アンホフ/ベンダー

2008_GSG-9,[R18]

Der 35.Mai

シャッター音にふり向くと、こちらへ突きつけられた携帯電話が目に入った。その向こうにある、妙にうれしそうな顔も。陽光差し込むリビングで、ソファに座っていたアンホフは手にしていた本を閉じる。
「なにを撮った?」
「あなたを」
「どんな必要があって?」
つい尋問口調になってしまうアンホフに、だがベンダーは緊張感のない笑顔を見せた。
「国境警備隊の司令官が、和やかな顔で童話を読んでいる姿を初めて見たもので、記録に残しておこうかと」
「……………」
アンホフは抗議のために口を開けたが、言葉が出てこなかった。責めるほどの罪状が見あたらない。真剣な顔で詰れば詰るほど、こちらが間抜けに見えるだろう。
ため息をついて、かけていた眼鏡を外した。度の弱い老眼鏡は家でしかかけていないが、そろそろ職場でも必要になるだろうか。
「おまえがこの本を買ってきたのは、私に対する罠か?」
テーブルの上に置かれたその本を見下ろして、ベンダーは肩をすくめてみせた。
「まさか。ただのノスタルジーです」
それから、本の上に携帯電話を置いて、アンホフの隣に腰を下ろす。長い腕で肩を抱き寄せられるままに、アンホフはベンダーの胸に寄りかかった。
「子どものころは、少年探偵団なんかに憧れたもんですよ」
「おまえが?」
思わずすぐそばにある顔を見上げると、おもしろそうに微笑んだ目が見返してくる。
「あなたは? どんな話がお好みでした?」
目の前の本を眺めながら暫し考える。遠い昔の記憶を引き出すのに、意外と時間はかからなかった。
「……双子の少女が入れ替わる話かな」
「あなたが?」
「あれはなかなか難しいミッションだ」
すました顔でそう言ってみせるが、案の定彼は目を丸くしている。噴き出しそうになりながら、もう一度その本を手に取った。タイトルは、『5月35日』。
「なにがあってもおかしくない日、か」
その呟きに、絡みつく腕の力が強くなる。
「アントン?」
「……うれしいんですよ」
ときどきベンダーが口にするその言葉の意味をアンホフはよく知っていた。
後ろめたさを感じることなく、愛する者とこうしてともにいられる幸せ。そんなあたりまえのことすら、自分たちは長いあいだ手に入れることができなかった。「なにがあってもおかしくない日」でもなければ、抱き合うことさえ許されなかった。
薄い唇が、こめかみに押し当てられる。少し首をそらせば、乾いた唇が重なる。
「…………」
リビングに暫しの静寂が訪れた。かすかな衣擦れと濡れた音だけが、二人の人間が触れ合っていることを示していた。

送信中です

×

※コメントは最大500文字、5回まで送信できます

送信中です送信しました!

2008_GSG-9,[R18]

Posted by nickel