小話色々

2009_シンケンジャー,[G]

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黒子夜話(くろこやわ)

もともと、それほど散らかっている部屋ではない。むしろ他よりも格段に整頓されている、千明に言わせると「つまんねえ部屋」だ。
それでも、一年住み込めば家財も増える。ここに来てから増えたものにはそれぞれに思い出があって、こみ上げてくる思いもさまざまに迫ってくる。
手にするもの全てに対していちいち感傷に浸っていたせいで、気がつけばだれよりも片づけが遅れていた。このままでは今夜布団を敷けるかどうかすら危うい。出立は明日だというのに。
流ノ介が部屋の真ん中で途方に暮れていると、黒子の一人がやってきた。
最初は、全て自分でやるからと彼らの手伝いを辞退したのだが、あまりに進まないので様子をうかがいにきたのだろう。ここで意地を張っては逆に皆の予定を狂わせてしまうかもしれない。
「ああ、すみません、やっぱり手伝っていただけますか?」
黒子は心得たようにうなずいて、音もなく室内へと入ってくる。
人を迎え入れるにはあまりに雑然とした部屋だと思いながら立ち上がった拍子に、重ねてある段ボール箱に肘が当たって崩してしまった。
「わわっ……」
あわてて箱を押さえようとしたとたん、畳の上に落ちた紙で足をすべらせて、自分も倒れそうになる。受け身を取る間もない。黒子がとっさにこちらへ手を差し伸べたところまでは見えた。
が、直後に派手な音とともにダンボールも自分もひっくり返っていた。
「!!」
驚いたのは、黒子を完全に押しつぶすかたちで下敷きにしていたことだ。かすかに苦しげな喘ぎが聞こえ、あわてて上体を起こす。
「す、すみませ……」
謝りかけて、そのまま止まってしまった。
黒い頭巾の端がめくれて口元だけが見えている。それがだれかなど、わからないはずがない。
「あなたは……」
唇がひくりと言葉を発するかに見えたが、逆に一文字に結ばれてしまった。黒子は声を出さない、という主張なのだろうか。ならば彼の意志を尊重して起き上がるのが、正しい礼儀というものだ。
だが流ノ介は頭巾の紐に指を伸ばしていた。
「すみません、暫し……」
黒子の頭巾に手をかけるなど、着物を……ある意味では下着を脱がせるに等しい無礼な行為であることをわかってはいたけれど、奇妙な衝動が礼儀に勝ってしまった。勝手に高鳴っている鼓動がその行為を要求したと言ってもいい。
そっと紐を解き、震える手で黒い布をめくると、覚えのある顔が現れる。
「また……お会いしましたね」
無精ひげの男は眉根を寄せた。知った顔が現れて表情を見せる……それだけで、顔のない人形が唐突に人間になった気がした。
「あんたって人は……」
ぞんざいな口調は、折り目正しい黒子の姿とは相容れない。初めて出会ったときの薄汚れた釣り人そのままで、まちがいなく自分の知っている人間だと確信させてくれる。
彼は深々と息を吐き出すと、ちらりとこちらを見上げた。
「そろそろどいてくれないか。このまま俺をどうにかしようっていうんなら別だが」
「あ……!!」
その言葉に、がばりと起き上がる。意識していなかったがこれではまるで……
「すっ、すみません、決してそんなつもりは……!」
そんなつもりがどんなつもりなのかも考えずに両手を振り回してから、ふと彼の言葉に引っかかりを覚えた。いや、誓ってそんなつもりはなかったのだが、しかし彼はそれでもかまわないと言っているように聞こえた。
意を決して、身を起こしたばかりの彼に向きなおる。
「……どうにか、されてくれるのですか?」
思いもよらない問いだったのか目を丸くした彼は、しかしすぐに笑みを浮かべた。
「どうにかしたいのか?」
その意味がわからぬほど幼くはないつもりだが、かといって冗談で流せるほど成熟もしていない。顔に血が上っていくのが自分でわかる。
「いえ、いえいえ、私はそのような、まだ修行中の身ですから、それに明日にはいなくなりますし、だいたい殿がなんとおっしゃるか……」
あわてすぎて、自分でもなにを言っているのかわからない。案の定、彼はくすくすと苦しそうな忍び笑いを洩らしている。
恥ずかしさと居たたまれなさをごまかすために何度か大きく咳払いをして、必死に居住まいを正した。きっちりと正座した流ノ介を見て、彼も腰を上げて座りなおす。
「その節は……いろいろと、お世話になりました。ありがとうございます」
畳に指をついて頭を下げる流ノ介に、彼は苦笑しながらもうなずき返した。
「こちらこそ」
「あなたがおられなければ……」
言葉をつづけようとすると、さっと手で制される。
「ともに戦う同志として、当然のことをしたまで」
それだけ言うと、彼は頭巾に手をやった。
「私ではお邪魔になりそうだ。他の者を呼びましょう……」
慇懃な言葉遣いとともに、布が再び下ろされる。顔が見えなくなったら、彼はもの言わぬ名もない黒子にもどってしまう。
思わず、その手をつかんでいた。
「!」
彼がかぶりかけた頭巾を剥ぎ取る。礼儀など気にしていられない。
前に倒れかけ長身に抱きかかえられるかたちになった小柄な男は、驚いた顔で呆然と見上げてきた。
「あんた……」
初めて出会ったあのときもこれほどの距離にいたのに、自分のことで精いっぱいで彼を見返る余裕などなかった。あの日からずっと、彼は見守ってくれていたというのに。自分は彼の存在すら気づけなかった。
彼がいなかったら、自分は二度も主を裏切っていたかもしれない。一度目は期待を、二度目は心を。侍としての池波流ノ介を支えてくれたのは、名も知らぬ黒子だった。そんな彼とも、今夜限りなのだ。
「ほんとうに……」
感極まって涙がにじむ。こみ上げる思いのままに、黒衣を抱きしめる。
「ほんとうに、お世話になりました……この気持ちを、どう表現していいのか……」
言葉を詰まらせる流ノ介の耳元に、低い囁きが聞こえた。
「どうすべきかじゃない。どうしたいかだろ、なあ?」
はっとして彼の顔を覗き込むと、その目はまっすぐにこちらを見据えている。この顔を見るのはこれで最後かもしれない。この距離で触れ合える機会など、二度とないかもしれない。
おそるおそる、唇を重ねた。
彼が息を止めるのがわかる。流ノ介のほうはとっくに息をするのをやめていた。
「……………」
軽く押しつけてからそっと離れた。相手の顔は驚きに目を見開いていたが、流ノ介と目が合うとせわしなく視線を揺らし、うつむく。
ようやく呼吸することを思い出した流ノ介は、一気に理性がもどってくるのを自覚してパニックになった。
「あっ、あの! お気を悪くされたら申し訳ありません、ですから私はその、そんなつもりでは……」
「じゃあ、どんなつもりだ?」
苦笑した彼は、唇を舐めながら上目遣いに尋ねてきた。つい意識が向いてしまうその唇の感触が、まだ自分の唇にも残っていて、興奮のあまり鳥肌が立ちそうになる。
「どんな、つもり……」
明確な意図があるわけではない。あるのは、ただ彼と別れるのが苦しいという感情だけ。それをどう処理したらいいのかもわからない。
「あんたはほんとにクソ真面目だな。要領が悪いというか……」
長い腕を払いのけもせず、黒衣の男は静かに笑っている。
流ノ介はもう一度、男を抱きしめた。
「そうなのです、要領が悪くてちっとも片づかない。朝まで……おつき合い願えませんか」
黒子が再び息をのむ。
「あんたって人は……」
やがて洩れた呟きとともに、力強い手が細い背中にまわされた。

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