ゼロワン文まとめ

二人目の父親

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そのヒューマギアの起動には、大小のリスクが伴う。
検討を重ねた結果、与多垣は自ら……というよりはたった一人で、迅の再起動に立ち会うことになった。
外装は新品同然になった迅は、機材や配線も取り外されその身ひとつで横たえられている。簡素な入院着のような服以外は、外部メモリのイヤーカフのみ。回収前の汚らしい衣装や装身具は全て処分された。
ロード中の数分間、与多垣は微動だにせず彼を見つめていた。このヒューマギアが使えるかどうかで、今後の「戦局」が大きく変わるのだ。いや、なんとしても使いこなさなければならない。それが自分の仕事だ。
まぶたが開き、ぐるりと動いた目が与多垣を捉える。
「だれ……」
そう言いかけた彼の瞳孔がわずかに動く。復元時に追加された情報を探し出すのに、一秒もかからないはずだ。
「与多垣ウィリアムソン……」
顔認証から目の前の男のプロフィールを改めて認識した彼は、呆けた顔で起き上がって今度は室内を見渡す。
「ここがぼくを復元した、ZAIAの研究所?」
「そうだ」
与多垣は深く息を吐き出し、傍らの機材に寄りかかった。まずは第一歩。あとは適正なラーニングを……
「じゃあ、あなたが今のぼくの『お父さん』?」
思いもよらない言葉に面食らうが、彼のパーソナリティの初期値が幼児同然だったことを思えば妥当な理解といえなくもない。彼の復元とラーニングに責任者として最も深く関わっている自分を「親」と表現しただけだろう。
「……広義にはそうとも表現できるな」
そう答えると、彼はぱっと笑顔を見せ、台から飛び降りてこちらに駆け寄ってきた。
「お父さん!」
正面から抱きつかれ、困惑のあまり思わず固まってしまう。
なんだこれは。
比喩でもなんでもなく、親子としての抱擁が求められているのか。
逡巡のあげく、子供のいない与多垣は乏しい知識を総動員して、なんとか彼を抱き寄せるという動作までこぎつけた。背丈はほとんど変わらない相手を、幼い子供と思い込むのはなかなかに難しい。
ラーニングは失敗、というおそろしい仮定が頭をよぎる。
回収前の迅がラーニングしたデータを消さずに、ZAIAの道具として使えるよう新たなデータを追加したはずだったが、書き込みが完全でなかったのだろうか。
「ふふ……」
迅はうれしそうに笑みを洩らしながら与多垣の広い肩に人工皮膚の頬をすり寄せた。その背をさすりながら、さてどうしたものかと考える。彼が求める父親を演じるべきか、それとも……
思考が中断させられたのは、迅が顔を覗き込んできたからだった。それだけなら、ヒューマギアの無機質な眼球に見据えられたところで動じる理由もない。しかし彼は与多垣の頬に手を添え、唇を押し当ててきた。
「!?」
迅の乾いた唇は与多垣のそれをこじ開け、歯列を舌でなぞる。
ヒューマギアに使用されている冷却液や潤滑剤などは、人間が誤って摂取しても害のない無味無臭の素材が使われている。加えて人間らしい発声をするために口腔内の機能はほぼ人間の再現となっているのだが、こんな行為は通常想定されていない。
恐怖にも似た感覚で、与多垣は迅を突き飛ばした。
「なにをする!?」
彼はあっけにとられたという顔でこちらを見ていた。
「だって、ぼくの『お父さん』でしょ?」
まるで、それが当然だと言わんばかりの顔で。
予期せぬ非常事態だ。まずは強制停止すべきか。いや、再検証のための情報が少なすぎる。
手で口元を拭いながら、おそるおそる尋ねた。
「おまえにとっての、父親とはなんだ?」
普通のヒューマギアなら、用途や状況に従っていくつかのフォーマットで返答するはずだ。だが迅は、子供の笑顔で答えた。
「ぼくを作った人、そしてぼくを愛してくれる人。ぼくはお父さんの言うことはなんでも聞くよ」
はっと思い当たる。彼を作りラーニングさせたのは、人間ではなくヒューマギアだ。
「滅は……おまえに、なにを教えた?」
愛してくれる。それはどんな表現だった?
なんでも聞く。その要求はなんだった?
人間の悪意をラーニングしたヒューマギアは、自分の道具となる「息子」に、なにを教え込んだ?
迅は無邪気に微笑んだ。
「この世界の全てを。ぼくたちヒューマギアの存在意義、使命……」
そして先ほど与多垣に触れた舌をちらりと覗かせる。
「人間の親子ではできないセックス」
「……!」
失敗などではない。再起動は「正しく」完了している。
「生物学的な近親交配による先天性異常を恐れているなら、ぼくらにその心配はないよね。インセストタブーも成立しないもの」
シンギュラリティはまちがいなく起きていて、その特異性を破壊しないよう注意しながら付与したデータも正常に取り込んでいる。今の彼は父親の定義も社会的な禁忌も理解した上で、滅や与多垣を父と呼ぶのだ。
厄介な「教育」をしてくれたものだと、会ったことのないヒューマギアに腹の中で毒づく。本来は父親型であったはずのヒューマギアが、性交渉などという「無意味な」コミュニケーションをよりによって息子に求めるとは。個体そのものか、アークの一部にバグでも生じたとしか考えられない。
「わたしは滅ではない」
「でも、ぼくのお父さんだよね。ぼくを愛していないの?」
「愛だと……」
愛など。道具に抱くのはせいぜい愛着だ。
だが、この「道具」……AIが作り出し独自にラーニングを重ねた彼のプログラムは、どんな技術者でも手が出せないブラックボックスと成り果てた。迂闊に手を出そうとすれば貴重なデータを破壊することにもなりかねない。ZAIAが必要としているのは、シンギュラリティを超えた迅だ。再起動自体も相応のリスクは避けられない。
「……わかった、わたしはおまえを愛する父親だ」
迅は「父親の指示には必ず従う」。彼自身が宣言したルールは、人間の口約束とちがって絶対だ。であるならそのルールに合わせてやれば、彼を危険な改造なしで操作することができる。
あとは、「親子」の関係性を上書きする必要がある。それは迅と自分の個人的な関係として解消すればいい。
「生物学的には問題ないかもしれないが、倫理的に息子を性のはけ口とすることをわたしは好まない。滅とちがって……」
「ちがうよ。滅を求めたのはぼくだ。ぼくが滅と繋がりたいと思ったから、滅は応えてくれたんだ」
「なに……」
ヒューマギアと会話をしていて論旨がずれていくことなど、昨今めったにない。混乱した与多垣は、つい自分も見当はずれな答えを返してしまう。
「しかし、おまえに交接器官は備わっていないだろう。人間のわたしとどうやって愛し合う気だ?」
またしてもきょとんとした迅は、すぐにおかしそうに笑い出した。
「ZAIAは性産業用AIも手がけてるんじゃなかった? ああ、だから専用筐体でしかできないと思ってるのか」
性産業は飛電インテリジェンスが手を出さない領域だが、需要は世界中にある。ただしあくまで「人が満たされるための」道具にすぎない。ヒューマギアのための性玩具など存在しない。
しかし迅の言葉はその前提をあっさり覆していく。
「ぼくたち自身が快楽を得るのに、指一本だって動かす必要はないんだよ。『意識を繋げる』だけでいいんだ。でも滅は、舌の先に接続デバイスをつけてくれた。コード接続よりダイレクトに繋がれる。すっごく気持ちよくて、愛し合ってる実感があって、滅のためならなんだってしようって気分になる……」
先ほどの口づけはそのせいか。損傷の激しいボディは交換したが、記憶にはその行為に対する指向性が残っているのだ。
「でもあなたはちがうね。ぼくと繋がるためのオプションデバイスが必要かな。たとえば……」
彼が滅との行為を語りながら指折り数えて挙げる玩具の例に、血の気が引く。これでは、どちらが「道具」かわからない。
「ねえ……『お父さん』。あなたはぼくを愛してくれる?」
馬鹿げている。セックスを望む機械人形を息子と呼んで愛せなどと。
個人的にヒューマギアを性玩具とする趣味はないものの、需要は理解している。しかし自分が置かれた立場は「ヒューマギアが求める性玩具としての人間」だ。こんな「非人間的」な仕事はあの低脳な天津垓にでも押しつけてやりたいところだが、その天津のせいでこんな事態になっているのではなかったか……
さまざまな感情と思考を飲み込んだ与多垣は、眼鏡を外して精いっぱいの微笑を浮かべた。
「……ああ。おまえはわたしの息子だ、迅」
手を伸べれば、彼は再び喜色満面で飛びついてくる。
「おまえの能力を見込んで、頼みたいことがある」
「うん、なんでも聞くよ」
恐怖と違和感を押さえつけ、彼の接触を歓迎する……ようにふるまう。
今度は拒まずに受け入れた口づけは、たしかに人間と感触は変わらず、強いていうならば「匂い」が不自然なほどにないだけだった。
ただ、特有の「熱」を感じる。人の体温とは異なる、機械的な発熱を。
与多垣は震える指先で、彼のイヤーカフを撫でていた。

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初めてのゼロワンSSです。(顔が)好きなキャラは或人と滅と亡です。

お客さまの中に与多垣ウィリアムソン萌えの方はいらっしゃいませんか!?っていうアナウンスです。
情報少なすぎて1000%捏造ですが。

与多垣さん、ホントはもっと出番多かったんじゃないかなって思うと残念で…
名前と服装以外は一番まともな人ですよね。ファーストネーム知りたい。