【SS】戦兎とマスター
文字書きワードパレット
23.月
「瞬く」「無彩色」「裏」
ビルド/戦マス
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夜中に目が覚めた。
眠りに落ちるまで隣にいた男は、いつのまにかいなくなっている。
いつもなら枕を頭から離さずにそのまま微睡んでしまうが、今日にかぎっては身を起こし、床に落ちていたジーンズに足を突っ込んでベッドから抜け出した。暗がりの中でパーカーのほうは見つけられなくて、掛けてあった彼のシャツを羽織りながら、部屋を出る。
灯りの落ちた店内も無人だったが、窓の外に人影が見えて迷いなく扉を開けた。
オープンカフェスペースに、エプロンも帽子もないマスターが座っていた。彼は戦兎を見てひどく驚いた顔を見せたが、なにも言わず笑みを浮かべる。
闇の中で月明かりに照らされた顔は白く、黒いシャツも相まって、世界から色が消え失せてしまったかのような錯覚に襲われる。
「なにしてんの」
無彩色の非現実感を振り切るように声を出せば、いつもと変わらないのんびりとした声が返ってきた。
「見てのとおり、夜風に当たってるだけだよ」
冷蔵庫から出してきたらしいアイスコーヒーを傍らに、前髪を揺らす程度の風を受けている彼は、目を眇めてあごを上げてみせた。
「それにほら、きれいだろ?」
その視線を追って振り返り、ビルの谷間から晴れた夜空を見上げる。
何をと尋ねるまでもなく、空にぽっかりと白い穴が空いたような光景。あまりにも明るい光のせいで、瞬く星もほとんど見えない。
同じ方向を見上げながら、ふと思いついたことを尋ねてみた。
「マスター、月行ったことある?」
「月は、なかったなあ」
成層圏を飛び出して火星にまで行った男は、せいぜいが外国の話でもするような口調で答える。最も身近な天体には行っていないのだと今さら自分で気づいたのか、くすくすと笑いながら。
「だって、怖いじゃないか……」
そこまで言いかけた彼の顔から、ふっと笑みが消えた。なにか忌まわしい記憶を連想したのだと気づいた戦兎は不安に息をのむ。よその星に「降り立つ」こと自体が、彼にとっては恐怖なのかもしれない。
だが彼はすぐに口の端を上げ、戦兎に片目をつぶってみせた。
「月のウサギに餅つき手伝わされたりなんてしたらさ。たまったもんじゃないよ」
その傷は巧妙に隠され、めったに晒されることはない。だから戦兎もただ笑って「その餅、おみやげに持って帰ってきてよ」などと軽口を叩く。
石動は「さてと」と立ち上がり、そしてなにか気づいたように戦兎をまじまじと見た。
「戦兎、そのシャツ……」
「ああ、ごめん。近くにあったから……」
「裏っ返しになってるぜ」
「え……」
道理で袖を通しづらかったはずだと思ったが、今ここで脱いでひっくり返すのも煩わしい。
「いいよ、夜だし。すぐ脱いじゃうし?」
「風邪ひくなよ」
そう言いながら石動は戦兎の背中を押して店に入り、後ろ手に鍵をかけた。
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新世界だと思います。
今回のビルド本は、テーマに合う小説のネタがないのでアルカリのマンガだけです。webではまたちょこちょこ出せたらいいなあ。