文秀/灘

2007_新暗行御史,[R18]

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隻眼

灘の手が杯を取るのを、文秀はじっと見つめていた。
「将軍殿?」
杯が干され、再び卓上に音もなくもどされるまで、文秀の視線はその手の動きをじっと追っていて、さすがに灘を不気味な心持ちにさせたらしい。
「俺の手に不審な点でも?」
「いや……片眼でよく不自由しねえなあと思ってな」
「今さらですかぁ?」
心底呆れた声にも、文秀の気は向かない。
文秀も何度か怪我で片眼を覆ったことがあるから、その不自由さは多少なりとも理解しているつもりだ。目の前にある杯もうまく取れず、広い死角が漠然とした恐怖を生む。
だが灘は隻眼に仮面までつけてなお、戦場で数々の武功を上げているのだ。文秀には、元述の見えぬ刀以上に不可思議に見えていた。
「人間の身体なんてのは、鍛錬しだいでどうにでもなるんですよ。腕一本、足一本なくても、すばやく動けるやつもいる。両眼を失っても剣を振るえるやつもいる。それに比べりゃ片眼なんぞ、どうってことないと思いますがね」
灘はこともなげにそう言うが、それでも斥候部隊の隊長まで上りつめるまでには、尋常な努力では不可能だっただろう。
戦場では、死にたくなければ自力で強くなれ、と檄を飛ばす文秀だったが、現実に灘のような「生き残り」を前にすると、人間の強さを思い知る。
感心と称賛の混じったまなざしがくすぐったかったのか、隻眼が細められた。
「片眼になってよかったこともあるんですよ」
「へえ?」
片眉を上げる文秀のあごをとらえ、灘は正面からまっすぐに覗きこんでくる。
「一人しか目に入らないから、心移りしない」
たったひとつの黒い瞳が、優しい微笑を浮かべてこちらを見ていた。
「……それ、何人の女に言ったんだよ」
「意外にこういうベタなセリフが効くもんです」
いつもどおりのにやけた笑いにもどった灘は、大きな手を文秀の胸にそっと当てる。
「ほら……効いてるじゃありませんか」
いかに百戦錬磨の軍人といえど、胸の鼓動に嘘はつけない。文秀は一瞬言葉に詰まり、それからあわてて忌々しい手を振り払った。
「てめえ! 俺を口説いてどうしようってんだ!」
「はははっ、今の顔! 文秀将軍ともあろう人が、ガキみてぇなツラだ! いやあ、今ほど片眼が残っててよかったと思ったことはないですな!」
「…………っ」
弾けたように笑い出す灘を、文秀はむくれ顔で睨みつける。
だが、すぐにつられて笑い出していた。

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