スパイク/ジェット
カウボーイビバップ:スパイク/ジェット PG
MARTIAN CAT
夢か、現か。
区別がつかなくなることなんて、そうめずらしくもない。
今がそうだ。
「う……」
体が動かない。
「ぐ、ぅう……っ」
なにかが身体の上にのしかかっているような、息苦しさと不自由さ。
これは、夢だ。
自分にそう言い聞かせる。
「くそ……」
苦しさに耐えきれず目を開けると、目の前にふわふわの赤いものがあった。
どうやら、夢ではなく、本当になにかが乗っているようだ。
「なんだこりゃあ……」
彼が身体を起こすと、ごろんとなにかがベッドの下に転がり落ちる。
「うにゃー」
その鳴き声で彼はすべてを理解する。それは、謎の宇宙生物でも悪夢の具現化でもなく(ある意味ではどちらでもあるが)、れっきとしたこの船のクルーだった。
目をぐりぐりとこすりながら、軟体動物のような物体が床の上でぐにゃぐにゃと起きあがる。
「なんでおまえがここにいるんだよ!!」
彼はもさもさの髪を逆立て、彼女の胸ぐらをつかんだ。
「にゃー」
だが抗議どころかわずかな抵抗さえ腕には伝わってこない。本当に骨があるのかと疑いたくなる柔軟さで、男の腕からぶらんと下げられるままになっている。
「こら起きろ! ここで寝るな!」
したたかにも、胸ぐらをつかまれたまま寝ようとしている少女を、彼はゆさゆさと揺すぶる。子どもでなければ、頬のひとつも張っているところだ。
「自分のベッドで寝ろ!」
「エドのベッドー? ないよー」
半分寝ているその声に、ふと考え込む。
「そういや……」
ベッドだけではない。この少女に、個室というものはない。
「おまえいつもどこで寝てるんだ」
「いろいろー」
リビングの隅。トイレの前。倉庫の奥。ブリッヂの椅子。ステップの手すり。四足歩行の獣のように丸くなり、洗濯前のシーツのように垂れ下がり、綿ぼこりのように吹きだまり、少女は空気のごとくこの船に存在している。船全体が彼女の部屋であり、ベッドなのだ。
「ベッドに寝たいならフェイのとこにでも行きゃいいだろうが!」
腹立ちまぎれに、少女をベッドの上に叩きつける。無抵抗の身体はスプリングで跳ね、そして毛布に沈んだ。痛みなど少しも感じていないであろう彼女は、スプリングの感触を楽しみながら言った。
「ふぇいふぇいがぁー、スパイクの部屋に行けってー」
「あの女……」
つまり、先にこの奇妙な生物を追い出したのはあの巨乳なのだ。男は怒りで髪を逆立てる。
「とにかく! 俺の上で寝るな!!」
叫んでから、語弊のある言い方だったかもしれないと一人咳払いをする。もちろん子どものほうはおかまいなしだ。毛布の端につかまったまま、ちらっとこちらを一瞥した。
「なんでぇー? スパイクだってジェットの上で寝てるにょー?」
「っ」
彼はしばし硬直した。
「どういう、意味だ……?」
軟体動物はぐにゃぐにゃと首を揺らしながら、相変わらず眠そうな声のまま毛布を抱きかかえる。
「ふぇいふぇいが言ってたー。スパイクとジェットはー、おんなじベッドでもぞもぞーのくりくりーなんだってー」
……いったいなにを言ったのか。
めったなことでは狼狽などしないはずの青年は、がらにもない後ろめたさと冷たい汗が頬をつたうのを意識した。
「ずるいーエドもくりくりするーぅ」
「意味わかってんのかクソガキ……」
脱力してつかんでいたシャツを離すと、へにゃへにゃベッドに崩れた軟体動物が再び毛布の中へ潜り込んでいった。
「ぁんの女ぁ……!」
やり場のない苛立ちを拳に込めて、ベッドのマットレスを殴りつける。
「きゃいん!」
毛布の陰から、毛むくじゃらの動物が跳ね起きた。叩きつけられた拳の下に、運悪く彼の足があったらしい。
「おまえもか!」
もう怒る気力もない。
軟体動物や毛皮相手にムキになってもしかたがないのだ。
「というわけだ」
「……なにがどういうわけで、枕かかえて俺の部屋に来るんだ」
寝入りばなをたたき起こされた格好の中年男は、不機嫌を隠そうともせずにベッドサイドに立つ相棒を見上げた。
「ガキとケダモノにベッドとられたんだよ。だからここで寝かせろ」
寝ぐせの激しい頭をがりがりとかきながら言う彼のほうも、決して機嫌がいいとはいえない顔だ。
「いいじゃねえか、子どもや犬の一匹二匹。懐かれてると思えばかわいいもんさ」
「冗談じゃねえ。あんな妙な生物といっしょに眠れるかよ」
髪を逆立てて怒る青年を下から眺め、男は彼こそ動物のようだと思う。
「スパイク。よーく考えろ。おまえとエド。俺とおまえ。ひとつのベッドに収まりがいいのはどっちだ、ああ?」
「俺とあんた」
きっぱり言ってのけると、彼は強引に自分の身体を毛布の下にすべり込ませる。有無を言わせぬとはいえあまりに自然な所作に、男が抵抗する隙すらない。
「スパ……」
抗議の言葉は、触れるだけの唇にさえぎられた。
「おやすみ、ダンナ」
「……なんで俺の上に寝る!」
ようやく出た言葉は、ほとんど唸り声に近かった。
枕を持参したにもかかわらず、もさもさ頭は逞しい胸の上に乗っていたのである。
「だいたいなあ……」
うんざりした口調で、今度こそ説教がはじまるかと思われたが。
「ガキがな」
「あ?」
青年が、頭を動かそうともせずに口を開いた。
「俺たちのこと知ってる」
「んー……?」
数秒考えてその意味を理解した男は、もともといいとはいえない顔色をさらに青くさせた。
「なんだとぉ!?」
耳元で大声を出され、青年は顔をしかめる。
「……女が教えたらしい。てことは女もとっくに知ってるってことだ」
「ぉいおい、性教育はもっと慎重にだな」
「知るかよ」
もう限界、といったようすであくびをすると、彼は完全に黙り込んだ。
「スパイク?」
男は毛布をずらし、その顔を覗きこむ。
「……同類じゃねえか」
ため息をついて、毛布を引き上げる。
「ま、懐かれてると思えばかわいいもん……か」
赤い眼の猫は、飼い主の胸の上で穏やかな寝息をたてていた。
※コメントは最大500文字、5回まで送信できます