【SS】戦兎と石動(ビルド)
SSマラソン①、ワードパレット2本。何もしてないのと、何かしようとしてるの。
※11/3、1本追加。
戦兎と石動。新世界。
16.【火星】「歩道橋」「幻」「陽炎」
*
ちょっとそこまでの買い出しだからと、軽い気持ちで炎天下に出かけたら一瞬で汗だくになった。
エプロンはともかく帽子があってよかったと思いながら、傾いた紙袋を抱えなおす。
回り道になる横断歩道よりも、目の前の歩道橋を上ったほうが楽だろうと思ったのは完全にまちがいだった。もう若くない上に運動不足も甚だしい体には、思った以上にきつい。
「ふーっ、あっちぃ……」
上りきったところに繁った街路樹の影が差していて、少しのあいだそこで休むことにする。
袋の中からペットボトルを取り出し、ひとまず喉を潤した。
歩道橋の反対側を見やるが、陽炎が揺らめきアスファルトが嫌というほど熱せられているのがよくわかる。正直、この木陰から足を踏み出したくない。
「……暑いね」
人などいないと思っていたところにいきなり話しかけられ、ぎょっとしてふり返った。
歩道橋の手すりに見知らぬ青年がもたれている。
「そうね……今日は今年一番の暑さらしいよ」
相手のフランクな口調に戸惑いつつ答え、もう一度水を飲む。横目で青年を見ると、髪は汗でひたいに張りつき、胸元をあおいで暑さに喘いでいた。彼も日陰を求めてきたのだろう。
あまり深く考えず、ペットボトルを差し出す。
「俺の飲みかけでよければ」
「ありがとう」
彼はためらいもせず受け取って口をつけた。
「生き返ったよ」
戻ってきたボトルを飲み干して、紙袋に突っ込む。青年もまだ木陰から動く様子はない。袖で汗を拭って日向を眺めている彼の横顔を、改めて見直した。
「きみ……うちの店に来たことある?」
「なんで?」
大きな目がこちらにまっすぐ向けられる。怪訝な顔ならまだわかるが、どこか他人事のように透明な表情だった。
「いや、会ったことあるような気がしたんだけど」
「ナンパならもうちょっとスマートにしてよ」
「俺、初対面の男の子をナンパするおじさんに見えてるわけ?」
彼は端正な顔に意地の悪い笑みを浮かべ、肩をすくめた。
「あんたになら、ナンパされてもいいなあって」
「……そりゃどーも」
返事に困りなからも、ここでそそくさと立ち去ってしまうのは名残惜しい気がした。ただ日差しの中に出ていきたくないだけといえばそうなのだが。
「しっかし、人間には暑すぎるなあ」
「火星みたい?」
脈絡もなく、不意に出てきた単語にぎくりとする。
だが彼に特別な意図はないだろう。文字どおり火の星、燃えている惑星だと思っただけにちがいない。
苦笑して、青年を見やった。
「たしかに地球からは燃えてるみたいに見えるけど、火星は寒いよ。地球よりも太陽から遠いしね。平均気温は氷点下何十度って世界だから、どっちかっていうと低温対策が……」
青年がじっとこちらを見つめていることに気づいて、口をつぐむ。暑さにやられているときに、見ず知らずの男の蘊蓄など聞いて楽しいはずがない。
だが彼は、真剣な表情を崩さず言う。
「行ったことあるみたい」
「……………」
かつてこの足でその星へ降り立ったのは昔の話、というほど古い記憶でもない。だがこんなところで息を切らしているカフェのマスターが、元宇宙飛行士であるなどという突飛な設定を、今ここで信じてもらおうとは思わなかった。
「まさか。ちょっと興味があるだけさ」
肩をすくめてみせてから、彼の動作がどこか自分に似ていると感じる。
「きみ、よかったらうちの店で涼んでいかない? すぐそこなんだ……」
荷物を抱えなおしてエプロンの店名を見せると、彼はくしゃりと相好を崩す。超然とした印象の青年が見せた無邪気な笑顔に、なぜか胸を締めつけられるような痛みを覚えた。
「すごく魅力的なんだけど、友達と落ち合う約束があってさ」
言いながら彼は手すりに寄りかかっていた身を起こす。
「そっか。じゃあ、また今度な」
「うん、いつかまた……それまで元気でね」
いつかなんて日は来ないだろう。誘うほうも断るほうも常套句が過ぎて白々しい。
「チャオ、マスター」
挨拶とともに片手をひらつかせて、彼は軽やかに階段を下りていく。
まるでこの自分を真似たかのような仕草に、混乱したまま立ち尽くしてその背中を見送った。
白い灼熱の中へ溶け込んだ姿は、消えてしまったかのように見えなくなる。
「陽炎……いや、幻か」
帽子の角度を直し、彼とは別の方向へ歩き出す。これ以上遅くなっては店番の娘になにを言われるかわからない。
さっき感じた胸の痛みだけが、鈍く残っていた。
*
この後、ナシタのエアコンが壊れるドタバタ回。