ボンド/Q

2015_007,[G]

聖夜

さすがに休業とはいかないが、MI6本部にもツリーは飾られているし、12月25日は普段より職員の数も少ない。Qだって少しは浮かれた気分にもなる。
数日前に思いついて用意したプレゼントは、高級キャットフードとネズミのおもちゃ。それとフリースの大きな毛布。二匹も大はしゃぎで喜んでくれた。クリスマスという日の意味を理解しているかどうかはさておいて。年に一度集まる大家族などは持たない身だが、これで不足ということがあるだろうか。
毛布にくるまりタブレットで動画漁りに没頭していた真っ最中、来客を知らせるブザーが鳴る。
ドアの外に立っていたのは、全く想定していなかった人物だった。いや、考えてみれば近ごろQを訪ねてくるのは彼しかいないのだが、こういうかたちでの来訪は初めてだった。
「……うちの玄関の場所を知っていたとは驚きです」
ボンドは「まるで紳士のように」帽子を取り、肩をすくめてみせる。
「近くまで来たから」
彼が今まで一度でもそんなとってつけた理由を口にしたことがあっただろうか。さらに気味が悪い。
「失礼ですが身分証の提示を求めてもいいですか、あなたが本物の007という確証が持てないので」
彼は鼻で笑って、「自分なら身分証も偽造する」と答えた。それもそうだ。この上、何の用で来たかと尋ねるのは意味がないともうわかっていたから、余計なことを考えるのはやめにして客を中へ通す。
「七面鳥はありませんよ。スペシャルなキャットフードならありますけど」
「それはごちそうだな」
ボンドは二匹の猫の名を呼びながら勝手知ったるリビングへ入っていく。
「……プディングはまだ半分残ってます」
「すばらしい」
切り分けもせず食べかけのままテーブルの上に放置されているそれを横目に答えたボンドは、抱えている紙袋を少し掲げてキッチンのほうをしゃくった。
「キッチンを借りても?」
いよいよ不審だ。彼はこの家でなにかの許可を求めたことはない。
「爆弾を作るとか死体の処理とかでなければ、ご自由に」
「確約はできないが善処しよう」
突然の来客に色めき立つ猫たちをなだめながら、Qはソファに戻った。だが背を向けていても意識だけはどうしてもキッチンに向かってしまう。
彼にクリスマスをともに過ごす家族がいないことは知っている。彼自身それに慣れきっていて、それゆえに優秀なのだと前のMか今のM(タナーだったかもしれない)が言っていた。合理的な説明に異論はない。
だからこそ、この家に滞在しているときの彼が説明できないのだった。Qと関係を持ちたいのかと勘ぐったこともあったが、そうではないらしい。むしろ、Qと関係してしまうことを恐れているようにも見える。天下の007に恐れるものなどあるとは考えにくいから、これはQの思い過ごしかもしれないが。
漂ってきたシナモンの香りに振り返る。
ボンドが持ってきたのは二人ぶんのホットワインだった。クリスマスらしいが、ボンドらしくはない。家庭的な要素は彼にとって障害だとすら思っていたのは、こちらの早合点なのか。
「……ありがとうございます」
面食らいながらもカップを受け取る。
ボンドがQの隣に腰を下ろすと、猫たちがひざの上によじ登ってきた。
「か、乾杯?」
首をかしげながらカップを掲げておそるおそる尋ねたQに、ボンドは笑みを浮かべて「乾杯」と返す。
普段は気にならない沈黙が、二人で同じ酒を飲んでいるというだけで相手を強く意識させる。いつもなら、意図的にしろ互いを視界に入れずそれぞれ過ごしているのに、否応なく時間を共有させられているような感覚だ。Qはカップを両手で持ったまま、湯気で曇り気味の眼鏡の奥からこっそりボンドを眺めた。だが敏腕エージェントに気づかれないわけがない。
不思議そうにこちらを見返す男に、Qは大して考えもせず口を開いた。
「ゲームでもしますか?」
意味があったわけではない。二人で隣り合ってホットワインを飲んで、その先に共有できる何かがあるという想像ができなかったから、投げやりに言ってみただけだ。クリスマスに客があれば、パーティでも開くのが定番なのだろうが。
「きみがいつもいじってる日本製のオモチャで?」
案の定、ボンドは困惑した顔でQとテーブルの上に投げ出されているPSPを見比べた。理解できないと言わんばかりの口調が妙におかしくて、Qは思わず噴き出しそうになるのをこらえる。
「いえ、パーティっぽく……ツイスターとか」
言いながらこらえきれずに声を震わせるQに、さすがのボンドも声を上げて笑い出した。
あんまり笑ったので二人ともソファから転げ落ちそうになったほどだった。新しい毛布にはワインの染みがついた。
「Mも呼ぼう」
さんざん笑ったボンドは、上機嫌に猫の喉をくすぐる。
強い酒を飲んだわけでもなく、美女を抱いているわけでもない。だが、ジェームズ・ボンドのこれほど楽しそうな姿をQは今まで知らなかった。彼と向き合ってこんなに楽しい気分になっている自分もだ。
「007」
空になったカップを置いてから、毛布ごと自分のひざを抱き寄せる。ワインのおかげか、はしゃいだからか、さっきよりも体が温まっている気がした。
「なぜ、『ここ』なんです?」
犬は人につく、猫は家につくという。ボンドの目的がQではなくこの我が家ではないかとは、薄々感じていた。だからそんな問いになった。
ボンドはちらりとQを見たが、すぐひざの上の猫に目を落とす。
「スパイは動物を飼えないからさ」
「はぁ……」
Qは一瞬ぽかんとして、それからまた笑い出す。世界一セクシーで危険な男から、最も似合わない言葉を引き出してしまったようだ。いや、今さらか。
「プディングでも食べようか。もうすぐクリスマスが終わってしまう」
「ぼくの食べかけでよければ」
笑いすぎてにじんだ涙を拭いたあと、眼鏡をかけなおして皿を取りにキッチンへ向かった。こみ上げてくる笑いはなかなか止まらなくて、だからボンドの呟きはQには聞こえなかった。
「猫だって懐く人間を選ぶ、そうだろ?」
撫でられた猫が、心得たような顔で鳴いて返事をした。

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2015_007,[G]

Posted by nickel