アンホフ/ベンダー
買い物から帰ってきたベンダーは、リビングで居眠りをしているアンホフを見つけた。
本を読みながらそのまま眠ってしまったのだろう。もう少し静かに帰ってくればよかったと思う。車のエンジン音は聞こえただろうし、両手に荷物を抱えてドアを蹴飛ばしたことに気づかないわけがない。キッチンで缶詰を落としたのも知っているはずだ。それでも目を開けないのは、彼がこの心地よい時間を手放したくないからだとベンダーは知っていた。
「遅かったな」
目をつぶったままそう呟いたアンホフに、挨拶代わりのキスをしようと身をかがめる。こめかみに軽い口づけを受けたアンホフは、微笑みながらやっと目を開けた。
「教会の前で、やたらにぎやかな結婚式にぶつかったので……」
仕事が進まない言い訳をする口調で、肩をすくめたベンダーに、愉快そうな笑みが向けられる。
ベンダーは少し迷ったが、道が混んでいた理由を説明するにはやむをえないと腹を決め、口を開いた。
「ウエディングドレスの花嫁が二人という結婚式でね」
「新郎は?」
聞き手は当然の疑問を口にする。
「見当たりませんでしたね」
そこまで言えば、アンホフもだいたい理解したらしい。
二人の花嫁は多くの参列者とさらに多くの見物人たちの前で抱き合い、キスを交わした。好奇と冷やかしの混じった祝福を受けながらも、彼女たちは世界でいちばん幸せな夫婦の顔をしていた。
他の見物人と同じように興味半分で眺めていたベンダーは、素直に彼女たちの選択を褒め称える意味で拍手を送ったが、アンホフならどうしただろう。
保守的で厳格な彼は、自分たちのことでさえ受け入れるのに時間がかかった。自分たちを衆目に晒すような彼女たちの行為には、眉をひそめるかもしれない。
見てきたことを語るのにベンダーがためらったのはそのせいだった。
だが彼は、静かに笑って本を開く。
「いい時代になったな」
帰り道は否応なしにあれこれ考えさせられていたから、その言葉に安堵以上の感慨を覚えたのもむりはない。ベンダーは無性にうれしくなって、そっと彼の頬を撫でた。
「我々もしますか」
「……………」
年上の恋人は老眼鏡を押し上げ、わざとらしくいかめしい顔を作ってみせる。
「ドレスは着ないぞ。おまえのも見たくない」
「それは残念」
こちらもおどけたが、実際は籍を入れるどころか指輪を交換するという儀式すら、彼は許してくれないだろう。
今さらそんな大それたことは望まない。それに、二人ともドレスが似合わないのは事実だ。
「ではせめて、誓いますよ」
跪いて彼の手を取り、指輪があるべき指にキスをした。
アンホフはしばらく言葉を探すようにベンダーを見下ろしていたが、やがて優しく微笑んでその手を握りかえす。
「私も誓おう」
そしてベンダーの薬指にも、アンホフの唇が触れた。
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