真田丸文まとめ2
【青い残像】
目を閉じると、赤がちらつく。
赤の戦装束に身を包み、だれが見ても文句のつけようがないほど凛々しく堂々と駆けていくさまを。
これが最後なのだとわかった。この先もう二度と、言葉どころか視線を交わすことさえ叶わないのだと。
目を開けた。
宵闇の黒が迫っていて、夕焼けの赤は山際へ追いやられようとしている。
「三十郎?」
「は……」
その声はあまりになじみ深くて、考えるより先にひざをついていた。だがここで彼の声など聞こえるわけがない。我に返りかけた三十郎は、顔を上げて己の目を疑う。
「源次郎さま!?」
暗がりから姿を見せたのは、別れた主だった。
怪我ひとつなく、返り血の一滴も浴びず、涼しげな青をまとって、ただそこに立っている。
「なにゆえ……」
彼は敵陣に、戦場にいたはずだ。たしかに馬上からこちらを見下ろしていた。それがなぜ、このような場所にいるのか。いかな身内といえど、敵軍の将として突き出されるのはわかっているはず。信吉をいたずらに悩ませるような真似を彼がするはずはない。
だが源次郎は眉間にしわを寄せ、首をひねっただけだった。
「こっちが訊きたい。なぜわたしはここにいるのだ。というよりなぜおまえがいる」
「さあ……」
心から解せないといった様子で、怪訝そうに三十郎を見やる。その態度には再会の感動も感慨もなにもない。
「他に行くべきところがあったはずだが……」
あいかわらず生真面目に考え込んでいる源次郎を呆然と眺めているうち、なんだか無性におかしくなってきた。
こらえきれずに噴き出す三十郎に、源次郎はいよいよ不審な目を向ける。
「おまえ、なにか知っているのか」
詰るような口調も耳慣れたものだ。なつかしさを覚えながら、山の向こうを指さす。
「源次郎さま、上田はあちらの方角でございますよ。久しくお帰りになっていないから、お忘れになったのではありませんか」
「そうか……そうかもしれぬ」
示された方向を見つめ、彼は真顔で呟いた。
「まったく……源次郎さまは肝心なところで詰めが甘いというか……わたくしの目が届かないところではなにかと心許ないですなあ」
「何様だおまえは」
宵闇は深くなり、源次郎の姿はもうほとんど見えなくなってきていた。だが勇ましい赤よりも穏やかな青のほうがやはり源次郎には相応しい。だから、彼はその姿でここにいる。
彼は常のように、足音どころか衣擦れの音さえ立てずこちらに歩み寄ってきた。
「三十郎」
両の手が三十郎の頬に触れ、軽く叩いていく。
「手違いでも、会えてうれしかったぞ」
「……!」
三十郎は控えるのも忘れて手を伸ばす。
「お一人では道中難儀でございましょう、三十郎がお供いたします……」
叫びながら立ち上がったときにはすでに源次郎の姿はどこにもなく、ただ静かな笑い声が耳に残るのみだった。
どれほどその場に立ちつくしていたのか。
陣のほうから荒々しく甲冑を鳴らして歩いてくる音が聞こえた。
この忙しない歩き方は信政だ。体躯のわりに落ちつきがないのはいつものことだが、今はさらにあわてているようだった。気づけば日は沈んでいる。早く戻らねばと思ったところに、信政が勢い込んでやってきた。
「真田左衛門佐が、先ほど……」
三十郎はふり返った。何事かをまくし立てようとしていた信政がぎょっとした顔で言葉を切る。三十郎がうれしそうに笑っていたからか。それとも、その目から止め処なく涙を流していたせいか。
顔を拭いもせず笑いながら、三十郎は夜に塗りつぶされた闇を見やった。
「……知っておる」
彼はつい先ほど、上田へ帰ったのだ。
*
源次郎って三十郎にお別れは言いにこないだろうから、おやかたさまのところか実家に行く途中でまちがって寄るくらいかなって。