【SS】田村と宗像(シンウル)
左右曖昧。ゼットン前後。
*
喫煙室に入ってきた宗像は、軽く咽せた。
霞んだ部屋では田村が生気のない目で「お疲れさまです」と自動応答する。
「禁煙はどうした」
積まれたセブンスターの箱を見ながら、パイプ椅子に座った。
「世界が滅びるってときに、家族の長期的な健康なんか気にしてられますか」
「俺は今朝も青汁飲まされたよ、世界が滅びると知りながら」
笑えない笑い話を、しかし笑うしかないのが現状だ。
「終末をじりじりと待つ焦燥と恐怖は、選ばれた人間に与えられた特権と考えるべきかな」
「そうですね。昨日までは、ヤケなんて起こそうって気もありませんでしたから」
灰皿の上で短い吸い殻を弾いた田村は、宗像の首をもう片手で抱き寄せる。
「……久々の味だな」
荒々しくて投げやりで、全身から煙草の臭いがして……今の柔和な雰囲気を纏う前の、田村のような。
間断なく新しい煙草に火をつけた田村に、宗像が声をかけた。
「一口分けてくれないか」
箱からもう一本出そうとするのを制して、「これでいい」と口元から長い指で攫う。
「……だめだな、電子タバコに慣れると」
いかにも不味そうに煙を吐き出しながら、宗像は田村の顔を覗き込んだ。
「きみたち五人も無策となると、私の仕事はもうなくなってしまってね……やり残したことを考えてみるんだが、いざとなると思いつかないものだな」
二人の唇がかするように触れ、そして田村の唇に煙草が戻ってくる。
「きみにセクハラするのも、これが最後かな」
「今まで、セクハラのつもりでいらしたんですか」
ずれた眼鏡を直す相手を呆れて見返すと、逆に驚いたような表情で肩をすくめられた。
「私があなたにセクハラしているつもりでした」
「きみのそういう意外と不遜なところが、好きだよ」
眼鏡を押し上げ、立ち上がった宗像はそのまま喫煙室を出ていった。
煙の中に一人残された田村は、くわえさせられた煙草を何気なく上下させる。
「好きだよ、か……」
この状況下で、現在進行形が出てくるとは。
全てを過去形の告白形式にしてしまう自分とは、気構えが違うと思い知らされる。
田村は長い煙草を灰皿に押しつけ、まだ中身の入っている箱を握りつぶして椅子を蹴った。
*
雲ひとつ……物騒な兵器ひとつない空を見上げながら、二人は屋上で一服していた。といっても売店で買ってきたコーヒーだ。
田村はもう喫煙室には通っていない。
「事後処理、お疲れさまでした」
「お疲れ。やっと一息というところだな」
落下防止の柵にもたれて安いコーヒーを味わっていると、田村が体ごとこちらに向きなおった。
「本来なら自分が出向くべきところまでフォローしていただき、大変お手数をおかけしました」
宗像は苦笑して眼鏡を押し上げる。
「泣き腫らして目を充血させたきみを行かせるわけにはいかなかったからな」
ウルトラマンが無事に生還することを、だれもが心から願ってはいたが心から信じてはいなかった。それほどに、とても無謀で確率の低い未来だった。中でも沈着冷静で経験値の高い田村こそが、最悪な予想を立てていたはずだ。
それが、死んだと思っていた仲間の神永新二として帰ってきた。だれも予想しなかった「奇跡」だった。
だからこそ、人一倍感情を抑えられなかったのだろう。今でも彼は部下にその「らしくない」件でからかわれている。
「あのときは……室長だって泣いてたじゃないですか」
「きみほどじゃない」
こっそり目頭を押さえる程度でも彼には見抜かれていたらしいが、今さら照れる仲でもない。
「きみの泣き顔を見ていいのは、私だけだから……」
「きょうび、そういうのは流行らないようですよ」
「……………」
一世一代の口説き文句を鼻で笑われ、宗像は柵に寄りかかったまましゃがみ込んだ。
ほんとうに空が青い。頭上に青空が広がっているだけでこれほど世界に感謝したくなったことは今までなかった。
「……ということで今夜、また泣き腫らすつもりはないか」
見下ろすなり少しだけ目を見開いた田村は、すぐにその目を笑みに細める。
「どちらが、とは決まっていませんよね」
実際の役職ほどの堅苦しい上下関係は設けていない。どちらが泣かせるか泣かされるかはその場の雰囲気しだい。そう田村は念押ししてくる。
「あなたのそういう意外とロマンチストなところ、好きですよ」
すっきりした顔で言ってくれるものだ。
二人はコーヒーを飲み干し、それからすました顔でそれぞれの職場へ戻っていった。
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ラストシーン、班長がいちばんいい笑顔だったのグッときました。