真夏日記2025。

日記GQuuuuuuX,LAZARUSラザロ,九龍城寨之圍城

たまには日記を書いておいたりしようと思うんですが(ライフログ的な意味で)、今「暑い」以外のことあんまり考えられてないですからね……暑いです。
家にいると縦になっていられないので、涼しい場所に避難してぼんやりポメラを開くことが増えました。外食費という名のショバ代が嵩む~。
料理しない仲間の友人が「UberEats代がえらいことに」って言ってて、そういやUberは使ったことないなと思いつつ。出前と外食、どっちが高いのか……

以下、そういう種類の日記。
最近観た作品とか二次創作とかの話もちょっと。
テキストを書きながらだと、テキストを書くことについて考えがちです。

とりとめもなく長いので、まず水分補給を促しておきます。
この記事を読みはじめる前になんか飲んでください。


観測史上最も暑い7月だったそうです。
東北地方では最も雨が降らない7月でした。東北って絶対に水不足にならないと思ってたんですよ。もうそれも昔の話か。宮城の鳴子ダムは貯水率0%だそうです。0%は聞いたことない。
エアコンとサーキュレーターとの適切な距離感がわからなくて、寝不足気味です。毎朝だるい。あと一か月以上つづくのかと思うと……生き延びられるかな。
日本の中では過ごしやすいと思っていた仙台でさえ、たまに36℃台になったりする(普段は32℃くらい)。まあ北海道が40℃とかなのでもう何も信じられませんけどね。
10年後くらいには「酷暑」の上ができてるんじゃないかな。「騰暑」とか。

それも地球全体の温暖期とかのリズムじゃなく、人間による環境破壊による温暖化だという話で。
SFというかディストピアというかポストアポカリプスに突っ込んでいますね。もうフィクションが追いつかない。


二次創作の筋トレのため、オリジナルの小説を書いて10年以上になるんですけれども。

だんだん現実との落差が大きくなってきて「調整(ごまかし)」が効かなくなっている感じがしています。
現代日本における「夏の暑い日」をどのくらいの気温感に設定するかで、「今」か「20年前」か「40年前」かが限定されるな、と思った時点で手が止まってしまったんですよね。ましてや「20年後」なんて。

コロナ禍によって、リアルとフィクションが乖離していくのをはっきり感じました。
外に出ちゃいけないとか人に会えないとかマスク&消毒必須とか、それまでの日常になかったから、フィクションにで急に導入できなかった。導入すると「時事ネタ」になっちゃうから。それまでの描写と整合性を取るために、「コロナ禍がなかった現代という設定」で進めなければならなかった。
でもそのもっと前から、あの大災害がなかった世界、あの経済恐慌が起こらなかった世界、あの戦争が起こらなかった世界……と、常に現実を取捨選択してフィクションを書いているんですよね。
自分の芸風もあるんだろうけど、そのへんがもう整合性つかなくなってきちゃった。

地球温暖化は進んでいるし、戦争は起きているし、物価は高くなる一方だし、SNSは総意ではないけれど民意の一部になっているし、万人が見ているメディアはもうないし、いろんなインフラが機能しづらくなっているし……
20世紀にはあたりまえに享受していた諸々がなくなって、ネットワーク接続前提の世界で、余計な「調整」をせずに創作するには、ものすごくミクロな範囲の「今」を切り取るくらいしかできない。
来年読んだら、「ああ去年ね~」って苦笑しちゃうくらいの。

こんなややこしいことを考えなきゃいけないなら、そりゃみんな異世界に行くわ……転生してゼロからやりなおすわ……。昨今の異世界転生ブームも納得です。現代日本では整合性がつけられないし、続くほどに現実から取り残されていくし。
田舎のTSUTAYA行ったら、壁一面(棚7本くらい)「異世界転生コミック」でびっくりした。集英社や講談社があって、青年マンガや少女マンガの棚もあって、その先に異世界転生。

そろそろ異世界転生を真剣に考えるべきか……


二次創作でも「現パロ」って難しいと思いませんか。
他パロディは知識がないからできないくらいの理由なんですが、シビアな時代や世界から現代に持ってきたとして、「平和に楽しく」できないんですよね。現代、そんなに楽しく描けないな……って思っちゃうから。
あと自分が学校嫌いだから(今も!)「学パロ」はやらないんですけど、そうでなくても今の小中高がどういう日常かなんて、制度自体がかなり違うから想像できない。自分の知識なんてすごくミクロな「あの時あの場所」でしか通用しないノスタルジーなんですよね。
ポケベルとルーズソックス全盛期の高校時代でしたが、自分は興味なかったのでどちらも実態はよくわかりません。

「リーマン」も自分ではできない……スーツ好きだけど。
いわゆる「普通のサラリーマン」でも、都内か郊外か首都圏か地方かどの職種かでぜんぜん性質や生活スタイルが違うんだよな~という部分に思いが至ってしまうと、迂闊に設定できません。
物価も地域差あるから、結局チェーン店価格になっちゃう。それも明日値上げされちゃうかもしれない。
そして世の中の価値観も牛丼の値上げ感覚で変わっていくので、アップデートが追いついていないと「今の時代にこんなこと書いてる」と思われてしまいます。そこで作品自体が拒絶されることも往々にしてあるので。

実際、5年以上前に書いた自作は、よく注意書きもなしにこんなセンシティブな描写してたなあとか、無意識の思い込みや偏見が透けて見える描写だなあとか、反省が先に立ちます。
10年も前のだと、売り物にするのもどうかなあってレベル。売ってるけど……

同人誌にしろプロにしろ、他の作家さんはそういうのないのかなあ。
コピー本だって世に出しちゃったらもう戻せないわけで、自分の実力ではなく考え方が恥ずかしいわーってこと、ないのかなあ。
私が勉強不足なだけなのかなあ。


それでちょっといろいろ考えさせられたのが『ラザロ』です。
なんか……堂々としすぎてて。
わざと時代遅れのことをやってるのか、無意識なのかが、最後までわからなかった。
レトロガジェットやマシンは「趣味」でいいと思うんですけど。
ストーリー展開も、00年代だったら新しくておもしろかったかもしれないけど、20年代の時代感からはズレてるかもしれないな?と気が散ったところはありました。
2052年設定なのに、人種やジェンダーの描写が古くさいという指摘もあり、それに関しては正直、同時期の『GQuuuuuuX』のほうがちゃんとアップデートできてたなあという感覚はある。

ガンダム自体が、70年代から「白人男性主体の西洋文化」へのカウンター的な要素があったらしいと今回初めて気づいたんですよね。ガンダムほとんど知らないけど、たぶんずっと「有色人種の活躍」「女性の社会進出」を裏に一本通してるんじゃないかな。
自分が生まれる前にそういう思想の作品が作られてたことにも、それなのにガンダムファンはその文脈を拾わずにむしろ「男性的な嗜好」になっていった現実にも慄いた。46年も経って。オタクなのに。
ガンダムファンの誰も教えてくれなかった笑

『ラザロ』が提示したものって、今という時代感で見ると、本当にケチな範囲なんです。
環境破壊・人種差別・性差別、アウトローの悲哀……かっこいいアクションもメカも政治も、全部ジークアクスに入ってるから。向こうに「カラーのガンダム」という大看板はあったにせよ、あまりにも分が悪かった。比較したらおもしろくないし必要もない。

でも、そういうケチくさい範囲の作品ってあっていいと思うんですよ。
そうじゃないと私が小説書いてる意味もなくなっちゃうから。

昔の肌感覚や価値観を引きずってる自覚はあって、そこを掘り下げていくと「時代に合わない内容の小説なんか書かないほうがいいんじゃない?」って思うことも増えてきました。本当に、書けば書くほど「必要ない実感」が出てくる。
でもそうじゃないんだよなあ。ナベシンはああいうアニメを作りたくて、私はこういう小説を書きたいんだから。なんとか世間様と折り合いつけて、世に出していきたいんだから。

私が小説を書きつづけるために、『ラザロ』みたいな作品って必要なんだなと思いました。


『鬼滅の刃』が大ヒット上映中です。
日本の映画館って、年に一度のコナンと四年に一度の鬼滅でなんとか生きながらえているそうです。がんばれ。

でまあ、テレビで過去の劇場版とテレビ総集編かな?をやってて、なんとなくスマホいじりながら音だけ聞いてたんですけど。
全部言うじゃん。セリフで。

今、この場がどういう状況で、自分がどういう心情で、受けた傷はどのくらいで、相手のダメージはどのくらいで、今だれがどこにいて、そこから何をする必要があって……っていうのを、全部言ってる。画面見なくても展開がわかる。
……オーディブル?

アニメーションもすごいし、声優さんの演技もすごいんですが、とにかく全部説明しちゃうので、情報が重複してる。
深手を負わされて死にそうな表情で、深手を負わされて死にそうな声を出してるのに、モノローグ(もしくは誰かのセリフ)で「深手を負わされて死にそう」って言っちゃうんだ……ってなった。
こちらが言語化する隙がない。行間がない。語り部ジェラミーだったら発狂するよ。

たしかに親切でわかりやすくて、大多数が求めていた表現なのかもしれないけど、「アニメーション」「マンガ」という表現に対する冒涜ではないのか、と極端な感想を持ってしまいました。
全部言葉で説明するなら、小説で事足りるのでは。

私は「絵で伝えられることはセリフにするな」側の人間だからさ……絵が上手くてもセリフが過剰なマンガは、プロっぽくないなと思ってしまう。編集者は何やってんだと。
ドラマも、ただ棒立ちで長ゼリフを言わされてるだけ聞かされてるだけのシーンは、もうちょっと演出のやり方があったんじゃないのって。脚本のせいかもしれないけど。

『ONE PIECE』が、途中から明らかに説明ゼリフ増えたなって時期があったんですよ。モブに「こいつ、弱そうに見えたのに強ぇぞ!」ってわかりきってることを叫ばせるような。
たぶん、尾田栄一郎は「はっきり言わないほうがかっこいい」と思ってるタイプだから笑、なんか編集部のほうでそういう方針になったんだと思う。
同じことが吾峠呼世晴にもあったんだろうなって思いました。

でもここまで説明しちゃうの、小説家じゃなくて漫画家にはけっこう屈辱じゃない……? あなたの絵だけじゃ読者に伝わらないって言われたようなもんだから。
いや、実際にマンガ読者の読解力なんてそんなに高くなくて、マニアに喜ばれる行間を作っても意味がないというのはわかる。
作家も編集者も関係企業も、ひとりでも多くの人に触れてもらって、少しでも楽しんでほしいと思ってる。あとそれで売れたらいいなと思ってる。
わかってるけど、悔しかったんじゃないかなあ……

ミセスグリーンアップルのファン、個人的には村上春樹ファンくらい、会ったことない「不可視領域の存在」なんですけど。
私もヒット後しか知らないので今ひとつ良さがわからないんですけど。
「デビュー時のミセスが好きで、ずっと売れてほしかった。でもこういう方向じゃなかった……」と嘆いている元ファンの呟きを見かけ、吾峠呼世晴のファンにもいるかもしれないと思ったのです。
ミセスが路線変更して大ヒットしたのは私でも知ってる話で。大衆に迎合しても売れるとは限らないけど、一度売れた路線は勝ち筋だから、もう元には戻せないんだよね。
まあ「昔からのファン」が多ければ、今のミセスは存在しないんだけども。

鬼滅の刃が日本経済を潤しているのは間違いなくて、それが全てという話もある。
でもなんか勝手に切なくなっちゃうなあ……とチャンネルを変えながら思ったのでした。
ヒットするだけのおもしろさや深さがあるんだと思う。たくさんの人の技術でそれを届けているんだと思う。
でも全部をセリフで説明しちゃう映像作品は、私向けじゃない。


まあ「not for me」ってことなんですけど。
べつに許せないとかクオリティがとかじゃなくて、その作品を必要とする層は確実に存在するけれども私には向いていない、程度の。

Eテレ大好き民なんですが、気に入らない番組もけっこうあって。
『はなかっぱ』は、なんか裏側に笑えない底意地の悪さを感じて、私はチャンネル変えるくらい好きじゃない。でも弟家族はわりと好き。お花の名前が覚えられるからだそうです。
なにせ地上波公共放送だから、だれかはその番組が好きで、必要としてるんだな。

今期始まった『ウェイキーショー』は、以前やってた『シャキーン!!』にテイストが似てますね。
朝にむりやり音とテンションで起こしてくれる番組は必要だと思うけど、私は朝から元気系アートを浴びたいタイプではないので、ちょっと遠巻きにしている……番組自体の評価はこの一年で決まると思うからがんばれ。

どんなに流行りでも勧められても周囲の誰かが狂ってても、この「not for me」感覚って、ある種の指針になると思っていて……そのときの体調とか気分もあるし。
無理を押して観ちゃうと、合わない理由を言語化したくなるのもよくない。


自分がわりと作品の余韻に引きずられがちなのもあって、近年はシビア・ハード・ゴア・無駄に長い作品は、慎重に避けています。あと「女子供」が酷い目に遭う話を避けがち。フィクションに影響されても許容できる体力があんまりなくて……
吉沢亮は好きだけど、『国宝』はどう考えても苦しそうだから観てない。女形の苦しみってその先に女性の苦しみがあるわけで、そういうの今はちょっと、受容体が用意できない。
『ババンババンバンバンパイア』は観た。楽しかった。吉沢亮だろうが阿部寛だろうが、日本の銭湯に裸でぶち込んでおもしろくならない映像はないんだなと思った。

トワイライト・ウォリアーズは、久しぶりに観る香港映画としてはおもしろかったけど、3回目で「長いな」と思ったし、キャストやスタッフを追って他の映画を観るまではいかなかった。
もちろん人気もわかる作品なんだけど、80年代って自分にとっては「古き良き世界」ではないんだよねえ。ギャング物もべつに好きではないし。
そういう舞台装置そのものへの忌避感みたいのはある。
あと実際に二次創作をやってみると、現代目線とのすり合わせが難しい。コンプラとか立ち位置とか、当時の現地感覚vs現代のグローバルな価値観で折り合いをつける作業が発生するんだよね、っていうのは洋画全般そうなんだけど。


首都圏住みの友人で二人ほど「同じ映画を何度も劇場で観る」タイプがいて、まあ立地もあるとはいえ、10回とか30回とか異常な回数で。配信されたら家でも回してるそうなので、劇場とか関係ないみたい。

私は短期間に5回も観たらどんな名作も厭きちゃうなあ、といつも思います。もしくは、作品というより劇場での鑑賞という体験を楽しんでいるのかもしれない。劇場を日常にしたくない派。

本やマンガは、手の中にあると弄ぶ感じで何度もページをめくって読み返してしまうんだけど。
自作を「何度も読み返している」と言われると、やめてえええってなる笑
ファーストインパクトでぶつかっていって「うわーっそうかー!」って思わせることだけを考えているので、何度も読み返されると効果がなくなりそうで怖い。


最初のほうで、「筋トレのために小説を書いてる」と言った。
でもけっこう自分のアイデンティティと直結してるのかも、小説書き。

小説で主張したいこととか、表現したいものとか、今はとくにないかも。
まあ今までもなかった気がするけど。
書くのは楽し(くない非常事態もあるが概ね楽し)いけど、仕事にしたら書きたくないことも書かなきゃいけなくなるだろうとも思っています。書くこと自体を楽しんでいきたい。
前は、ちゃんと訴求層を設定しなきゃとかこういうサービスはしなきゃとかいろいろ考えてたけど、誰に頼まれて書いてるわけでもないから、縛りはないんですよね。
周りが上手い人ばっかりでちょっと気負ってたのもある。

先日ファイルの検索中に、20年以上前のSSを読む機会に恵まれ(死ぬ思いをし)たのですが。
ちゃんとヘタだった。
価値観とか以前に、文章自体がちゃんと20年ぶん成長してることがわかった。
よかった、です……っ(苦悶)

でも実は、上手く書けてる必要もないんだよね。
どこかの時点で小手先の技巧に走りすぎていたのかもしれない、と今は思っています。
巧拙関係なく、私のテキストは中身のほうにクセがあって読む人を選ぶし、アップデート途中の問題もいくつかあるし、それほど広く読まれるものではない。
「美味しいものを作ってさえいれば、みんな自然と食べにきてくれる」わけではない、の理論。
好き嫌いやアレルギーはどうしようもないもの。


そして「母数」という現実にぶち当たったりするわけで……

ジークアクス、感想はもちろん自分の中にあるんだけども。それをそのまま言葉にすると、シャアシャリSSになるんじゃないか、とも思うんだけども。
たぶん、だれかがどこかで書いてるから……目新しい視点でもないし、現時点でかなり出遅れてるし、ガンダム素人の自分より深い知識で書いてる人がいるだろうし、そのほうがシャアとシャリアである必然性も高いだろうし……
世界規模の母数の多さに、圧倒されている状態です。

ただ、「他人の作品を読んで満足」というのとは少し違う。
自分が読み専のときって「解釈がない状態」なんですよね。だからいろんな人の解釈を受け入れて楽しめる。
ブレイバーンみたいに、公式以外の解釈は存在しない!って場合もありますけど。それはそれで安心できますけど。二次創作が不要な世界。
でも自分の中に解釈が生まれると、他の解釈は参考程度で受け入れてはいない、という状態になります。それを黙って抱えていられないから、二次創作をやってるんじゃないかな。
……やっぱ感想でも書いたほうがいいのか。

一方、ラザロのアクセル/ダグ(リバ)については、自分が書かないと世界に存在しないぞ、と思っています。でも、自分以外にいないんじゃないか、とも思います。
これはもう解釈とか言ってる場合ではなくて、新規にコミュニティを立ち上げる気持ちでいかないといけない、本当は。
でもBLだしさ……リバだしさ……ざっと見た感じ、男性向けエロと男女カプと夢が多いし、もしや誰にも望まれていないのでは?と気づいてしまうと、ちょっと揺らぎますよね。意味とか、価値とか。

読まれない作品を書いていても平気な時期はあったけど、近くにつき合ってくれる友人がいたからなんでしょう。「内輪での盛り上がり」は、母数の大きさに匹敵するエネルギーです。
今はその「内輪」がない状態だから、なんか壁打ち感が強いんだと思う。
書きかけのネタはまだ数本あって、全部書けたらいいけど、モチベーションが続くかわからない。結局ずっと同じことしか書けないし。


でも、作品を知らない人にイラストだけ描いてもらうとかは違うんですよ、そういうのはダメなんですよ。
それこそ古いかもしれないけど、二次創作においてそこは通したい筋なんですよ。
元ネタを知らずに二次創作やネットミームだけを享受するのはなんか違うという気持ちがあります。

私はポケモンをほぼ通っていないという理由で、ポケモン関係の商品を買ったりプレゼントしたりするのに抵抗があります。相手が好きなキャラクターまでわかってたらいいけど。漠然と「かわいいから」「子供用だから」でポケモンを選べない。
ちいかわも、自分だったら原作コミックを揃えるかアニメを観てるかしてないとグッズなんか買えないと思う。でも大多数の人はそれが平気なんだよね……

自分は平成ライダーオタクだから、昭和ライダーの何かをもらってもあまり嬉しくないし、戦隊でも自分が観てない作品はスルーしちゃう。ウルトラマンは、ブレーザー以外は見分けがつかないものとして認識してる。
「既知」と「未知」を明確に分けてしまうの、我ながらめんどくさいと思ってはいるけど、こればっかりは性分だから……

そういう拘りもよくないのかな、と考えはじめるとまたぐるぐるしてしまいますね。


さて、ここまで読んでくださってありがとうございました。
8000字くらいになりましたが、おしゃべりの行く先が見えなくなったので、そろそろ切り上げて新規ファイルを作成しようと思います。

とりあえずなんか飲んでください。あと目を休めてください。ストレッチもしてください。安全に夏を乗り切りましょう。