チャールズ/エリック
X-MEN:チャールズ・エグゼビア/エリック・レーンシャー PG
IN THE CLEAR CLOSET
節くれ立った指が、黒いビショップの頭を優雅につまむ。
老いたとはいえこれほど無骨な手だったかと思いかけ、その関節がところどころ腫れているのに気がついた。彼の身体が未だに傷つけられている現実を突きつけられ、思わず目をそむける。
ここは牢獄だ。その唯一の囚人たる彼が、日常的に看守から暴行を受けていることは知っていた。彼の人権を護るために手を尽くして奔走したが、自分の無力を思い知らされただけだった。
彼の手に残る傷跡は、自分が彼を護れなかった残酷な証拠なのだ。
「そちらの番だ」
顔を上げると、今ビショップを動かした指がひらりとこちらへ向けられ、次の手をうながしていた。
「……………」
口角をわずかに上げることで答えてみせてから、再び盤上に目を落とす。
テーブルの下で、脚を組んだ彼のつま先が、リズムを取るように動いていた。チェス盤の上からそれが見えるのは、自分の特殊な能力のせいではない。そもそも、自分の力はそういう種類のものではないのだから。
「紅茶のおかわりは?」
「いただこう」
彼は透明なプラスチックの紅茶ポットを手に取り、同じくプラスチックのカップに注いだ。カップが乗っているソーサーも透明、トレイも透明、そしてその透明なティーセットが置かれているテーブルさえもが、上から覗けば床が見えるという作りだった。
テーブルとティーセットだけではない。椅子もベッドも、この部屋にあるものはなにもかも……部屋そのものまでもが、透明なプラスチックで作られている。チェス盤やその駒も例外ではない。
すべては、この囚人を無力化し、監視するため。もちろんプライバシーなどあろうはずもない。この部屋の存在そのものが人権を無視している、といつも憤りを覚えるが、やはりどうすることもできなかった。
「手詰まりにはまだ早いだろう」
カップを差し出しながら、彼は首をかしげてみせる。
「たかがゲームだ、そんな思いつめた顔をするな」
次の手を考えていてこんな表情になっているとは、彼も思ってはいないはずだ。だが、おどけたように片眉を動かす表情に、わずかながら和まされた。
「……そうだな。でも私の手はいつも読まれていて、少しも前へ進めないんだ」
持ちうるかぎりの財と権力を行使したところで、この部屋に入るのがせいいっぱい。彼をここへ閉じこめているのが何者なのか、それさえ突き止められない。
「そんなことはない。おまえの采配はいつもみごとだよ。駒の使い方がすばらしい」
自分が思い浮かべていた相手と、彼の頭の中にある相手はちがっているようだ。暗に、彼をここへ送り込んだ自分のチームのことを言っているのだろう。
返す言葉も思いつかずにクイーンを動かし、ナイトを取った。彼は感嘆の声とともに指を鳴らす。
「ほら……おまえの駒は、確実に目の前の敵を仕留める。とてもじゃないが叶わない」
「目に見える敵ならば、たやすいのだがね……」
声になるかならないかの呟きは、この部屋の集音マイクを意識してのことだった。ここでのやりとりはすべて、画像と音声で記録されている。
聞かれたくない会話は、いつもなら声を出さずに直接頭の中へ語りかければいい。だが、ここではそれが困難だった。彼や自分が持っているような能力を抑制する低周波が、常に発信されている。それも、思いつめた表情を作る一因かもしれない。
ところが、彼はこちらに合わせて声を落とすようなことはしなかった。
「なにを言っているんだね。ここでは、見えないものなどない。なにもかもがクリアで、見通しがいい。なにが不安だというのだ、愛しいチャールズ」
愛しい、の部分に力を込めて言った彼は、すっと音もなく立ち上がった。今は囚人服だが、トレードマークのマントがあったなら、優美な動きで裾をさばいていたところだろう。
「エリック?」
小さなテーブルをまわってこちら側へ歩み寄ってきた彼は、片手でこちらの椅子……普通の椅子とちがって大きな車輪がついていたが……を、お互いまっすぐ向き合うように動かした。
「私には、おまえがよく見える」
「……私もだ、エリック」
傷つけられて力のない指が、こちらの頬に触れる。驚いて、思わず身を硬くした。攻撃されると思ったからではなく、それが、二人がまだ疑いもなく親しかったころの仕草だったからだ。
彼は視線を下ろし、こちらのひざを軽く叩いた。
「脚は、変わりないか?」
「見てのとおり……まったく動かないよ」
かすかに笑ってみせれば、似たような微笑が返ってくる。身がまえた気持ちを弛緩させかけた瞬間。
「エリッ……!」
彼が、動かない脚の上に腰を下ろしたのだ。優雅に、紳士的に。まるで椅子にちょっと腰かけるとでもいった様子で、横向きに座り……それからごく自然に首を抱き寄せ、唇を重ねてきた。
あまりにも平然と、あたりまえのようにおこなわれたその行為に、暫し目を見開いたまま呆然と受け入れていた。その意味を考えることすらできずに。
二秒後、はっとして身を震わせる。
「エリック!」
この状況下で、こんなことを……いったい、なにを考えているのか。
「見られてるんだぞ」
「連中が私を見ていたいというなら、見ているがいい。存分に見せつけてやるだけのことだ」
「そんな……」
横目で、人がいる監視ルームを見やった。
真っ先に目に入ったのは、見慣れた赤い髪。助手という名目で自分に同行してきた若い女性は、唇を噛んで下を向いている。むりもない。父親代わりの男が、自分たちの敵である男に……。彼女の心情を思い、今この瞬間に直接謝罪できたらと考えてしまう。互いの能力は遮断されているというのに。
看守や研究者たちの表情はそれぞれだ。信じられない光景にただ驚くだけの者、にやついている者、激しい嫌悪を隠さない者。
いつものように、彼らの思考が読み取れていたら、と思う。それはたしかに屈辱的ではあるだろう。だが、他人の心がその人の着ている服よりもはっきり見える者にとっては、聞こえないこと自体が恥辱だった。わからない以上、想像するしかない。今の自分たちが彼らの内心で、どれほどの嘲笑や侮蔑を受けているか……。彼らの表情を見ているだけでも苦しくなる。面と向かって侮辱されたほうが、まだ耐えられるというものだ。
「チャールズ、よけいなことは考えるな」
ひざの上に腰かけたままの彼が、頬に耳にと乾いた唇を触れさせてくる。
彼と同様に相手を抱きしめたい思いを抑え、車椅子のアームをきつく握りしめた。ここが監獄でなければ、だれの目もなければ、昔のように抱き合って熱い口づけを交わすことができただろうに。
「お願いだ、エリック、やめてくれ……」
無遠慮な視線と不可視な思考に怯え、思わず目をつぶる。どれほどうれしくても、求めていたものであっても、これでは応えられない。
「……………」
ふと彼の熱が離れたかと思うと、ひざが軽くなった。はっとして目を開ければ、彼は立ち上がってこちらを見下ろしている。
「おまえはいつもそうだ……我々の存在は『普通の』人間にとって脅威だからと言っては、薄暗いクローゼットに我々を押し込もうとする。暗くて狭いところはきらいだと、私が何度言ってもだ」
彼の手は、もうこちらの肩に置かれてはいなかった。祈りを捧げる人間のように、自らの胸に当てられている。
「持って生まれた力を使うことのなにが悪い? 真に愛おしいと思った相手に触れることも罪なのか? 五十年も色あせない想いは異常だというのか?」
視線こそこちらにまっすぐ向けられてはいたが、その言葉はあきらかに第三者へと向けられていた。大仰な手振りは、祈りを捧げる者ではなく、演説者のそれとなっていた。
「何者の権利をもって、私が生きる自由を奪う? いつどこでだれを愛するかさえ、自分では選べないというのかね?」
不自然に大声で話す囚人の様子に、不穏な気配を感じたのか、看守の一人がマイクをオンにする。
『……あー、プロフェッサー・エグゼビア? 警備の者を送りますか?』
見ようによっては、囚人が面会者に害を及ぼそうとしているように見えないこともない。今ここで外部に救いを求め、彼だけを異常者あつかいして、自分はビニールのトンネルから避難することもできるだろう。彼をここに閉じこめて実験動物あつかいしている連中は、狂喜して彼を「研究」しようとするだろう。
「やれやれ……」
大きく息を吐き出した。
外からの呼びかけには答えず、ただ目の前の彼だけを見つめる。
「……ここのクローゼットは、隠れても意味がないな」
彼は肩をすくめてみせた。
「そもそも、クローゼットなどないからな」
そういえばそうだ、と手を伸ばしながら笑う。ダンスの相手をエスコートするように。その手を取った彼は、もう一度身をかがめて顔を近づけてきた。今度はこちらからも腕をまわし、顔を上げて彼の唇を受け入れる。
「三重苦の愛か」
さっきの演説を思いだして、呟いてみる。
「チャールズ?」
その呼びかけは、問いではなく。こちらの意思を確認しているように聞こえた。
「きみとなら、何重の障害でも越えてみせるよ」
「チャールズ……」
笑い声すら上げながら抱擁と接吻をくり返す、老いた男たちを、監視者たちは呆然と眺めていた。
プラスチックの壁越しに、赤い髪の教え子と目が合う。
妨害周波のおかげで彼女の思考はわからなかったが、その笑顔は見えた。そう、笑顔だ。細い指で赤い髪をかき上げ、彼女は微笑んだのだった。
かの優秀な能力者もまた、決して視線を交わすことのできない相手と恋をしている。『普通の』人間にはわからない、苦しい恋を。だが、二人の恋を阻むことは何者にもできない。少なくとも彼女には、敵だった男の言葉が響いたということだ。
目を細め、微笑み返した。
そうだ。このクリアな部屋で、隠すことなどなにもない。
この自分たちに、後ろめたいことなど、なにひとつあるはずがないのだ。
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