丈瑠/源太
馴染(なじみ)
玄関のほうが騒がしい。
庭で日課の稽古をしていた丈瑠は、懐かしい声が聞こえた気がしてはっと振り向く。
竹刀を黒子に渡すのも忘れて玄関に向かえば、黒子たちに重そうな荷物を押しつけているのは……
「源太!?」
彼は稽古着の丈瑠を見ると、顔のパーツが外れそうなくらいに表情を変える。笑顔という言葉で済ませるにはあまりに大仰な喜色を浮かべ、靴を脱ぎ捨てた勢いでぴょんと抱きついてきた。
丈瑠が驚いて息を止めた瞬間、頬に音を立てて口づけられる。
「梅盛源太、ジュテームの国からただいま帰参!」
丈瑠が自分に起こった事態を把握し、あわてて源太を振り落とすのは、先に我に返った彦馬が「殿!?」と声をかけてからだった。
屋敷の奥にある丈瑠の自室は、かつて住まっていた侍たちも安易には立ち入らなかった。その部屋に、二人は差し向かいで座っている。
「かああっ、やっぱ日本酒は日本に限るねえ!」
「あたりまえすぎて意味がわからないぞ」
丈瑠は苦笑しながら、差し出される杯に酒を注いでやる。
「おまえが持ってきたワインも美味かった。じいがあんなに飲んだのは久しぶりだ」
曰く「ジュテームの国から」源太が持ち帰ったみやげは、本場のワイン一箱。そればかりか、食事担当の黒子たちを押しのけてその日の夕食をプロ顔負けのフレンチにしてしまったのには、驚きを通りこして呆れてしまった。
「ほんとうに、寿司以外はなんでも天才的だな……」
彦馬と二人でため息混じりに呟きながらも、幼なじみの来訪を祝って三人で小さな酒宴を開いた。
夜更かしができない歳になってきたとぼやく彦馬を下がらせて、二人で丈瑠の自室に引き上げたのがついさっき。黒子に頼んで秘蔵の酒を調達し、密かに二人だけの酒盛りをはじめたところだった。
丈瑠は杯を掲げ、その向こうにいる源太を見つめる。
「久しぶりだな」
「ああ」
他の侍たちも、時折丈瑠の元を訪れる。しかし酒が飲めない千明やことはの前では堂々と飲むのもはばかられるし、流ノ介はどちらかといえば酌をしたがり、しかも先に酔いつぶれる。しっとりと酌み交わすなら茉子だが、あいにく彼女は下戸だ。皆、飲み仲間としては少々もの足りない。こうして飲み明かせるのは源太くらいだった。
源太はスカジャンを脱ぎ捨てシャツの袖をまくり上げる。酒瓶を突き出す彼に、丈瑠も杯を差し出した。
「例の調べもんは、進んでるのかい?」
不意にそんなことを言われて、少し返事に戸惑った。
「いや……そう簡単にはな。なにしろ、あの世に関わることだ」
「この世にとどまった魂をあっちへ送る方法、か……十臓のやつも、最後まで丈ちゃんに面倒かけていきやがる」
源太はどこか愉快そうな顔で、柿の種を口に放り込む。
魂だけになった十臓が三途の川を渡れず現世に残っていることは、丈瑠と源太しか知らない。打ち明けられた源太は、十臓の気配を感じ取ることはできなかったが、それでも丈瑠の言葉を信じた。
「気長にやるさ。時間はあるんだ」
丈瑠も源太の杯に酒を注ぐ。
終わりの見えない秘密には慣れっこだ。ともに背負ってくれる幼なじみがいるだけでも心が軽くなる。
「にしても、せっかく近くにいるのに寿司も食わせられねえなんてなあ」
「せっかくの上客だったもんな」
源太と十臓のつながりを、丈瑠は直接に知らない。丈瑠と十臓のことを源太が知らなかったように。源太の中には、丈瑠とはちがう十臓がいる。奇妙な感覚だったが、今はそれもつながりのうちだと思えるから不思議だ。
「丈ちゃんは、会えるんだろ?」
「……せいぜい顔を見られる程度だ。実体はないし、屋敷に呼べるわけでもない」
強固な結界が張り巡らされたこの屋敷には、生きた人間以外が立ち入ることは不可能だった。さまよえる魂とて例外ではない。だが結界がなくとも、十臓をみだりに呼び出すのは憚られた。
「いいんだ。あいつはもう、俺たちとはちがうところにいる」
丈瑠の中に、消えることのない炎を残して。
自分に言い聞かせる丈瑠を、源太は探るような目で見つめていた。それから首をかたむけ笑みを浮かべる。
「十臓にも会えねえとなると……俺がいなくてさびしかっただろ」
「な、そんなわけが……」
突然の言葉に面食らって、反射的に言い返そうとする。だがふと思いとどまって、杯に口をつけた。
「少しな」
目をそらして答える丈瑠を、源太はぽかんと口を開けて見返した。
「熱でもあんのか?」
「うるさい!」
丈瑠は酒を一気に喉へ流し込んでいた。
「おまえはどうせ、俺のことなんか忘れて楽しくやってたんだろう?」
「うわ、そうくるかよ……」
百面相は「心底まいった」という顔を作って短髪をかき上げた。
みやげ話は、さっき山ほど聞かされた。フランスでの武者修行、ハワイで茉子に会うまでの珍道中、帰国して最初に寄った薫の屋敷で丹波と大げんかしたこと、などなど。
いかにも楽しそうで、国内でさえあまり遠出したことのない丈瑠には眩しいほどだった。
丈瑠も、流ノ介の舞台を千明といっしょに見に行ったこと、初めての一人旅でことはの家を訪ねたこと、薫の誕生日に祝いの品を自ら届けにいって丹波と大げんかしたこと、などの近況を語ったが、世界をまたにかける源太に比べると今ひとつ小粒に感じられる。
「そりゃあ、二十四時間三百六十五日、丈ちゃんのこと考えてるわけじゃねえけどよ……」
あたりまえだが実際に聞かされておもしろくもないことを、バカ正直に言うところが腹立たしい。やつあたりだとわかりつつ、丈瑠は手酌で酒をあおった。
そんな丈瑠を前に、源太は困ったように杯を舐める。
「たまぁに、心配になるんだよ」
意志の強い視線が、上目遣いに丈瑠を刺した。
「丈ちゃん、俺がいなくてだいじょうぶなのかなあってさ……」
あぐらをもそりと組み替えて、源太はすぐに目をそらす。
「そう思いはじめっと、こっちまでなんつーかその……だいじょうぶじゃなくなってきちまってよ」
酒で赤くなってきた頬をこすりながら、丈瑠はうつむいた。なんのことを言っているのか、わからないではない。
源太も口にするのが気まずいから、彼にしてはめずらしく歯切れの悪い言い方をしている。自分から話を振っておいて、源太ばかりを気まずくさせるのは卑怯だろう。
杯を置いた源太が下から顔を覗き込んでくる。
「で、だいじょうぶなのか?」
丈瑠も杯を置いた。顔が熱いが、まっすぐ源太を見つめる。
「いいや」
真剣な表情が、ふわりとほどけた。
「そっか、俺もだ。よかった」
その笑顔を見たら、これ以上の我慢は無意味に思えた。
丈瑠は二人のあいだにあった酒肴の皿を横へ押しのける。二人は同時に身を乗り出して、互いにつかんだ服を引き寄せた。
「丈ちゃ……」
源太の囁きは途中で途切れ、荒い息だけが狭い和室に響く。重ねられた唇のあいだで酒の香が混じり合った。丈瑠は源太の細い腰を抱き、身体の重みをかける。畳の上に倒れた二人は、なおも互いの舌に酒の味を求め合った。
源太の手はすでに丈瑠のシャツの中へ入り込んでいて、背骨をなぞっている。丈瑠も腰を押しつけた。
「……はっ」
息をついた源太が、喉の奥で笑う。
「なんだ」
「いや。帰ってきてよかったと思ってよ」
そう言うと、彼はすぐそばにある丈瑠の唇に軽い音を立てて口づけた。
「背中痛ぇや。布団行かねえか?」
異論はなかった。
奥の襖を開けると、寝室がある。
源太も泊まると言ってあったのに、布団は一組しかない。黒子らしからぬ不手際だと思うより早く、源太がくすくすと笑い出した。
丈瑠の怪訝な目を受け、源太は枕のほうを指さす。
「なんだこれ……っ」
布団は一つ、枕は二つ。枕元には夜の必需品をまとめた盆が置いてある。
「さっすが、黒子の皆さん」
苦笑いとも照れ笑いともつかない顔で肩をすくめる源太を、丈瑠は力なく小突いていた。
黒子たちの不要な気遣いにかなりやる気を削がれ、ため息をつく。だが源太は丈瑠を強引に布団へ引きずり込んだ。
「おい……」
「だいじょうぶじゃねえって言ったろ?」
にかっと笑った源太は、仏頂面の頬にフランス人ばりの口づけをくれた。そんなことをされては不機嫌でいるほうが難しい。
源太のシャツを脱がせてから、丈瑠も自分の服に手をかける。そのとき、ふと視界に入ってきた盆に目が止まった。
避妊具はともかくとして、白粉入れのような丸いケースはなんだろうか。
手に取ってふたを開けてみる。横から源太が覗き込んできた。
「なんだ?」
「練り香だな」
黒子が作ったものであることは家紋入りのふたを見ればわかる。香の種類を判別するのも志葉家当主には教養のひとつだ。しかし、この香りは知らない。こんなに気持ちをざわつかせるような芳香には覚えがない。
「志葉家秘伝の子作りグッズか?」
「それ以上なにか言ったらやめるぞ」
冗談半分でじろりと睨むと、源太は本気でうろたえて抱きついてきた。
「そう言うなって、『上』譲るからよ」
ちょっとやる気だったけどな、と呟きながら下も脱ぎはじめる姿に、つい口元がゆるんでしまう。
バカがつくくらいに真っ正直な彼は、いつでも一本気で迷いがない。丈瑠が後ろめたさを感じてしまうようなことも、まちがっていないと自分が思えばいつもと同じ顔でやってのける。
だからこそ、丈瑠はこの関係を受け入れられたのだ。源太がまちがいないと言い切ってくれるから。
「早くしろって」
源太がさっさと全部脱いでしまったので、丈瑠は上を脱ぎ捨てたところであきらめて、絡んでくる腕を受け入れた。
男同士、当たるのは筋肉と骨ばかりだ。しかし丈瑠はそれ以外を知らない。だからその感触が素直に心地よい。
「丈ちゃん、痩せた?」
「かもな」
鍛錬は怠っていないが、実戦で大刀を振るっていたころと比べると筋肉は落ちていく一方だった。
対して、源太は前より少し厚くなった気がする。細い身体でも重い屋台を引いてあちこち飛び回っていれば、いやでも鍛えられるだろう。
少しばかりの嫉妬も込めて、日に焼けていない胸の上に吸い痕をつけた。
「あ、ちょっと……」
いつも驚かされている意趣返しに、今は彼をあわてさせてやりたい。いくつか痕を残しながら、胸の小さな突起も吸い上げる。
「や、それ反則……っ」
半笑いで身をよじらせる源太は全裸だ。それを躍起になって押さえ込む自分も滑稽で、笑いがこみ上げてくる。お互いに肌をまさぐり唇を押しつけ合っているのに、息のあいだに笑いが混じる。まるでくすぐり合いだった。
丈瑠が源太の下腹に手をすべらせると、源太はひざで丈瑠の腰を蹴って催促してくる。
「丈ちゃんも全部脱げよ……」
そうだった、と思ったとき、べつのことも思い出して身体を起こしていた。
「すまん、ちょっと待て」
「ええ、ここでやめんのかよ!」
「待てって」
丈瑠は小箪笥に這い寄って、鍵つき引き出しの奥から男性用避妊具の箱を取り出した。両肩を抱いて背中を丸めていた源太が、それを見て目を丸くする。
「え、丈ちゃん自分で買ったの?」
そのとおりだが、あらためて言われると妙に気恥ずかしい。
「黒子が用意するなんて思わないだろう!?」
「いや、一人で買い物できたんだと思って……」
「おまえな……」
自分はどれほど世間知らずだと思われているのだろうか。買い物くらいは人並みにできる。自慢するのも情けないが電車にも一人で乗れる。なにからなにまで黒子任せではない。
「十臓、ついてきた?」
「知るか!」
ひひっと笑った源太は、寒いのか布団を引き寄せながら枕元の盆へ目を向けた。そこにも未開封の箱が置いてある。
「せっかく用意してくれたのにさ」
「俺だってせっかく買ってきたんだ」
思わずムッとして言い返すと、源太が噴き出す。丈瑠もつられて笑い出した。たしかに、わざわざ言い争うほどのことではない。
布団にもどって、さっき検分した練り香を手に取る。
「こっちは使わせてもらおう」
ふたを開け、中身を指ですくった。少し硬いような気がして掌であたためる。強くなる香りが平衡感覚を狂わせていくようだった。
「いいか」
「おうよ」
源太の上に覆いかぶさった丈瑠は、彼が自分で広げたひざを撫で下ろす。香りがふわりと広がり、妙に焦れったい気分になる。
「くっ……」
練り香にまみれた指を後ろへ差し込まれ、源太が奥歯を噛みしめた。
「力抜け」
「わかってる……」
しかし長い指が奥まで入り込むと、思うようにいかないらしい。源太の爪が腕に食い込むのを感じながら、丈瑠は中を押し広げるようにして潤滑剤を塗り込んでいく。
「あ、そこっ、そこイイ……」
「ここか?」
「うわ、ヤバ……」
さっきまで笑い合っていた二人は、今は真剣そのものだった。相手を傷つけないように、拒まないように。滑稽なほど慎重に、下準備を進めていた。
身体が熱い。頭もぼんやりする。
酒がまわってきたのか。いつのまにか二人を包んでいる、心をかき乱す練り香の仕業か。衝動のまま、丈瑠は源太の首筋に顔を埋める。呻いた源太が、譫言のように呟いた。
「ん……もう我慢できねえ……」
「なに?」
彼は丈瑠を自分の上からどかせて組み敷くと、焦った顔でジーンズのファスナーを下ろした。
「源太!?」
うろたえる丈瑠の顔を真上から覗き込み、唇に軽く口づける。
「殿さまらしく、どんとかまえてろよ……」
服から解放されて真上を向いた丈瑠自身をつかんで、濡れた後庭に押し当てた。源太は大きく息を吸うと、ゆっくり腰を落としてくる。
「おいっ、源……ぁあうっ……」
「や……っ、やっぱ、キツイな……」
苦笑しながらも、彼は少しずつ丈瑠を飲み込んでいく。根本まで腹に収めてようやく、丈瑠の腰に体重があずけられた。
「もう、イきそうか?」
からかいの混じった声で尋ねられ、すぐに声が出せなかった丈瑠は汗が飛び散るほどに頭を横に振る。「そうこなくっちゃな」と呟いた源太は、ひざに力を込めた。
「ぁああっ!!」
搾り取られるように締めつけられ、背中が布団から離れるほどに反り返った。呻きながらも腰を浮かせた源太は、ひたいに滲む汗を腕で拭う。
「へ……っ、なかなか、イロっぽいぜ……ぅんんっ……」
「うるさ……っ」
しなやかな肉体がくねるのを、丈瑠は喘ぎながら見つめる。部屋に立ちこめる香りのせいでぼうっとしてきた。だが、このまま彼に見とれて終わりを迎えるのは情けない。
「くそっ……」
布団に腕をつき、なんとか上体を起こして、相手の腰を抱き寄せた。ちょうど源太が腰を上げたところで、二人のつながりは一気に深くなる。
「ひぁっ、だめだってそれ……っ」
縋りついてくる源太の中心が、二人の腹に挟まれて硬さを増す。丈瑠はそこに指を絡ませて愛撫した。熱い息の混じった呻きを洩らしてしがみついてくる彼は、いっそう強く丈瑠を締めつける。
これ以上の緩慢さには耐えられない。丈瑠は源太の腰をつかんで激しく突き上げた。
「ちょっ、丈ちゃ……んぁああっ!!」
「うあっ……ぁんっ!!」
彼の最奥で達したと同時に、握り込んでいる手にも力が入った。手の中で、源太の熱もまた弾ける。
二人は少しのあいだその体勢のまま、動かず抱き合っていた。
やがて、にっと不敵な笑みを浮かべた源太が、鼻先が触れる距離で覗き込んでくる。
「……満足ですかい、お殿さま?」
「いや、ぜんぜん」
丈瑠も笑い返し、汚れた手を舐めた。
「丈ちゃん、汚ぇよ……」
二人は再び絡み合いながら布団に倒れ込んだ。
枕を抱えてうつぶせになった源太が、長い腕を伸ばして盆の上に置かれている箱を取り上げる。
「これ……未使用だとみんなが心配するんじゃねえか?」
「じゃあおまえが持って帰れ。練り香もセットでな」
自分で買ってきたほうを元の場所にしまって鍵をかけ、丈瑠は源太の横にもぐり込む。
「ここ以外のどこで使うんだよ!」
半笑いで叫ぶ源太に、丈瑠はずっと考えていたことを告げた。
「今度会いたくなったら、俺がおまえのところに行く」
「え……ええ!?」
殿と呼ばれる身分ではあっても、ふんぞり返っていていいと思ったことは一度もない。いつやってくるかわからない源太をこの屋敷でただ待ちつづけることにもそろそろ飽きてきた。
以前ならば使命のせいにして現状を受け入れていただろうが、今はちがう。その気になればきっとどこへでも行ける。
源太はにやっと笑って片眉を上げた。
「つっても、どこにいるかわかんねえぜ? 地球の裏っ側にいるかも」
「メールしろよ。そこに行けばいいんだろ?」
「言うねえ」
「本気にしてないな」
「いや。丈ちゃんならやるさ……」
彼は枕に頭を乗せ、眠そうな目で微笑んだ。なんだか照れくさくなって、彼に背を向ける。
「六時前に起きろよ」
「なんで?」
「じいが来る」
毎朝きっかり定時に丈瑠を起こしにくる彦馬が、この状況を見てなんと言うか。いや、なにも言わなくても、それはそれで気まずい。
それでなくとも「公認」の雰囲気になっているのだ。丈瑠と源太の個人的な関係なのに、屋敷全体がそれに合わせて動いている。親心はわかるから不愉快というほどではないのだが、そこまで世話を焼いてくれなくてもいいと思う。できれば放っておいてくれ、というのが口に出せない丈瑠の要望だった。
「そういうもんかねえ……」
愉快そうに呟く源太の声は、もう眠りに落ちる寸前だ。寝坊してはいけない。
二人は背中合わせで目を閉じた。
※コメントは最大500文字、5回まで送信できます