侘助/理一
【冬、東京】
「なんで脱ぐんだよ」
不満を声と表情に込めて全力ですごんでみせたつもりだったが、相手は少しも怯まなかった。変わらない笑顔で、ただ目を細めて言葉を返してくる。
「なんで脱いじゃいけないんだ?」
そういう目的でここにいるのに。現に理一の上にまたがった侘助は、とっくに上を脱ぎ捨てているのに。
まったく、もっともな意見だ。だが侘助にとっては少しも納得のいく返事ではなかった。
「いいかげん、覚えろよ。おれは用意されんのが嫌いなんだ」
押さえつけた手が、降参とでも言うように柔らかい枕の上に投げ出される。
「いちいち覚えてられるか。前に会ったのいつだと思ってる」
「冬」
答えながら、シャツのボタンの残りを外していく。職業柄鍛え上げられた身体は、どちらかといえばインドア派の侘助にいつも苛立ちと嫉妬を与えた。
そのひきしまった硬い胸が、痙攣するように上下する。笑っているのだ。
「いつだって冬じゃないか。寒いの苦手なくせに、わざわざ甥っ子の顔見に海を渡ってくるなんてなあ」
「ぅるせえよ……」
このために帰ってくるわけではない。旅行のつもりで日本に帰ると、彼に会う気になるだけだ。
だが理一はそう思っていないらしく、毎度同じ言い合いをするのも厭きてきて、勝手にそう思わせることにしていた。
シャツを払いのけると両手で彼の胸をわしづかみ、指を食い込ませて顔を近づける。
「揉んでもなにも出ないぞ」
「そのネタ、厭きた」
二人はわずかなあいだ見つめ合って、それからくすくすと笑い出した。侘助は触れるだけの口づけを理一に与え、そして再び彼の顔を見つめる。
「老けたな」
目尻の皺が少し深くなった気がする。同い年だと思うと複雑な気分になり、その皺を伸ばそうと指を押し当ててみた。
しかし、笑い皺がいっそう深くなっただけだった。
「おまえはちっとも変わらないな」
長い指が侘助の唇に触れ、ゆっくりとなぞっていく。この手がどんな仕事をしているか、対して興味もないが、こんなふうに触れる対象が他にあるのだろうか。
「つるっとした顔しやがって……少しは歳とれよ」
そんなことを言いながらも、本気は感じられない。年相応の穏やかな笑みが、侘助をわけもなく焦らせた。
いつだって、理一は年相応だ。この歳で独身であること以外は、見た目も経歴もなにひとつ瑕疵などない。同い年の、本家筋の……
侘助は理一の手首を掴んで枕に押さえつけ、その口をふさいだ。今度は最初から濡れた音を立てて舌を絡め合う。互いに舌の根本まで貪りながら、二人は身体をくねらせ押しつけ合った。
「あっちのほうも、顔と同じくらい若々しいとうれしいな。ねえ、侘助おじさん?」
上気してはいるが涼しげな表情で、理一は自分の唇を舐める。
「……っせえ、クソガキ」
若いころから……まだあの閉塞的な田舎にいたころから、変わらないやりとり。成長も、学習も、老成もしない。ただ場所を黴くさい納戸から東京のホテルに移して、二人の男はただひとつの秘密を共有しつづけていた。
「持久力のなさはあいかわらずか……」
「ほっとけ……」
侘助は、理一を肉体労働者だと思っていた。純然たる頭脳労働者の侘助が敵うわけもない。だから、結局いつもこうなる。
乱れたシーツの上にぐったりと倒れ込んだ侘助を、理一が苦笑しながら覗き込んだ。
「それで金髪美女の相手ができるのか」
「……………」
もう返事をする気も起きない。アメリカといえば金髪美女という貧困な発想にも、侘助が手当たり次第に遊んでいるかのような発言にも、反論する気力がない。
「バトンタッチ?」
目だけを動かして、相手を見やる。片手を広げてこちらに向けるから、力なくその掌を叩いてやった。あとはもう好きにすればいい。
筋肉の詰まった重みがのしかかってきて、深呼吸したつもりがため息になっていた。薄い唇が肌に触れ、強めに吸い上げられる。
「おい、人につけるなとか言っといて……」
文句を言いかけた口を、大きな手でふさがれた。もがいたところで敵わないだろうから、頭を抱いてオールバックをぐしゃぐしゃとかきまわしてやる。抗議なのか仕返しなのか、胸の突起を殊更に強く吸われた。
「く……」
骨が浮いた血色の悪い肌に、点々と唇の痕がついていく。あとで鏡を見たら相当みっともないことになっているにちがいない、と思いながら、侘助は熱くなってきた身体をよじらせた。
愛撫が、どこかもどかしい。肝心な部分から逸れているような気がした。
どこをどうすれば相手がどう反応するか、お互いに知り尽くしている。何年会わなくても肌を重ねれば自然と思い出す。だからこれはわざとだ、と侘助は思った。
「ぁ……ああっ!!」
身体の奥を穿たれてなお、もどかしさは消えない。
「くそっ、焦らしてんじゃねえよ……!」
真上にある顔をつかんで引き寄せて目を合わせた。余裕の笑みが返ってくるものと思っていたが、汗を滲ませた顔には戸惑いの表情が浮かぶ。
「……おまえが勝手に焦ってるだけだよ」
「は……!?」
問い返そうとしたところを、深く突き込まれて息ができなくなる。
「知らないぞ?」
「ぅ……るせえ……」
体力のある理一に本気で責め立てられれば、腰が立たなくなるのはわかっていた。だが今は意識が飛びそうになるくらいの感覚がほしい。侘助は理一の背中に爪を立て、もっと激しくしろと強請った。
それからしばらく経って二つ目のコンドームを捨てた理一は、めずらしく息を切らせて侘助の横に転がる。侘助はといえば、指一本動かすのも億劫になっていた。
「……おい自衛官、欲求不満か?」
自分が求めたことも忘れてそんなことを問う侘助を、理一は横目で睨みつける。
「どっちがだよ……」
しばらく両手で顔を覆っていた理一だが、やがて起き上がったときにはもういつもの涼しい顔にもどっていた。
「シャワー、先使う?」
「……どうぞ」
そう、と彼は呟いて、ベッドから離れていった。
少し寒気を感じた侘助は毛布と枕を引き寄せ、裸のままうずくまった。
「くそっ、しっかり痕つけやがって」
襟のファーに頬を埋めながら、侘助は隣の相手に毒づく。例によって趣味全開の軍用コートをスマートに着こなしている理一は、いかにも仕方がないといった表情で微笑んだ。
「毎朝人前で半裸になって乾布摩擦するわけじゃないんだから、べつにいいじゃないか」
「そんなことしてんのか自衛隊は」
「いや、しないけど」
「じゃあ言うなよ!」
さすがに侘助も仏頂面を保っていられなくて、二人とも笑い出したまま、その話はうやむやになった。
しばらく黙って歩き、駅が近くなったところで理一のほうが口を開く。
「次は、夏に来いよ」
「……仕事しだいだな」
いつもいつも、別れ際にくり返される会話。
だが二人ともわかっていた。侘助は決して夏に日本を訪れることはない。
夏は、あの人の季節だ。すべてを支配し、すべてを包み込むあの人の。侘助も理一も、彼女の前ではただの子どもになる。出来がよくても悪くても関係ない。彼女に拒まれては、屋敷の敷居を跨ぐことさえ許されなかった。
あの人に拒まれる、ただそれだけが怖くて、侘助はもう長いことあの屋敷へ足を踏み入れていなかった。まだその時期ではないからと、何度も自分に言い訳して。
理一が白い息を吐いて、暗い空を見上げた。
「せめて雪でも降ればいいんだけどな」
「めんどくせえだけだろ」
投げやりに返事をしながらも、東京に住んでいたことのある侘助にはその気持ちがわかる。雪のない、ただ寒いだけの冬はおもしろみがない。冬は雪が積もってこそ冬だ。
故郷は今ごろ、辺り一面真っ白になっているだろうか……
「次は秋にするさ」
忌々しげに呟いた侘助を見て、理一はなにか言いたげに首をかたむける。
だが結局なにも言わず肩をすくめただけだった。
たまにこっそり日本に帰ってきてホテルでやることだけやってついでに観光してまたアメリカにもどる、みたいなのを侘助は2、3年おきにやってるのです。
※コメントは最大500文字、5回まで送信できます