タムドク/コ・ウチュン

2008_太王四神記,[R18]


天幕の中は息が詰まる。
タムドクは膠着する会議からわずかに意識を逸らし、ちらりと側近の顔を盗み見た。普段どおりの厳しい表情で、会議の行く末を見守っている。
笑えばいいのに。
タムドクは目の前の個性豊かな面々をぐるりと見わたした。彼らは感情をそのまま顔に、いや全身で表している。怒り、苛立ち、喜び、悲しみ……あまりにまっすぐぶつけられてこちらが戸惑うほどだ。
無表情に見えるコ・ウチュンも、厳しい顔の下にとても優しい笑みを隠していることをタムドクは知っている。
どうしたら、その笑顔を見られるだろう。
笑えと命じればよいのか。いや、そんなことをしても彼が困るだけだ。困り顔もそれはそれで楽しいものだが、今見たいのは笑顔なのだ。
手っとり早く、彼が喜びそうなことを考えてみるが、思いつかない。
タムドクは目の前に広げられた戦略地図を眺めた。
コ・ウチュンは武人だ。武人が輝くのは、戦場だ。そうだ、馬上の彼は見惚れるほどに凛々しい。旗印などなくても、その影のかたちだけで彼とわかる。
大海に魚を放つように、大空に鳥を飛ばすように。武人は、戦場にこそ置いてやりたい。笑顔は見られないかもしれないが、笑顔以上の表情を見ることができるだろう。
「……推測ばかりでは話が進みません。私が偵察に出ましょう」
それまで沈黙していた王の言葉に、全員がはっと動きを止める。一瞬の静けさのあと、天幕の中は先ほどよりも騒がしくなった。
しかしタムドクは微笑み、隣の男に流し目をくれる。
「心配は無用です。コ将軍が守ってくれますから」
反論の嵐の中で、深いため息が洩れるのは予想済みだった。

草原の風は乾いていて荒っぽいが、天幕から解放された身には心地よい。
髪がなぶられる感覚を楽しみつつ、馬をゆっくりと進める。
「気は晴れましたか」
「……え?」
風に乗って耳に入ってきた声にふり向くと、ただ一人の供であるコ・ウチュンが周囲を見わたしながら馬を寄せてきた。
「青龍や玄武の先生あたりは気づいておりましたぞ。偵察など口実だと……」
そうは言いながらも、彼の口調もそれほど機嫌が悪いようには感じられない。
「はは、まいったなあ。だませるのはフッケ将軍とチュムチくらいですか」
「でしょうな」
草の陰にも地平線の向こうにも敵は見あたらないことを確認し、彼はあたらめてこちらを向く。そして、すっと目をすがめた。
その表情の意味がわからず、タムドクは首をかしげていた。逆光ではない。
「眩しいのですか?」
将軍は一瞬なにを訊かれたのかといったようすで眉をひそめたが、すぐに心得た表情になってうなずいた。
「ええ」
その顔は常よりやわらかく、微笑んでさえいるようだ。その穏やかな目をこちらへ向け、彼は言葉を継いだ。
「陛下のお姿が」
ためらいも羞じらいもせず、壮年の男はそう言って目を細める。
こちらは逆に、目を見開いていた。
「……………」
軽口でも叩いてからかおうと思わなかったわけではないが、あいにく言葉は見つからなかった。一度は口を開けた王は、結局なにも言えずに笑みを浮かべる。それは、決まり悪さを隠すための照れ笑いだった。
それにしても、なんという殺し文句だろうか。それをなんの裏も含みもなく口にするのだから、たまらない。女の身であれば一発でほだされてしまうだろう。いや、男とて……
「まったく……あなたのような人が独り身とは……」
口元に手を当てもそもそと呟いた言葉は、幸い彼には聞こえなかったらしい。
「陛下?」
だが彼のきまじめさを考えていなかった。聞き取れなかった王の綸言を拾おうと、彼は馬を寄せてくる。袖が触れそうな距離に近づき、タムドクはすぐ横にある彼の顔を見た。
「将軍」
「なんでしょう……」
耳を寄せてくる彼の顔を覗き込んで、すばやく唇を触れさせた。
「!!」
ぱっと離れ、馬の腹を蹴る。
わずかなあいだ、凍りついたように動きを止めていたコ・ウチュンがはっと顔を上げたときには、タムドクはずいぶんと離れたところでふり返っていた。
「コ・ウチュンの首取ったり、ですね!」
「……陛下!!」
ようやく事態を把握したらしい将軍は、耳まで赤くして追ってくる。
「ここは敵地ですぞ、お戯れはほどほどになさってください、陛下っ!!」
「あはははっ……」
わかっていた。
彼の笑顔は、この自分のためだけにある。確かめるまでもなく。それを思い出しただけでも、天幕を抜け出した甲斐はあったというものだ。
風に身を任せて大地を駆ける王に、忠臣の苦笑混じりの呟きなど届くはずもない。
「まったく、憎らしいほどに輝いておられる……」

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