侘助/理一
【騒動前夜】
十年ぶりに、侘助が家へ帰ってきた。
ああめんどくさいことになるな、と理一は素直に思った。
会うたびに帰れとせっついてはいたが、よりにもよって親戚が集まる時期を狙うことはないのに。
だがロマンチストの彼としては、この時期以外にはなかったのだろう。もしかしたら、親戚が集まるということさえ頭になかったのかもしれない。
考えなしの叔父がこれから引き起こすであろう大小の騒動を思い、理一はため息をついてビールを飲み干した。
廊下の床が鳴って、開けっ放しの襖から細い長身が覗いた。
「よぉ、元気か」
「おかげさまで」
あえてそっけなく答えたつもりだったが、今の侘助にはきっと通じていない。彼は昔と同じように理一の部屋を横切り、かつて自室だった部屋の襖に手をかける。
「あ……」
理一がかけるべき言葉を選んでいるあいだに、襖は開かれてしまった。暗がりを覗き込むなり、侘助の動きが止まる。
後ろからでも、彼が目を見開いてその光景に呆然としていることがわかった。
その部屋に寝る場所などない。布団どころか、座布団さえ敷けないほどに、段ボール箱やら時代遅れの家電などが積まれていた。
「……物置かよ」
うめくように呟いて、侘助は襖を閉める。ふり向いてこちらを見たときには、気怠い無表情にもどっていた。
「どうりで、こっちの部屋が広いわけだ」
逆に理一の部屋はすっきりとしていて、三人は布団を並べて寝られそうな空間がある。理一が家を空けているあいだに置かれたあれこれも、すべて侘助の部屋に押し込まれたからだ。理一も最初に帰省したときには驚いたものだが、母と姉の憤りを思えば止める理由もない。
むしろ、部屋が残っていると思える侘助の楽天的な発想にこそ唖然とする。
「ひでえな」
「文句言えた義理か」
「説教ならもう厭きた」
言い捨てて出ていこうとする背中を呼び止めたが、それは彼のためではない。
「納戸はダメだぞ。カズマが使ってる」
「だれだよ、それ」
十年前に会ってはいるはずだが、きっとお互いわからないだろう。明日にでも母親といっしょにいるのを見れば理解するはずだ、と思って説明は放棄した。
「まだ人が少ないから、部屋は余ってる。おとなしく隅っこで寝てろ」
言いながら、押入れから布団を一組引っぱり出した。
「おれはこの部屋でもいいぜ」
その意味がわからないでもなかったが、理一はわざと流す。
「バカ言うな暑苦しい」
侘助は肩をすくめ、布団を抱えた理一に黙ってついてきた。
「……うまくいったのか」
侘助はなんのことかと眉を上げ、しかしすぐにその意味を察して笑った。
「ああ。あとは結果を待つだけだ。明日には全員おれにひれ伏すぜ」
侘助がなんの話をしているのか、具体的なことは理一にはなにもわからない。
ただ、侘助が帰ってきたということは、なにかを成し遂げたことを意味する。親戚連中の拒絶も攻撃も覚悟して、彼らを黙らせるだけのなにかを成さなければ、今さらのこのこと帰ってくることなどできない。
「おまえがひれ伏さないことを祈ってるよ」
言いながら、それでもいいなと思った。それでこの家に帰ってこられるなら、安いものだ。
手近な空き部屋の襖を足で開け、暗い部屋の中に布団を放り投げた。
さすがに敷いてやるほど親切ではないから、そのままきびすを返す。しかし、開いた襖の前にいる侘助がどく気配はない。
逆光でも、その顔がしまりなくにやついているのはわかる。そして、迷いのない手がこちらへ伸ばされるのも。
「理一……」
かすれた囁きにはあきらかに甘さが混じっていて、理一はため息をつきたくなった。
どこまで状況がわかっていないのか、この男は。
肩をつかんでその細い身体を部屋の中に押し込み、布団の上に叩きつけるようにして押し倒した。
「り……」
布団に沈んであがく侘助を押さえつけ、鼻がぶつかりそうな距離で顔を覗き込む。驚きに喘ぐ息が酒くさい。もとから接触するつもりだった侘助はほとんど抵抗もせず、だから理一の剣幕に面食らっている。
「はっ……」
笑おうとしているが、うまく笑顔が作れないようだ。倒れるときにどこかぶつけたのかもしれない。
「侘助」
暗がりの中で至近距離の瞳を睨みつけた。その顔に、静かな怒りと失望が広がっていくのを見てとりながら。
「おれは手も口も出さないぞ。自分のことは自分で片をつけろ」
侘助が失踪していた十年、理一だけが連絡を取り合っていたなどと知れたらどうなるか。無責任な親戚連中はともかく、本家の家族を裏切りつづけていた罪は充分に重い。その罪を暴かれ諸共に責められてやるなど御免だった。
「わかるか、一人でだぞ」
今の侘助は台風の目だ。一族丸ごとを揺るがす中心人物なのだ。なのに、理一の前では世界に二人きりしかいないようにふるまう。この十年で、すっかりその癖がついてしまった。
だがそれでは困る。この風来坊は無関係の部外者ではなく、陣内家の一員なのだから。
「……わかってるよ」
ほんとうかどうか怪しいものだが、無自覚な部分を突っ込んでも仕方がない。
吸ったばかりであろうタバコの匂いが鼻孔をくすぐり、身体の奥がざわつくのを自覚する。癖がついたのは理一も同じだった。
だがここで誘いに乗ってしまっては、侘助のためにはならない。なにより、リスクが高すぎる。唇でも触れようものなら、侘助が調子に乗るのは目に見えていた。
二人は息を止め、相手の出方を待つ。
そんなとき、まるで警鐘のように廊下から足音が聞こえてきた。
理一は身を起こして立ち上がり、侘助は布団にもたれかかったまま舌打ちして横を向く。
襖を開けると、長い廊下をひょろりとした少年が所在なさげに歩いてきた。
「あ、あの……」
「健二くん。どうしたの?」
真に部外者というなら、この子だろう。なにも関係ないのに、運悪く厄介な騒動に巻き込まれようとしている。よりにもよって夏希の彼氏だというのだから、余計にその確率が高い。
愛想笑いを浮かべながら猫背で頭を掻いている姿を見ていると、あまりの運の悪さに同情したくなるほどだ。
「すいません、ちょっと迷っちゃって……」
「はは、ムダに広いからねえ。客間はこっち。案内しようか」
「すいません、ありがとうございます……」
健二に笑顔を向けてから、肩越しに暗い部屋の中を見返ってそっけなく声をかけてやる。
「布団は朝のうちに片づけておけよ。明日は人の数が二倍になるからな」
「……うるせえな、わかってる」
ふてくされた返事を最後まで聞かず、理一は廊下に出て健二をいざない歩き出す。
半開きの襖を健二が覗き込んだであろうことはわかったが、機嫌の悪い侘助がどんなふうに彼を威嚇したかは見えなかった。
先ほどと同じように先導して廊下を歩くのも、客人なら気が楽だ。世間話のネタを探していると、彼のほうから声をかけてきた。
「あのぉ……」
「ん?」
もじもじしているのを見ると、呼びかけようにも名前がわからないのではないかと思いつく。あれだけの人数を一度に紹介されれば、覚えていろというほうがむりだ。
「理一だよ。本家の理一」
「はい、理一さんですよね。それで、えっとあの、さっきの……」
意外なことに名前は覚えていた。しかし少年の興味は理一には向いていなかったらしい。
「ああ、侘助?」
「は、はい……侘助さんって、どういう……」
思わず苦笑していた。鳴り物入りの登場に、夏希の態度。あれは気にするなというほうが難しい。彼も詮索しているつもりはないだろう。今夜は眠れないかもしれない。
「親戚の、へんなおじさん。どこの田舎にも必ずいるでしょ」
ははは、と笑ったが、同意はなかった。
「うち、親戚づきあいがあんまりないから、よくわかりません……」
いかにも現代っ子らしい言葉が返ってくる。
たしかに、この陣内家が基準になっていると、どこまでが一般的な感覚なのかわからなくなることもよくあった。近ごろは、「親戚のへんなおじさん」はそう多くないのかもしれない。
「まあ、そういうのもいいね。身内の恥ってやつが少なくなる」
「は、はあ……」
身内の恥。
今まで口にしたことのなかった言葉が、さらりと出てきたことに自分で驚く。
健二を前にして、理一は初めて侘助の件を「身内の恥」と思った。外の目があるからこそ「恥」になる。侘助がああも奔放なのは、「外」が見えていないからだ。夏希の彼氏のことも、まともに認識しているとは思えない。
「気にしなくていいよ。夏希もすぐ落ちつくと思うから、存分に田舎の夏休みを楽しんでいって」
「ありがとうございます……」
盛り上がらない会話が気まずくなる前に、少年を部屋へ送り届けることができたのは幸いだった。
おやすみを言って、自室にもどる。
そういえば侘助には「おやすみ」とも「おかえり」とも言っていないなと気づいた。
だが今さらわざわざ言うのも間が抜けている。
結局のところ、まだ言ってやる気になれないというのが本音だった。他の親戚と同じではないにしても、彼の帰還をどこかで忌々しく思っている自分がいる。
明日からきっと戦いだ。些細な小競り合いからはじまって、最終的にはあの祖母を相手にしなければならない。それまで侘助の根気がつづくかどうか……
理一には侘助がだれと接触してなにが起きるかたやすく想像できるのに、本人には少しも見えていないらしい。
だがなにが起きても、手は出さないと決めていた。
これは侘助自身の戦いなのだから。
ただしそれが、健二どころか世界を巻き込む大きな大きな「戦」になるとは、理一にも予想できなかった。
理一さんは敵でも味方でもないよっていう話にしたかったのに……
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