侘助/理一

2009_サマーウォーズ,[G]

【触れる指先】

庭の片隅に、アイスの棒が立っている。
十歳になった陣内真緒は、夜になってもまだその墓の前にしゃがみ込んでいた。
昨日の祭りですくってきた金魚が二匹、その下に埋まっている。
元気にかわいらしく泳いでいた赤と黒の金魚たちは、翌朝どちらも動かずに水の中に浮かんでいた。死んでる、と騒ぎ立てる弟を叩いて黙らせ、真緒は泣きながら墓を作った。
理一がそこを通りかかったのはたまたまだったが、ふり向いた従姪の顔がくしゃりとゆがむのを見てしまっては、そのまま通りすぎるわけにもいかない。
「風邪ひくよ」
濡れ縁まで駆け寄ってきた真緒は、黙って小指を突き出した。大きな目に涙をたっぷりと浮かべて。
理一は微笑み、その小指をそっとつまむように握る。幼い夏希や佳主馬にそうしてやったように。自分が、姉や従姉妹たちにそうしてもらったように。

そして不意に思い出す。
あの夜も、この場所だったことを。

家で飼っていた犬が死んだ。ハヤテの二代前だ。
理一も理香も生まれる前からこの家にいた犬で、家族も同然だった。とくに物心つく前に父を亡くしていた理一にとっては、初めての身近な存在の死だった。
墓の前で泣きわめく姉を見ながら、幼い理一は黙って耐えていた。泣くなんてみっともないと思っていたから。祖母だって、いつもと同じ凛とした顔で塚を見つめている。
なにより、横には侘助がいた。少し前に屋敷へやってきたこの少年を、理一はまだ家族どころか、従兄弟や同級生ほどにも親しく感じられず、ほとんど言葉を交わしていなかった。そんな得体の知れない相手の前で、みっともなく泣き出すことなどできない。侘助がいたから、理一は泣くことができなかった。
夜になっても眠れず、理一はパジャマ姿でこの濡れ縁に座っていた。暗がりの中に立っている塚を見つめ、声を殺してすすり泣いていた。老犬の優しい瞳と、やわらかい毛並みを思い出しながら。
「!」
背後で物音が聞こえ、ぎょっとしてふり向く。廊下のつきあたりに白いものが立っていた。
だがそれがパジャマ姿の侘助だとわかると、恐怖は消えて一気に焦燥感が襲ってくる。
泣いているのを見られた。
理一はあわててごしごしと目をこすった。なんでもない顔をして濡れ縁の下へ足をぶらつかせ、夜の闇を眺めているふりをする。
「……………」
侘助はなにも言わずしばらく理一を眺めていたが、どういう風の吹き回しか近づいてきて、理一の隣に座った。
震える手が、理一の小指に触れる。
「なにすんだ……」
その指の冷たさを感じたとたん、理一は侘助を突き飛ばしていた。
声を出したせいで、こらえていた涙があふれ出す。必死に袖口で拭ったが、ちっとも止まってくれない。理一は泣きじゃくりながら、後ろに倒れた侘助の足を蹴飛ばす。無性に悔しくて仕方がなかった。
「なんなんだよ、おまえ……っ!」
侘助は呆然と理一を見上げていたが、ふいっと顔をそらすとかすれ声で呟く。
「……なんでもねえよ、バーカ」
よろりと立ち上がった少年は、理一を睨みつけて足早に廊下を去っていった。

わかっていた。
侘助が理一の涙を止めようとしたことは。
祖母も母も姉も、理一が泣いたときにはいつもそうしてくれたから。侘助も、祖母から教わったのだろう。
ただ、それを家族以外の人間にされるのが許せなかったのだと思う。祖母にとって自分で連れてきた侘助は家族かもしれないが、理一にとっては他人だった。
何者かもわからない同い年の少年への、反発や、対抗心や、恥辱や……押し込められていたいろんな感情が、侘助を突き飛ばし、突き放してしまった。
あとから思えば、あれが決定的な亀裂だったのかもしれない。
もともと人見知り同士、接触はいよいよ少なくなり、ケンカすらした記憶もない。それからどうやって距離を縮めていったのかなど、もう思い出せない。ただ、それなりの時間がかかったことはたしかだった。

もう三十年以上前のことだ。
今まで思い出しもしなかった記憶に戸惑いながら、理一はその場に座っていた。
「……真緒?」
いつのまにか彼女はしゃくり上げるのをやめていた。泣き疲れたのか、理一のあぐらの上で眠り込んでいる。
折れそうな小指から手を離そうとすると、逆にその手が追いすがってきて、理一の長い小指をつかんだ。起きている様子はないのに、しっかりと大人の指を握りしめている。
完全に引き上げるタイミングを逃したようだ。一人苦笑しながら、理一は途方に暮れて金魚の墓を眺める。
「……なにやってんの」
廊下のつきあたりを見やると、侘助がアイスをくわえて立っていた。
小柄だった少年は二人ともひょろひょろと縦に伸び、今はむさ苦しい中年に化けて、間抜けな顔を見合わせている。既視感もなにもあったものではない。
「傷心のお姫さまをお慰め中」
「それはそれは」
ごくろうさん、と呟きながら後ろを通りすぎようとする侘助を、理一はつい呼び止めていた。
「なあ」
「あ?」
高い位置にある顔を真下から見上げたはいいが、なぜ呼び止めたのかは自分でもわからない。
「……あのときは、ごめんな」
「どのとき?」
怪訝そうな声に、バカなことを口走ったと気づくがもう遅かった。
「あのとき」
ふふっ、と曖昧に笑って、金魚の墓へと視線をもどした。自分も忘れていた楽しくもない思い出を、わざわざ二人で回想して気まずくなることはない。
「おい理……!」
大声を上げそうになる侘助に、「しーっ」と真緒を指して黙らせる。
「……!」
侘助はむくれて口をへの字に曲げ、理一の横に座り込んだ。
しゃり、とアイスをかじる音に思わず目を向ければ、彼は少し戸惑った顔で理一とアイスを見比べる。
「……食うか」
「サンキュ」
とくにほしかったわけではないが、断る理由もないので、侘助が差し出してくるままにアイスをかじった。
「で、いつの話だって?」
「忘れた」
「そんな昔の話か」
「うん、大昔」
侘助はアイスをかじりながら「大昔か」と呟く。
「じゃ、いいわ」
再び突き出されるアイスを、またかじる。真緒につかまれているのは右手だけなのだから左手を出せばよかったのだが、横着したのが悪かった。
「あ」
口に入りきらず溶けたアイスが口元を伝っていくのを、侘助の指がぞんざいに拭っていく。べたつく指を舐めてからズボンで拭いて、侘助はにやりと笑った。
「わかんねえけど、許す」
「……そりゃどうも」
傷つきやすかった繊細な少年たちは、恥知らずの図太い中年になってしまった。あの、言葉にできない不安と緊張感はもうどこにも存在しない。

ただその指だけは、あいかわらず冷たかった。

どんなおっさんも小さくてかわいいころがあったんだよ、っていう話じゃないんだよ。
どんなにかわいい男の子でもいつかは汚いおっさんになるんだよ。
て話。


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