セイバー文まとめ

「深罪の三重奏」の設定にふわっと触れています。再会する二人。ビタースウィートです(?)

ワードパレット《at parting》6【大切な大嘘】「笑顔で見送る」「手紙」「言えない」

  *

新しく手にしたワンダーライドブックを眺め、幾度も考える。
彼女の言葉もこの本も難解すぎて、全景が見通せない。
近所の本屋には、神山飛羽真の新刊が積まれていた。この世界に神山飛羽真はまちがいなく存在するが、賢人と親しかったあの彼のままなのか。神山飛羽真の人生に、富加宮賢人は存在しているのか。
確証が得られず、悶々と数日が過ぎる。
意を決して、自宅から近くはないその本屋へ向かった。コートの中のワンダーライドブックを握りしめながら。
調べたかぎりでは自分の記憶にある場所から移転していて、だから全く別の店の可能性もある。その可能性を常に考えながら、住宅街の中にある店へ辿りついた。
店名こそ全く同じだが、外観も内観も大きくイメージが変わっていて、それだけで賢人の心を不安で締めつけてくる。
客がいない時間帯なのか、来客を察して店主が奥から「いらっしゃい」と出てきた。
ずいぶん雰囲気が変わっているが、神山飛羽真にはちがいない。
飛羽真は客の顔を認めるなり、はっと足を止める。
「賢……」
名を呼びかけて飲み込んだようだった。
永遠にも思える数秒間、二人は笑みをこぼすことも泣き出すこともなくただ見つめ合っていた。気の利いた言葉どころか、挨拶さえ言えない。
神山飛羽真は、富加宮賢人を覚えている。無邪気に戯れた幼い時代も、死線をかいくぐって得た仲間と力も。お互いへの感情も。
その事実に動揺した賢人は、ポケットから手を抜いた拍子にワンダーライドブックを落とした。
「!」
拾い上げ、逃げるように店を飛び出す。
しかし飛羽真は追ってこなかった。知らない店を見やり、賢人は苦い思いを胸にその町をあとにした。
それほどに罪深い再会だという覚悟がなかった己を、悔やみながら。

  *

どうにもならないわだかまりを抱えたまま、日々は無情に過ぎていく。
その日は夕方に切れた集中力を戻せず、仕方なく郵便物の整理を始めた。
先週編集部から渡された富加宮賢人宛の手紙や書類で、開封前にざっくりと仕分けをする。疲れたときにはちょうどいい作業だ。
飾り気のない封筒が混じっていて、なにか事務的な内容かと思いながら差出人を見た。
「!」
神山飛羽真。見慣れた字だ。
あわてて消印を確認すると、半月ほど前……賢人が店を訪ねた翌日に投函されていた。
仕分け作業を投げ出し、震える手でその手紙を開く。
「なんで……」
二度読み返し、その手紙だけをポケットに突っ込んで部屋を出た。
それからどうやって目的地に辿りついたのか、ほとんど覚えていない。

「かみやま」のドアには、Closedのパネルがかかっている。営業が終わったばかりらしい。それでもかまわずにドアを開けて叫んだ。
「飛羽真っ!」
奥から、片づけをしていたらしい飛羽真が急いだ様子で出てくる。
「びっくりした、どうしたのさ」
駆け寄って手を握った。自分と同じくらいの大きさの、握りやすくて温かい手だった。
「ごめん、手紙読むの遅くなって……」
驚いて目を丸くしていた飛羽真は、ふっと笑って賢人の手を優しく振りほどく。
「ファンレターは届くのに時間がかかるもんだよ。今、店を閉めるから」
「あ、ああ……」
勢い込んで駆けつけたはいいものの、全く変わらない雰囲気の相手に軽くいなされて、立ちつくすしかない。
見るともなしに店内を見やると、自分が手がけた古典の新訳シリーズが並んでいた。
賢人が「小説家・神山飛羽真」を見つめていたのと同じ視線が、相手からも向けられていたことを知った。

「今日は冷えるね」
他人行儀な世間話とともに出されたのは、熱いココアだった。自分も湯気の立つカップを置いて、飛羽真はソファに腰を下ろす。
賢人は砂糖控えめ、飛羽真はミルク多め。昔と変わらない。
「……なんだ、あの手紙」
つい詰問口調になるのを忌々しく思いながら、話を切り出す。
「なにって?」
「時候の挨拶から始まって、俺の訳書をさっぱりと褒めて、最後によければご来店くださいって……」
まるでよくできた営業だ。そして今の彼のように他人行儀だ。どのようにでも受け取れるように、慎重で小賢しい。
「編集部の人も見るかもしれないだろう? ラブレターってわけにはいかないよ」
妙なところで世の中を「わきまえている」言い分は、若いころから変わっていない。少なくとも今はそう見えるが、しかし……。
「賢人の世界にはもう俺がいないのかもしれない、って思ったら、たやすく声をかけたり会いにいったりなんてできなくてさ。賢人が別のだれかと幸せになったのなら、笑顔で見送るのがいちばんいい。
でもこの前、賢人が店に来てくれて……ライドブックもまだ持ってて。もしかしたらっていう気持ちで、手紙を送ったんだ」
逃げた賢人を追ってこなかった飛羽真。こちらは絶望的な気分だったが、彼はそこに希望を見いだした。
彼はどんな状況にも活路を見つける。それなのにこちらは相変わらず……
「ごめん……飛羽真、ごめん……」
耐えきれなくて、顔を覆った。飛羽真がうろたえるのがわかる。
「いいんだよ、手紙の時差は折り込み済みだったから」
「そうじゃない、俺は……」
罪を犯した。
「たしかに……俺はおまえ以外の相手を愛した。でも、どういうわけかずっと不安だったんだ。いくら彼女を愛しても、足りない気がしていた。疑ったり、妬んだり……彼女への想いで苦しかった」
その苦しみこそが、彼女をなによりも愛している証だと、自らに思い込ませて生きてきた。
「彼女が消えて、飛羽真のことを思い出したとき、やっと満たされた気がした。
でもそれってひどいじゃないか……彼女との時間が無駄だったなんて、彼女がおまえの代わりだったなんて、思いたくなくて……」
無意識にでもそういう行動をしていた自分が、どうしても許せない。
飛羽真に再会した瞬間、その全てを自覚してしまった。罪を重ねた年月。罪人に許されるはずもない恩赦。
とても顔向けできないと錯乱し、彼の前から無様に逃げ出した。そして今また、無様な懺悔をしている。
「ねえ賢人……」
飛羽真は手を温めるようにカップを両手で持つ。
「俺も、賢人が思うほどきれいに歳を重ねてない。罪も後悔もあるよ。人に言えないようなことも、たくさん」
カップをかたむける彼は、かつてのように魅せる装いではなかった。洗練されてはいるが、人にまぎれて見失いそうなほど控えめで、それが年齢のせいだけでないことは雰囲気から知れる。
「愛される資格がないなんて言うなよ」
飛羽真はゆっくり首を振ってカップを置く。
「愛されてるよ、俺は……みんなに」
笑顔のまま唇を震わせて、飛羽真は賢人の肩を掴む。弱々しくて傷つきやすい、よく知った顔が見えた。
「でも、やっぱり足りないことに気づいちゃったな……」
赤くなった眦に思わず手を伸ばす。それがトリガーだったかのように、飛羽真は静かに涙をあふれさせた。
「賢人の罪は、きっと俺の罪だ」
そう言って、飛羽真は唇を重ねてきた。
埋められない空白を、今この距離だけでも埋めるかのように、二人は暫しその時間を貪る。
ココア味の残ったキスは、ひどく甘かった。自分がそう感じたということは……。
「……ほろ苦いね」
飛羽真はそう呟いて、賢人の肩に顔をうずめた。

  *

解釈は無限ってことで!何卒!