キング/ノッさん
『声、出しちゃダメなんだろ?』
畳の部屋に並んで敷かれた二組の布団を眺め、その片方に座り込んだダイゴはにんまり笑った。
「なに笑ってるの」
ノブハルが入ってきて襖を閉める。
「や、家ん中で寝るのもいいなあって」
ダイゴが普段テントで生活しているのを知っているノブハルは、苦笑してうなずいた。
「キングくらい大きいと、テントじゃゆっくり寝られないよね」
「そうでもねえぞ」
テント生活がさほど不自由だと思ったことはない。一人で生きてきた子供のころから、身を守るようにうずくまって眠る癖がついているせいか、狭さを感じたこともそういえばあまりない。
「裸で寝られるし?」
「パンツは履いてる」
布団の上に両脚を投げ出したダイゴは、下着以外は身につけていなかった。さすがにテントの中でこんな格好で寝ることはしない。
「風邪ひかないでね……電気消すよ?」
「おう」
いそいそと布団にもぐり込み、ノブハルが照明の紐を引くのを見上げた。この感じも、なんだかいい。つまり全てが楽しくて仕方がない。
ノブハルもそのまま自分の布団に入る。ネイビーのよれたスウェットに、無地のTシャツが彼の寝間着らしい。
「それにしてもさ、優子が許すなんて意外だったよ」
布団の中で、ノブハルが呟いた。
彼の妹はシングルマザーで、それゆえかやたらと現実的だ。娘の理香はダイゴを気に入っているが、いろいろと素性の怪しいところがある青年を、しっかり者の母親が安易に受け入れるはずがない。
だから今日はダイゴもノブハルも驚いた。ダイゴが、ノブハルの夕方からの仕事を手伝ったついでに有働家の夕食も作り……もちろん自分も食べたけれど……皿洗いまでして、さて帰ろうかと思ったとき、優子が「もう遅いから泊まっていったら」と言ったのだ。とくにそんな必要もないと辞退したが、理香にまで乞われては重ねて断る理由もない。
「ぼくがここで暮らすようになってから、だれかが泊まるのは初めてなんだ」
「そうなのか?」
若くして夫に先立たれた女、まだ幼いその娘、脱サラした独身男、という単独でもあつかいづらい要素が、一つ屋根の下にいることで余計に「世間体」というものをややこしくしているのだという。ダイゴにはよくわからなかったが、このとても優しい兄妹が、お互い気を遣い合って生活しているのだということだけは理解した。彼女が囁いた「だって兄さん一人なら、もっと早く泊めてあげてたでしょ」という言葉が、たぶんその証拠だ。
「キングといると、家族みたいな錯覚を起こすのかもね」
「そっかあ……世界中みんな家族みたいなもんだからなあ」
「はは、グローバルすぎ……」
ぽつぽつと雑談をしてから、二人は「おやすみ」と言って目を閉じた。
「……………」
柱時計の、振り子の音が聞こえる。
ダイゴは寝返りを打った。
30分くらいそうしていた気もするし、まだ5分も経っていないかもしれない。
どちらにしろ、少しも眠くならなかった。
寝心地のいい布団やベッドで寝るときにはたまにあることだし、今日はそれほど動かなかったせいかもしれない。
眠れないなら楽しいことでも考えていればいい、と再び寝返りを打つ。
ノブハルに家族と言われたのはうれしかった。こうして同じ部屋で寝ているのもそうだ。今まで自分が知らなかった彼の生活の中に、自分もいっしょに存在できるというのは、最上級の関係性のような気がした。
欲を言うなら、並んで眠るだけではなくて……
隣の布団で、彼が大きく息をつく。
おや、と思った。
「……ノッさん?」
「なに?」
試しに呼びかけると、すぐに答えが返ってくる。
眠れていないのは自分だけではなかった。うれしくなってごろんと彼のほうに転がり、2回転で相手の布団にたどりついた。
「うわっ!」
もぐり込んで、こちらに背を向けていた彼に身を寄せる。
「なに!? なんでこのタイミング!?」
「だってノッさんの部屋って丸ごとノッさんの匂いすんだもん。なんかテンション上がって眠れな……」
「ちょっ、やめて、匂いなんかしないよ!? ぼくまだそんな歳じゃないよ!?」
べつに加齢臭がどうのと言ったつもりはないのだが。そういえば、人より嗅覚が敏感らしいと思うことはたびたびある。
布団の中で後ろから抱きついて首筋に鼻を突っ込むと、期待通りの匂いがした。
「ちょっと、二人が上にいるんだから……」
そうだ。盛り上がってしまったが、二人きりではなかった。
あたりまえのようにノブハルのシャツをめくりかけていたダイゴは、そのままの姿勢で数秒考え込む。
「なんもしなかったら、こうしてていいか?」
「……まあ、なにもしないなら……」
少し残念だが、宿を借りている身でわがままは言えない。こうしてくっついていられるだけでも幸せだと思うことにする。
「わかった。じゃあ、おやすみ」
「ん、おやすみ……」
なにもしなければいいのだ。
腰にまわした手が痛くならない場所を見つけ、スウェットのズボンに脚を絡めて、シャツの上から肩に鼻を押しつける。しばらくもぞもぞして、なんとか収まりのいい状態に落ちついた。撫でまわしたりキスしたりはたぶん怒られるが、これくらいなら許されるだろう……
「……ああっもう!」
「!?」
耐えられない、といった調子で、ノブハルが呻く。
「え……」
彼は自分に絡まっていたダイゴの腕を一本ずつどかし、脚をほどき、布団をのけて出ていった。
「ノッさ……」
ダイゴは暗がりの中、彼の姿を追うことも忘れて布団の中で呆然とする。
怒られた。
どこからがアウトだったのか。確かに腰を押しつけはしたが、はっきりそういう意図があったわけではないし、後ろから抱きつけばそうなるのは仕方がない。それとも単に暑かったのか。暑苦しかったのか……
彼が腕の中から逃げていったショックで固まっていると、枕元に彼がしゃがみ込む。ダイゴは泣きたくなりながら彼を見上げた。
「ノッさぁん……」
「そんな顔しないでよ、キングでしょ」
そう言って彼はダイゴの目の前になにかを置き、またダイゴのいる布団にもぐり込んでくる。
「これ……」
置かれたのは男性用避妊具で、二人がそういう関係になってからノブハルが持ち歩くようになったものだった。
「本番までいいってことじゃないからね、汚さないようにだからね」
早口でそう告げて、ノブハルはダイゴの片頬をつまんだ。
「もう……王さまの貫禄が台なしじゃないか」
困ったように笑う顔は、機嫌が悪いときの表情では決してない。
「ノッ……」
「あと、声はぜったい出さないこと。けっこう音抜けるんだよ、この家」
わかった、というつもりで何度もうなずく。
「でも、いいのか?」
見つかったらたいへんなことになるという危機感は、ノブハルのほうが強いはずなのに。
表情込みで尋ねたダイゴに、ノブハルは目を逸らして呟いた。
「あの状態で、平気で寝てられるわけないよ……」
彼もダイゴを。
無性に叫びたくなって、でも声が出せないからきつく抱きしめることで気持ちを伝える。ノブハルはなだめるようにダイゴの背中を叩き、それから優しくさすった。
まず最初にやっておくべきこととして、二人のあいだを遮るTシャツとスウェットを、布団の中で引き剥がす。直接ノブハルの肌に触れ、ダイゴはほっと一息ついた。
裸の脚をすり寄せると、すねの骨が当たって、毛がざらりと絡んで、痛いような快いような、不思議な感覚がある。それが妙に官能的に感じられ、ダイゴは何度でも脚を絡めてはその感触を楽しむ。
ひざから上も絡めば、自然と腰が重なる。こればかりは趣味嗜好でもなんでもなく、ダイゴのほうが先に反応するのは仕方がない。
反り返った屹立が相手のそれとぶつかった。
「あ……!」
震えるような感覚に、思わず声が出そうになる。
すんでのところで、ノブハルがダイゴの口を口でふさいだ。
「んん……っ」
喉の奥から出る声は、すべて彼に飲み込まれる。息苦しさで荒くなる呼吸が、口の中で混じり合い、相手に熱を送り込む。
「んぅ、うう……」
脚を絡めて離れないようにして、いきり立った性器を押しつける。ゴム越しとはいえ快感はダイレクトで、声を抑えるのは至難の業だった。悲鳴も雄叫びも上げないで済んでいるのは、舌を絡め取られて押さえつけられているから。
夜の静寂の中、荒い呼吸だけがやたら大きく響いて、舌が絡み合う音も手が肌をまさぐる音も、二人以外には聞こえていないとは思えないほどだった。
苦しくて、気持ちよくて、なにも考えられない。ひたすらに腰を揺らし、相手の声と唾液を飲み込みつづける。
「ふ、ぅん……」
ダイゴのほうは限界が近い。
彼の腰を抱いていた手を下へスライドさせ、尻を掴んだ。そのまま自分のほうへ抱き寄せると、二人の硬くなった中心が腰のあいだで押しつぶされる。
達くならいっしょがいい。でも今は口で言えないから……
「!」
不意に、ノブハルが唇を離した。全身をこわばらせて固まっている。
ダイゴも耳を澄ませた。
だれかが階段を下りてくる。一段一段、足下を確かめながらゆっくり下りるたどたどしい足音は、子供……理香だ。足音はなんとか階段の下まで辿りつき、それからトイレのドアが開いて閉まる音が聞こえた。
ノブハルが、ゆっくりと身体をずらしてダイゴから離れていく。ダイゴは息を止めたまま、ただ布団の中で彼の手を握った。もしここでやめなければならないとしても、完全に離れてしまうのだけは耐えがたかった。
ノブハルもダイゴの手を握り返して指を絡めてくる。爪が食い込むほど互いの手をきつく握り合って、男たちは切実に願う。理香が気まぐれを起こして、おじちゃんやキングといっしょに寝たいなどと思いつかないことを。
再びトイレのドアが開閉し、彼女は迷わず二階へ上がっていく。
その軽い足音が聞こえなくなってから、二人は大きく息を吐き、互いを抱き寄せた。絶頂直前だった身体は少し冷えて、後戻りしてしまった感がある。
「ごめんね、苦しかったでしょ?」
真っ先にノブハルが囁いたのは、労りの言葉。こんなときまで気を遣ってくれるのは確かに悪い気はしないけれど。
鼻の頭をつき合わせて、ダイゴも囁く。
「声、出しちゃダメなんだろ?」
彼は目を丸くしたが、すぐにおどけた表情で口元に指を当ててみせた。
「ん……」
自分の中の熱を思い出し、ダイゴはノブハルの汗ばんだ首筋に顔をうずめて、大きく吸い込む。
大好きな匂いがした。
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