七海/伊地知

2024_呪術廻戦,[PG]

掌に拍動

「愛想笑いくらいできないの、元証券マン」
 御三家の接待という名目で楽しくもない酒宴につき合わされた七海は、帰りの車内でも五条に絡まれていた。
「私が役に立たないのは最初から知っていたでしょう」
 伊地知はハラハラしながら、ミラー越しに二人のやりとりを見守る。それでなくとも雰囲気のいい酒宴ではなかった。本人がどう主張しようが事実上「五条派」の七海を、あえて連れて行って他家を牽制するのが今夜の五条の狙いだろう。
 七海も薄々理解し、更にその立場を飲み込まざるを得ないから機嫌が悪い。
「僕んちで飲み直す?」
「いえ、結構です」
 五条家にいい酒はあるが、肝心の当主が一滴も飲まない。数合わせで伊地知が加わったとしても持久力に欠ける。確かに七海にとっては誘いに乗る理由がない。
 後輩に断られても、五条は堪えた様子を見せなかった。
「そっ。珍しくいい子にしてた七海クンには、ご褒美をあげようと思ったんだけどなあ」
「結構です……」
 皮肉も出てこない程疲れているらしい。あるいは酔っているのか。
 下戸の五条、運転手の伊地知に勧められない分の酒は全て七海が飲まされた。なんとか敵は酔い潰したものの、さすがにノーダメージではないだろう。
「ジジイ共相手にしてたらもう日付も変わっちゃったよ、ウケる~」
「そうですね」
 七海が相槌しか打たなくなった。ハンドルを握る手に嫌な汗が滲む。一方的に喋り続ける五条と機嫌を損ねている七海は、平時でも同席を避けたい取り合わせだった。
 いつも通り五条家の車止めに入り、運転席から降りて後部座席のドアを開ける。五条の長い脚がひょいと車の外へ突き出した。
「伊地知貸すから、ちゃんと帰るんだよ」
「アナタの伊地知君ではないでしょう」
 自分が五条の所有物同然であることは受け入れているが、他人からそう言ってもらえると少しだけ尊厳が回復した気がする。
 五条は鼻先で嗤うと、あっさり手を振って車に背を向けた。
「じゃあ後は任せたからね、おやすみ~」
「承知いたしました。五条さんも大変お疲れ様でした」
「ほーんと、お疲れだよマジで」
 これで今日の仕事の八割は完了した。残り二割、気を抜かずに務めようと運転席に戻るなり、後ろから声をかけられる。
「君、私を送った後は?」
 五条に向けていた刺々しさは感じられない。少しホッとしながらシートベルトを締め直す。
「そのまま直帰します」
「でしたら……」
 何か言いかけた七海が、さっきまでの冷淡な声に戻る。
「あの人、何か忘れていきましたよ。日本酒……?」
 五条が座っていた場所に紙袋が置かれているのを見つけたらしい。ここで五条を連れ戻すわけにはいかないので、聞こえなかったふりをして車を出す。
「伊地知君……」
 七海の携帯端末が振動した。通知を確認した七海の眉が、僅かに上がる。
「……五条さんですか?」
 尋ねてみると、やや間があって不承不承の声が「はい」と返ってきた。
 五条悟の不可解な行動は山程あって、むしろ納得できる場合が少ないが、これも毎年関係者が困惑している件だった。
「忘れていましたよ、自分の誕生日なんて」
「ですよねえ……」
 つい十数分前に日付が変わって7月3日になった。そういうタイミングで、五条はメールだの電話だのなんだのをよこしてくる。あの手この手で驚かせてやろうという悪戯の一環なのだろう。
 しかし、バックミラーで七海の眉間に皺が寄るのを確認した後に、それをフォローする役目はなかなか辛い。
「つまり、その忘れ物は五条さんからのバースデープレゼントなんです。受け取ってあげてくれませんか」
「……君もグルだとは」
 顔を上げた七海とミラーの中で目が合って、すぐに逸らした。
「私は五条さんに命令……頼まれて用意しただけなので」
 例によって「七海が好きそうな酒」という雑な指示で頭を悩ませたのだが、それは七海には関係ない話だ。とりあえず紙袋の中身を確認した七海は、それほど不機嫌そうには見えない。「ハズレ」ではなかったらしいというだけで安堵する。
「君からは?」
「えっ」
 この流れで想定していなかった言葉が投げつけられ、一瞬思考が止まった。七海はプレゼントを元の場所へ戻し、重ねて尋ねてくる。
「伊地知君からは何も頂けないんですか? 五条さん名義で選んだだけ?」
「あっ……いえ、私のような者が七海さんに個人的なお祝いなんてそんな、畏れ多い……」
 この歳になって仕事関係、百歩譲って学生時代の先輩後輩で誕生日を祝うほうが珍しくはないか。だが冷静に考えれば呪術師と補助監督、立場的には世話になっている相手として気遣うべきではあったかもしれない。
「た、大変申し訳ありません……この埋め合わせは近いうちに……」
 今日の任務は滞りなく完了できるかと思っていたが、甘かった。そもそも高級志向と思われる七海に贈る品など思いつかない。高専や御三家の立場を通せばいくらでも用意できるが、自分自身のセンスや想いを問われるとなると、話が違ってくる。
「では今からこの『五条さんからのプレゼント』の味見に付き合っていただくというのはどうでしょう」
「はいぃ!?」
 間違いなく美味いはずだ、五条家お抱えの料理人から特別に教えてもらった酒蔵だから。
 だが自分はあくまで運転手で……という懸念を見通したかのように、七海は普段の口調で付け加えた。
「運転代行なんて野暮は言いませんよ。アルコールが抜けるまで帰しません」
「ぉう……っ」
 この器量と度量の男が、気安く「帰しません」などと殺し文句を吐いてはいけない。誰もがその気にさせられてしまう。
 伊地知の心の乱れなど構うこともなく、相手は畳みかけてくる。
「今日は何の日ですか」
「……七海さんの誕生日です、おめでとうございます……」
「ありがとうございます。いい誕生日になりそうだ」
 やはり酔っているのだろうなと思いながら、伊地知は自分の頬を押さえる。
 まだ飲んでもいないのに、顔が火照って仕方がなかった。

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