イアン/ノッさん
『わたし、応援しちゃう!』
アルバイトが終わってスピリットベースへ向かう途中、灰色の雲が空を覆いはじめたと思ったら、あっという間にどしゃ降りになった。
入り口まであと数十メートルだというのに。近くの軒下に逃げ込んでから空を睨みつける。
でも半分は濡れているのだし、今さらだと雨の中へ踏み出そうとしたところへ肩を掴まれた。いっしょに店を出たダイゴだ。
「これ着とけ」
こともなげに、赤いベストを差し出される。濡れているのはダイゴも同じだ。断ろうとした瞬間にくしゃみが出てしまった。
「フードかぶってりゃ頭は濡れねえよ」
なおも辞退しようとしたが、彼の通信機が鳴って、「先に行ってろ」とむりやり押しつけられる。
袖はないけれど意外に暖かくて、アミィ結月は笑顔で礼を返した。
スピリットベースに降りる。
一瞬で視界が切り替わって、最初に目に入ってきたのは黒と青。ああ先に来てたのね、と思う前に頭が真っ白になった。
こちらに背を向けたノブハルがイアンの胸を押しやろうとするが、イアンはかまわず彼の首を抱き寄せる。
「イアン……」
「だいじょうぶ、キングだ……」
そう言いかけたイアンがこちらをもう一度見て目を見開いた。
「アミィちゃん!?」
オゥ、マイ。
彼の口癖が頭によぎったアミィは、たっぷり一分ほどその場に立ちつくしていた。
濡れたカーディガンをダイゴのテントの上に干してから、ダイゴのジャケットを胸元に寄せる。
「キングは知ってたってわけね」
ダイゴの赤い服だけを目に留めたイアンは、彼なら見られても問題ないと気をゆるめていた。
「トリンも!」
アミィがキッと振り向くと、トリンも困惑した様子でひげを撫でる。
「なにか問題がある関係だとは思わなかったのでな」
たしかにね、とアミィはむくれたまま二人に向きなおった。
「知らなかった、ノッさんがイアンの恋人の一人だったなんて」
「ぅぐっ」
ノブハルが奇声を上げてテーブルに突っ伏した。イアンはといえば、その横に座らされてなんとか弁明の機会を図ろうと必死だった。
「恋人の一人っていうのは適切じゃない。今までの女の子たちは、言うなればゲストで、おれは彼女たちをもてなしていただけで……」
「苦しいからやめなよイアン……」
誰であろうと女性に嫌われることが最も耐えがたい男である。だがアミィは追及の手をゆるめない。
「軽いとは思ってたけど、まさか仲間まで毒牙に……」
「誤解だ! 女の子とのデートはその、趣味みたいなもので! こっちは、パートナーとしてのつき合いというか、替えがきかない存在というか……」
「それもいろいろ問題のある説明だと思うよ」
ノブハルはどこか諦念を感じさせる顔でイアンを眺めている。愛しい恋人を見る目ではないような気がして、アミィは首をかしげた。
「ノッさんも、いい大人なのにどうして引っかかっちゃったの?」
「引っかかってねえよ、まだ……」
イアンが脇を向いて低く呻いた。
その意味をアミィが問うより先に、ノブハルが頭を掻きながら口を開く。
「うん、完全に清く正しくってわけじゃないけど、爛れた大人の関係でもないよ。アミィが思ってるほど、イアンは不誠実じゃない」
「……………」
そこでアミィは瞬時に、自分の過ちを悟った。
彼らは大人だ。自分の行動に責任を持てる、大人同士の恋なのだ。他のだれが口を挟む権利もない。イアンだけならともかく、ノブハルが言うのだから、二人を全面的に信じてもいい。
「とにかく真剣なんだ、それだけはわかってほしい」
イアンの場合、言えば言うほど真実味のなくなる言葉だが。
「……いいじゃない」
「え?」
「イアンが女の子追っかけ回すのやめて、ひとりに決めたんならいいことじゃない。わたし、応援しちゃう!」
「いや、女の子は別口で……」
言いかけたが、全ての女性に嫌われたくない男は、これ以上自分の立場を悪くすることもできずに黙り込む。認められたものをあえて覆すこともない。
自由と平等の国からやってきたハイキックガールは、知ったばかりの事実を受け入れることに迷わなかった。
アミィが知ってしまえば、ラミレス、鉄砕、空蝉丸、ソウジと情報共有は迅速におこなわれる。
「なんと! なぜ拙者には教えてくださらなかったのか!?」
「べつに隠してたわけじゃねえよ」
「隠してたよぼくは……」
ノブハルはとにかくその会話を避けたがり、隠すつもりはないというイアンも、のろけるそぶりさえなかった。そんな二人を、ダイゴがにやにやしながら眺めている。空蝉丸はやたら馴れ初めを気にしていた。
スピリットベースは普段どおりで、重苦しさも気まずさもない。なにより、隠し事がないというのはいいことだ。アミィはふわふわとした気分で皆にドリンクを配ってまわる。
「はい、クリームソーダ……ソウジくん? ねえ、どうしたの?」
「え……ごめんなさい、なに?」
たった一人、事態についていけていないメンバーがいた。
戦い終わって、日暮れ前。
ソウジは意を決して、ノブハルの袖を引いた。
「ノッさん。ちょっといいかな」
「……うん」
用件を大体察しているらしいノブハルは、神妙な顔でソウジについてくる。
川沿いの遊歩道には立ち止まっている人もほとんどいなくて、周りを気にせず話をするにはちょうどよかった。
とはいえ、ソウジも具体的にどう話を切り出すか決めていたわけではない。
「うーんと、なんて言ったらいいのかわかんないんだけど、おれ、ノッさんもイアンも仲間だし大事だと思ってるんだけど、ちょっとびっくりしてるっていうか、なんでそうなったのかわかんないっていうか、でも反対とかしてるわけじゃなくて、えーと……」
必死に言葉を探す高校生に、ノブハルは困った顔で笑いかける。
「そうだね、ぼくも変だと思う」
「変だよね!?」
ソウジはノブハルの言葉に心からほっとして、それからあわてて手を振った。
「いや、べつに悪いとかじゃ……」
「むりに合わせなくてもいいよ。みんな細かいこと気にしない性格だから、なんだかフツーな感じになっちゃってるけど……ぼくもどうしてこうなっちゃったのか、正直よくわかってなくて」
いちばん年は離れていても、いちばん常識的な彼だからこそ、今回のことが納得できなかった。しかし「フツー」の言葉を聞いて、少し安心する。
「でも、フツーじゃなくてもノッさんはイアンが好きなんだよね?」
「ぐ……」
ノブハルは言葉に詰まって、髪をかきまわしながら川のほうを向いた。真っ赤になった耳を見て、ソウジは言葉で言われるよりもはっきりと事実を知る。
プライバシーを暴いてしまったようで、ひどく申し訳ない気分になった。
「なんか、ごめんなさい……二人の問題なのに、おれまで騒いじゃって……」
素直に頭を下げたソウジに、ノブハルは苦笑しながら声をかける。
「いや……ぼくは逆に健全な状態だと思ってるよ」
「え?」
仲間同士で、はともかく、男同士で、というのはどう考えても健全ではない。少なくともソウジの常識では。「フツー」という単語が頭の中をぐるぐるしはじめる。
ノブハルは「うーん」と首をかしげ、考え考え言葉をつなげた。
「ソウジくんくらいのころはとくにそうだと思うけど、好きになったりつき合ったりって、自分たち二人だけのことだと思ってるじゃない? でもほんとはちがうんだよね。周りの人に認めてもらったり反対されたりも含めてのおつきあいなんだ」
「……………」
恋をしたことがないから正直よくわからない。でもそう答えるわけにはいかない。
困惑の末、黙り込んだソウジを見て、ノブハルは「うーんうーん」と髪の毛をかきまわした。
「これ、イアンにはナイショの話ね。こういう話にどう反応するか予想できないところが、ぼくたちまだまだだなって思うんだけど」
ぼくたち、という表現が、妙に気恥ずかしい。そう感じたのはきっとソウジだけではない。
「ぼくがまだスーツ着て働いてたころ、おつきあいしてた人がおりまして」
「女の人?」
「女の人じゃないのは今回が初めてです、って言わせないで恥ずかシーラカンス」
恒例のオヤジギャグが場の空気を弛緩させるためなのだと知っていたから、今のタイミングで入ったネタをソウジは責められない。彼も必死なのだ。
「いちおう結婚を前提にしてたんだけどね、結局ぼくの海外赴任と彼女の転勤が重なって……まあそれはさておいて、相手の家族や親戚に会ったりもして、それは楽しかったな。結婚は認めないって正面切って言われたりね。つき合ってるのはぼくら二人なのに、ぜんぜん二人きりじゃないんだ。若かったから変な感じがしたけど、今の感じにちょっと似てる」
ノブハルは言葉を切って、ソウジが少しだけ考える時間をくれた。
「ソウジくんも、むりしてくれなくても、今は見ないふりしてもいいんだよ。できれば、ぼくたちのことを嫌いにならないでほしいとは思うけどね」
「嫌いになるわけないって!」
それだけはない。イアンもノブハルも、ソウジにとって大切な存在だという事実がこの先変わることはない。ただ衝撃が大きすぎて、あるがままを受け入れるのに戸惑っているだけで。
二人が言葉を探して黙り込んだとき、ちょうどいいタイミングでノブハルの腕時計のアラームが鳴った。
「あっ、ごめんね、仕事行かなきゃ」
次の仕事が控えていたらしい。聞きたいことはまだあったが、忙しい彼を引き止めるほどではない。それに、うまく言葉にできる自信はない。
「じゃあね、気をつけて帰るんだよ……」
小走りに去っていく姿に手を振って、それからポケットにその手を突っ込んだソウジは、少し考えてから近くの植え込みに歩み寄った。
「……で、いつまでそこにいるの?」
大人4人が、ひざを抱えて植え込みの陰に隠れている。
ソウジは思わずため息をついた。これでも武道を志す身で、戦士が4人もいたら気配でわからないはずがない。
「ノッさんは気づいてなかったみたいだけど……だからいいってわけじゃないよね、とくにイアン」
「ボーイ……」
普段はクールぶっているくせに、ときどきとても不安げな顔をする。ひざを抱えたままでそんな顔をされると、詰るのも忘れてつい励ましたくなってしまう。
「話がまとまらなかったらフォローに出ようかと……」
決まり悪そうに立ち上がるイアンの横で、アミィがぴょんと跳ねるように立った。
「わたしは、盗み聞きなんてよくないって言ったのよ?」
その隣の空蝉丸も神妙な顔でうなずいている。
「ノッさんとソウジが話つけられねえわけねえって言ったんだけどな!」
つまりダイゴは完全に興味本位だったらしい。
ソウジはもう一度、大きく息を吐き出す。深刻に受け止めてしまった自分の動揺がバカバカしくなってきたのだが、それよりも。
年上の中にいて少しあせることもある立場としては、最年長でさえ恋をしたり不安になったりしているという意外な事実が、なんだか心強かった。
「おれ、ノッさんは応援してもいいよ」
「ノッさん限定?」
ソウジは切れ長の目を細め、イアンに向けて薄く笑う。
「イアンはしなくてもいいよね? 百発百中だもんね?」
「言うじゃねえか……」
青い作業着が走り去っていったほうを見やり、低い声で呻く。
「昔の恋人に嫉妬なんかしねえよ、って言ってやりてえ」
「そしたら盗み聞きバレるわよ」
「う……」
本人もいないのに、みんな勝手ばかりだ。他愛もないことで騒いで、明らかに楽しんでいる。
ああ確かに「フツー」だな、とソウジは思った。
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