近況独白

いつもに増してどうでもいい話だけします。
TwitterだとTLに流れてくるのどうだろうみたいな話題。

スマホ新調・腰が痛い・五輪やってますね、の3本です。日常すぎる。


iPhoneを新調しました。7からSE2へ。
顔認証はやだなあという理由。
いつも白だったのに、勢いで赤を買ってしまいました。プロダクトレッド。売り上げの一部をグローバルファンドに寄付しますってやつ。本当に勢いで。
新春セールで3日に買って、お届けは2週間と言われて実際には3週間で配送。これは配送先関係なくそうみたい。Appleが翌日配送の世界線からはもう外れている……?という衝撃が大きかったです。Apple直営ストアがない国に来たのは私の勝手だけど。
これが世界的な半導体不足の影響というやつかとしみじみしましたが、そっちの都合で遅れておいて下取りはあと2日以内に手続きしろってさすがに横暴だなと思いました。
色は、けっこう原色の赤です。機種によって色味がぜんぜん違うみたい。
この春には第三世代が出るという噂ですが……まあいいでしょう。

んで、カバーと保護ガラスをまとめて買おうという怠け心がよくなかった。
シズカウィルのは私には合わない。ケースは厚すぎて手に余るし、保護ガラスは厚みと塗装による段差がなんともいえず不愉快。毎日触るものだし。
ケースはハイエンドベリーの買い直す。ライトニングキャップなくなったからもうどこのでもいいやと思ってたけど、そういうことじゃなかったわ。
あとやっぱりclckr必須。せっかく赤なんだから背面を隠さないようにスマホリングでもいいんだけど、縦横スタンドにもなるという利点は見た目云々を上回るので。

サイズ同じとはいえ、新しい端末に変色しきったTPUとボロボロのclckrつけるわけにもいかないし。
本体は2017年8月、ケースは2018年12月、スタンドは2019年11月から酷使しました。お疲れさま。

3年前にiPad買ったときは、iCloud経由の同期すごい!楽!と思いましたが、今回は隣に置いたiPhone同士で直接リンクしてくれて端末保存のデータごと全部同期してくれるんですね。iCloudに保存してないデータは消えると思ってたから感動。そのまま旧端末の初期化もできて、これがAppleの進化速度……と体感しました。
壁紙やアプリ配置もそのまま、端末サイズも同じだから、ぜんぜん新端末に替えた気がしない笑
とはいえ、容量は2倍になってやっとiOSアップデートできるようになりました。旧OSだと接触通知と相性が悪くてバッテリー1/3くらい持ってかれてたんで、かなりストレスフリーに!

ちなみに壁紙はずっと「いつか撮った銀座共同溝」(ロック画面は仙厓)です。たぶん中央区勤務時から……そろそろ替えたいけど思いつかない。


人生何度目かの腰痛発症から4か月、整形外科のリハビリやら整骨院やらいろいろ処置はしているはずなのになぜか悪化しています。腰発信で首から腿まで痛い。
24時間寝ても覚めても痛い。たまに世界を呪うほどに痛い。
座ってるのが地獄なのでキーボードに向かえない。
在宅勤務なので仕事を半日くらいで終わらせて転がってますが、本当に無為な時間です。サボってる感ゼロ。
歩いてる時だけ痛みが緩和される気がして、日々一時間くらい河原を散歩してます。どっか店に行くでもなく、おもしろスポットを探訪するでもなく。その時間は比較的思考がクリアになるのですが、帰ってくると元通りです。
とりあえずMRIしてみたらって言われて、悲壮な覚悟で大きな病院に行ったんですけど、大仰な検査したわりに骨も神経も異常ないですねって。ヘルニアでなくて本当によかったし手術とかにならなかったのもホッとしたけど、じゃあこの状態はしばらく続くのね、という絶望も同時にあって気分は上がりません。
とにかく筋力が足りないらしいので筋トレやストレッチを続けていますが、筋肉つきにくい体質で自己流で4か月程度では全く効果が見えません。運動は子供のころから不得意で嫌いです。
せめて気分転換してって言われるけど、私の場合はだらだら小説書いたり映画館で二本立てしたり喫茶店で半日粘ったり録画や配信を一気見したりっていう「座りっぱなし」に依存しすぎていたので……コロナ禍で劇場やミュージアムや飲食店やいろいろ制限された時もだけど、自分の生き方を否定される感じがして心が猫背になるね。外出が楽しい人間は自粛中の都会では生きていけないし、運動しない座りっぱなしの人間は40年でダメになる。
ずっと痛いと、とにかくシニカルで攻撃的な気分になります。よくない。

仕事は区切りがあるし常にサボりたいから痛くなったら中断できるとして、小説を書きはじめると痛くてもずっと座ったまま続けてしまうことがわかりきっているので、怖くてしばらく何も書けないでいます。
この記事とかはiPhone&iPadで半月くらい寝たり座ったりしながら少しずつ書いてて、大した内容でもないし大量に書けないので体痛くなったらやめるというのがまだできるんですが。
J庭は今回新刊ムリっぽい。もう2か月切っててコレだから。

今はとにかく痛いし悔しいので励ましやお悔やみの言葉とかは不要です。優しくされて治るわけじゃないことが申し訳なくて、整体やリハビリでいつも心が痛いです。申し訳ないから言わないけどね。


冬季五輪やってますね。
私はスポーツ全般興味がなくて、とくに応援したいと思うこともなくて、リアタイだろうが生だろうが観てて「よっしゃー!!」みたいなこともあんまりない冷淡な人間なんですけど。
そもそもスポーツでの勝敗に関心がないのかも。スポーツマンガ読んでても、絶対主人公に勝ってほしいと思って読んでない気がする。
NHKの番組編成変わると生活リズムに関わるし。五輪自体はあまり歓迎はしてないほうの人間。

でも昔から好きなコンテンツで、ほぼ日の「観たぞ、オリンピック」というのがありまして。
たぶんトリノくらいから、夏季冬季五輪のたびに期間中ずっとチェックしてました。
オリンピック自体は依然として主体的には観ないし、観たぞきっかけで興味を持つということもないんだけど、雰囲気がおもしろくて。
いわゆる「別ジャンルのフォロワーが狂ってるのを見るのが好き」みたいなことなのかな。ある種の「集合知」っぽさもいいのかな。でも最大の魅力は、みんなと永田さんの対話だったと思うんだ。
永田さんに感想をいい、永田さんが答えるという図式で、雑多な「呟き」が交通整理されてまとまった一連のテキストになる。メールがフォームになりツイートになっても、その編集が入るかぎり全体の色は変わらない。掲示板やSNSは玉石混交でアンチもネガティブな意見も多くて消耗しがちなインターネットの中で、テレビの前にいるだけの人たちの声を丁寧に集めて組み直して、テキストのみでその日のオリンピックという輪郭を描写してくれる、ひたすらにポジティブでのんきを装った世界でした。

そういう小ぎれいな編集は嫌いという意見もわかるし、そもそもほぼ日の存在自体が受け入れられないという人もいると思う。私だってサイトや事業が100%すばらしいと思ってるわけじゃないです。きょうび、だれかに100%賛同なんて逆に難しくないか。
そもそも五輪自体が開催都市の貧困層や労働者の犠牲が前提になっている問題や、パラリンピックの扱いが低い問題、日本のアスリート個人への様々な負荷、スポーツのナショナリズムを助長する性質など、いろいろ見ないふりをして遠い世界の出来事として無責任に眺めている自覚はある。
ただ、スポーツに無関心で五輪にうんざりしてる自分と、観たぞを楽しみにしてる自分が同時に存在することはどうにもならないというか、その自己矛盾は自分に許してしまっているというか、うーん。よくない状態なんだろうなとは思いつつ。

前回、世の中的な雰囲気もあって、観たぞはすごくひっそりと、でもちゃんと開催され、こちらも時節柄ひっそりと覗いていました。
もちろん東京五輪には都民として最初から一貫して反対だったし、次から次へと出てくる不正や問題にも内心憤っていたし、コロナ禍に強行開催するのも間違っていると思っていました。
いつもはゆるく楽しむ開会式も観なかった。とても観られる心境ではなかった。五輪関係の炎上ワードは逐一ミュートして話題にしないようにしてた。
でも観たぞはね、期間中つい見にいってしまったんですよ。最終日にはちゃんと習慣になってたんですよ。閉会式も観なかったけど、観たぞは見届けたんですよ。ひっそりと。なんとなく、よくないことをしてるんだろうなと思いつつ。
当時のひっそり熱狂していたサイトの空気と、個人的な居心地の悪い気分をちゃんと記録しておけばよかった。このブログはそういう用途なので。たぶんもう正確には覚えてない。

今回、ついに観たぞはTwitterタグのみでの開催になり、サイトでは永田さんのエッセイ更新になりました。
まあ永田さんの体力とかほぼ日の方向性とか諸事情あるんだろうし、ずっと続くほうが不自然なのかもしれない。もともと一回きりのイベントとして始まったものだし。
そう割り切ることにして、mitazoタグもたまに眺めています。
これが不思議なことに「観たぞ文体」と「ほぼ日の礼節」を引きずっている。長くやってるサイトには必ずカルチャーに伴う特有の文体が存在しますよね。mitazoタグはTwitterなのに、その文体を(まだ今のところは)完璧ではないにしろそれなりに維持している人がいて、必然的にネガティブな話題も少ない。
それは非常に興味深いなと思ったんですが。
でもあくまで「ちょっと治安のいいタイムライン」という程度で、観たぞではない。リアルタイムでやってる競技しか追えないし。
さえずりでしかないみんなの呟きを、翌日にまとめて編集してアーカイブされる読みものとして提供してくれる、その中で常連や共通認識が生まれる。そういうコンテンツをオリンピックのたびに、楽しさがわからないオリンピックの代わりに楽しんでいたのだと実感しました。
永田さんのライティングは当然プロなんだけれども、だからエッセイ単体でもコンテンツにはなるんだけれども、観たぞはそれに不特定多数の短文テキストのエディティングが加わった複合競技なんですよ。Twitterでは代わりにならない。

今引きこもりの在宅勤務だから、横目ではあるけど結局いちばんリアルタイムで観てる大会かもしれない。
ああコレはドボンだね、このシーンはmitazo民が好きなやつだね、誰かがこの詳細を教えてくれるんだよね、などと「エア観たぞ」しながら、毎日永田さんのエッセイを読むたび、ひとつの歴史あるコンテンツが終わった喪失感を噛みしめています。未練がましい。

あまり話題になってる感じもないけど個人的には、日本の若い選手がインタビューで「(自分は)転んじゃったけど、スノーボード楽しいです!ありがとうございました!」っていい笑顔で締めたのは最高のコメントでした。結果出た直後の現地で、自分の結果や順位どうこうじゃなく競技を丸ごと推してくるの、絶対いい子。
あとビンドゥンドゥン、何度でも声に出したい。オリは氷のパンダでパラは雪の竜。

日記

Posted by nickel