ。
「もがっ、ががっ!」
畳に頬を押しつけたまま、男はあがき呻く。その姿はどう見てもケダモノだ。ケダモノはそれらしく、後ろから犯してやるのが妥当だろう。
「ぐががっ!!」
「!?」
ひゅっと風を切る音がしたかと思うと、腹に激痛が走った。
「ぐ……」
渾身の両足蹴りが、私の腹に入ったのだ。こいつの殺人的な足技を忘れていた……
ぺっと手拭いを吐き捨てて身体を起こすと、両手を後ろに戒められたままの男はうずくまる私を見下ろす。
「ふざけんじゃねえぞこの野郎。すました顔してあぶねえシュミじゃねえか」
「……貴様が暴れるからだ」
押し倒し、押し倒されて。
逆転、逆転、また逆転。
私たちはお互いに、今さら引き返せないところまできていた。身体(カラダ)も、精神(ココロ)も。

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